top of page

2026年3月

  • 3月1日
  • 読了時間: 9分

更新日:3月15日


2026/3/1


2月があっという間に終わったのでカレンダーをめくる。朝ごはんは昨日買ったパン屋で買ったパンとヨーグルト、卵。


会社の女社長に押し付けられたような形でもらった服を整理して、着れそうな服を押し入れにしまった。全体的に統一感がなく、年代もよく分からない服たち。半分以上はどうにもならない。


洗濯を2回して、お昼ご飯を作っているとラジオからアメリカとイスラエルがイラン最高指導者を殺害したというニュースが流れた。悲しい、怒り、恐怖を混ぜたような気持ちになって、先程までさまざまに感じられた窓の光がただつまらないものに感じられた。


あたたかな家と平穏がいつだって簡単に破壊されるような気配。4年前から続くロシアのウクライナ侵攻も、アメリカのベネズエラ大統領拘束も、少しずつ大国や個人の制御がなくなってきている(長い歴史を見たらある方なのかもしれないけど)。


AIの発展も、人間がどれくらい自分を制御して生きていくかの分かれ目のような気がする。このことを考えるとなぜかイチローを思い出して、彼のようにストイックな自己制御みたいなものが必要なのかなと思ったりする。

スポーツ選手のようなストイックさではなくても、大切なものは大切だと思い出したり、信じていられるような体を持ち続けていたい。


そうでないと、全ての選択肢をAIに委ねて生きていくことがあっという間に身近になる、ような気がする。人間は忘れてしまう生き物だから、悪いこともいいことも反芻して日々生きていきたい。


昼ごはんは、ポテトフライ、ツナと卵のサンドイッチ、すもものソーダ、はるか。机の上では、昨日買ったネコヤナギが白く光っている。


午後は、散歩から帰ってきた猫と一緒に2時間昼寝をした。コーヒーを飲んでアニメを見る。まだコタツに入っているが、本当に暖かい日が多くなった。それだけで幸福だと思った。






2026/3/3


雛祭りを何歳までやるのか分からないが、自分の人形を飾っていたので、夜はちらし寿司をしようと思った。しかし、夜買い物に行くと、あれやこれや色々買ってしまい、疲れて帰り道にマックでダブルチーズバーガーのセットを食べてしまった。夫はビックマックのセットとハンバーガーのセットを食べる。


家に帰ると、お腹が気持ち悪くなりマックを食べたことを後悔した。マックを食べるときの脳の喜びは本当に一瞬で終わる。






2026/3/4


口座にあるお金を違う口座に移したりした。大人はよくお金をこまこま動かしているな、と小さい頃思っていたが、給与口座が指定され、昔から引き落としを登録している口座があったり、たまに大手銀行の口座しか登録できないときもあったりして、中々口座を1つにまとめるということはできないのだと最近知った。


また、ゆうちょ銀行の口座を持つ意味があまり分からなかったが、これも最近、必要かもしれないと思い始めて、携帯で口座開設を申し込んだ。来週カードが届くらしい。






2026/3/5


仕事終わりに車を飛ばして、伊那の美容室に行った。知り合いの美容師さんに、宇多田ヒカルにしてくださいと言って写真を見てもらうが、前髪の長さが全く足りないと言われ、別に宇多田ヒカルになりたいわけではないのだと思った。宇多田ヒカルのことはあまり知らないが、何かああいう感じになりたい。


結局、髪の毛は私の癖っ毛を活かしてどうにかしてくれた。多分3センチほど短い。肩までつかない程度の外はねヘア。前髪は伸ばすことにした。






2026/3/6


起きて、髪の毛にヘアオイルをつけたらいい感じになった。寝癖外はねヘア。寝癖感は否めないが、ヘアオイルのしっとり感で誤魔化したい。


夜、仕事終わりに酒屋で一升瓶の日本酒を買って帰る。猫の世話をして、家の片付けを何となくして、荷物をまとめて20時頃2人で家を出た。岡谷を抜け、和田峠を通り、高速に乗って足利へ移動する。


