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2022年5月




2022/5/18 庭


最近、庭のバイトをやっている。そうして地中の世界を壊している。雑草と呼ばれるものを引っこ抜くとミミズや蟻が飛び出てきた。


紅葉の木下を通ると、小さなヒルが落ちてくる。椎の木の葉がたくさん落ちている。琵琶が徐々に熟してきた。


ほとんど毎日、鯉が死んだ。鯉が浮いているのを網で救って、庭の端にある椿の木下に埋める。たまに、獣が鯉の死体を掘り起こしている。シャベルで土を掘ると、鯉の骨や鰓をみつける。


死んだ鯉は鰓がぱっくりと開いて、丸々と太った身体の表面に、鱗がはち切れそうに広がっていた。鯉は、会津の旅館でくたくたに煮込まれたものを食べたことがある。


皆、この仕事を普通にこなすが、私は何か蟠りを抱えてながら言われた通りに動いている。鯉に餌をやって、死体を埋める。世話と弔いがある生活。私には直接関係のない鯉だから良いのだと思う。簡単に善意的になれるのに、帰るときにはそのことを忘れる。


バイトは、清掃という点に関して喜びを感じた。掃除はとても人間的だ。日本庭園なんて不気味なほど人間的だった。


今まではそう思わなかったが、自分の手で庭園を維持していると、その不自然さに好意と嫌悪を感じる。その歪さが受け取り具合によって変化していくので楽しい。庭園と山は、同じ自然といっても全く異なっている。



今日は、阿佐ヶ谷の釣り堀に行った。一時間座っていたが、様々なことに気を取られたので釣れなかった。また、久々の太陽に戸惑い、今日一日生きている心地がしなかった。

釣りの後は、駅から少し離れたところにある蕎麦屋に行き、もりそばを食べた。店には、常連らしい中年の女性が徹子の部屋を見ていた。彼女が丼を食べ始めると、テレビの音の中、咀嚼音もよく聞こえて不思議な感じがした。


私が蕎麦を食べていると、店の女性とその客がテレビの話をし始めた。昔の俳優や徹子の部屋に出ている俳優の話、朝ドラ、時代劇の話を聞いた。その抑揚や時代を嘆く声が心地よかった。


道に出て歩いていると、人々は皆、太陽の生み出した陽炎のようだった。ふらふらとどこかへ消えていく。気づいたら目の前にあった古本屋に入り、古本と街と文章についての小さな本を買って出た。


その後、名曲喫茶に行って何か考えた。店を出ると、昼間でも夕方でもない微妙な時間だったので、新宿に行ってみる。東南口から世界堂までの少し慣れた道を歩くと、新宿にしかいないよなあという人々に会って気落ちする。新宿は人が多かった。


総武線、隣の女性が薔薇の花束と、触覚のように緑色の草が飛び出た細やかな花束を新聞紙に包んで持っていた。彼女はそれらをちらちらと眺めながら、私の方や電車の様子を伺っていた。


新宿の世界堂に行った帰り道、傾いた日がビル間からのぞいて、女の肩のブラウスがその色に透けて染まっていた。帰り道、薄い橙色の小さな花をいくつもつけた薔薇の枝を一本買った。






2022/5/19 シャガ


食についての最近。ずっと家におり、ただ規則的に飯を食べていると、ふとした瞬間から一食の適量が分からなくなる。


そうしたときは外食するのが一番だが、そんなことが思いつかないほど勝手に追い詰められていると、体が苦しくなるまで食べて、