夫の好きな曲を聴いていると寝てしまった。途中でどこかのサービスエリアで私は舞茸天ぷらうどんを食べ、夫は鶏肉のどんぶりみたいなやつを食べた。運転を代わって、ハロプロの歌を歌いながら23時過ぎに実家に着いた(ハロプロの歌を歌うと夫は寝る)。暗闇で光る梅の花を見た。長野では地面にあるイヌノフグリや福寿草くらいしか咲いてないような気がする。






2026/3/7


10時から法事。朝ごはんはすごい塩っぱい鮭、菜の花のおひたし、味噌汁、ご飯。昼は鰻と瓶ビール。午後、祖母の家から持って帰るものを選んだ。昼寝。夜ご飯はお店でもんじゃ焼きとお好み焼きを食べた。帰ってから、父の誕生日なので花束とプレゼントを渡して、ケーキを食べる。






2026/3/8


昼前に家を出て、桐生の変なカレー屋さんに行った。元々馬小屋だった建物に机と椅子が置いてある。障子はボロボロで、隙間風が吹いていた。ランチのカレーを頼むと、不思議な味がして何故か苦かった。具は玉ねぎのみじん切りがたくさん入っている。何だこれと思いながら食べ終わる。


その後は美術館に行って、迷路みたいな建物をぐるぐるして最後にコーヒーを飲んだ。展示の途中からコーヒーの匂いがして、作品を見るよりもコーヒーはまだかなとコーヒーのことを考えていた。それが心地良かった。


町の重要伝統的建造物群保存地区(古い建物がそのまま残っている)を見て、文化会館みたいなところのフリマをみて帰った。


帰りは塩尻まで高速に乗ってしまい、降りてすぐの丸亀製麺を食べて家に帰る。猫元気だった。勢いで祖母の家から持ってきたものを家の中にしまい、片付ける。






2026/3/9


疲れて1日ぼーっとする。昼ごはんは、一昨日残った鰻をひつまぶし風弁当にしてくれた。夜、今日も勢いで祖母の箪笥の中身を引っ張り出し、着物類を整理して入れ直した。家の中をバタバタしても猫がずっとまとわりついてきて、引き出しを開ける度に滑り込んで寝転んだり座っている。






2026/3/10


昼、ハローワークに電話した。仕事を辞めたら失業証明書?を持ってハローワークに来てくださいとのこと。よく分からないが行けばどうにかなるらしい。


夜はママさんバレーに行って、2時間バレーをする。夜ご飯は伊勢うどん。甘いタレにダルダルのうどんを絡ませて食べる。美味しい気がするという感じの味がする。






2026/3/11


朝7時に起きて洗濯機を3回まわし、掃除機をかけ、部屋中を片付け、猫を撫でまわし、適当にご飯を食べて隣町の自動車屋さんに行った。前回してもらった点検費用の支払いとオイル交換をしてもらう。


ガソリン(163円/L)を満タン入れ、松本へ向かう。最初にセカストで服を査定してもらい、モスでテリヤキバーガーセットを食べた。


14時からは持ち込み車検。初めてなので何も分からなかったが、車屋さんにも父にも、最初は近くにあるテスター屋さんに行ってライトの調整をしてもらえと言われた。軽自動車協会に行って、テスター屋さんって…と聞いてみるが、分からない3階建ての建物のところかな?と言われる。

とりあえず移動して、近くの大きめの建物に行ってカウンターの人に聞いたら、知らないのでネットで調べろと言われた。少し思うところはあったが、素直に携帯で調べ、ここかと思ったところに行ってみる。


カウンターで電気の点検…と言うと、1100円ですと言われて払う。数台の車の列に並んで15分ほど待った後、お爺さん2人に言われるがまま、ボンネットを開け、ライトをつけたり、降りてライトを布で擦ったりした。


そして、また軽自動車協会に戻り、車検を…と言うと、自賠責は?と言われ、これからですと答える。この用紙に記入して、人がいない窓口へと言われたので、紙を書いて人がいない窓口で少し待ったが何も起きない。


隣の窓口の人に、自賠責…と言うと、あ、自賠責ですー!と事務所の人に言って、自賠責の人が出てきた。用紙と今までの自賠責を渡して少し待つ。人がいない窓口って窓口?


その間に、14時46分になり1分間黙祷をした。辺りは変わらずガヤガヤとしていて、変で陽気なBGMが流れ続けている。その後は、重量税のお金を払って印紙が貼り付けられた紙をもらい、自賠責のお金を払い、別棟の建物に移動して用紙を記入した。少しすると、初心者マークの紙と一緒に書類のファイルをもらって、車に乗って列に並んでくださいと言われる。


順番が来ると、点検の人がドアを開けて、ライトつけて、ハイビーム、右、左、など言われるがまま全てのライトをつけ、排気口に変なニョロニョロした棒を入れ、ローラーの上で40キロまで出したり、ライトつけたり、ブレーキを踏んだり、指示通りに体を動かした。車を試しているのか、私が試されているのか分からない。


最後に2メートルほど持ち上げられ、ハンドルを思いっきり左に切ったり、右に切ったりして終わった。窓口で書類を出し、期限が2年後のシールをもらって、コーラを買う。すごく疲れたが安く済んだ。


その後、イオンに行って服など買ってしまい、綿半で消耗品を買って帰る。綿半に行く頃には眩暈がした。






2026/3/12


普通に仕事をして、時間になったらすぐに会社を出た。コンビニでカフェラテと適当な麺を買って食べる。箕輪の役場に車を停めて、18時半から上映される映画鑑賞会に行った。


映画は東日本大震災が起こった後の話で、震災が起きた場所で淡々と日々を過ごしているが、登場人物の頭の中には常に震災の記憶があり、人とぶつかったり、社会とぶつかりながら、少しずつ前を向いていくような内容だった(一言で表すことではない)。


伝えたいことはきっと自己愛で、どうしてだろうと思ったが、震災のドキュメンタリーやインタビューを見ると、家族を亡くした人々の多くは、自分だけが生きていて申し訳ないと謝っている。


突然の別れで骨さえも残らず、その人が生きていたという証拠は生きている自分たちの記憶だけという不確かさは、人をどれだけ苦しめるのだろうと思った。


人を弔うということは、深く考えると辛くなり過ぎてしまうので割り切ってしまう部分がある。でも、それはきちんと弔う時間と仕組みと物があるからそう簡単に言えるわけで、津波で全てを流されてしまったら、自分を責めたり、死者の苦しみを思い浮かべることが死者を弔うことになるのかもしれない。


モーニング娘。のみかんの歌詞「今日も明日も毎日は24時間どんな人も朝の陽に包まれる」を思い出した。言葉ではどうしても言い表せない太陽の光が美しい映画だった。






2026/3/13


仕事をして速攻家に帰るが、猫のトイレ掃除もせずこたつで寝る。夫が焼きビーフンを作ってくれたので食べる。お風呂に入って寝た。






2026/3/14


午前中だけ仕事。急遽、売りたいという家の中を見にいくことになって行く。一周忌の形はあるが、生きていたままの部屋だった。死に向かう人間のものや布団、食事の残りはとても疲れる。ただ日々をやり過ごすのに必死で、生活の心遣いや喜びを全く感じられない。悲しい家だった。


午後は電車に乗って伊那に行き、夫と酒を飲んだり音楽を聴いた。14時半から飲み続けて、たまにコーヒーなど飲み、22時にソーキそばを食べて帰る。こんな谷沿いの場所でソーキそばを食べられるのがとても嬉しい。















bottom of page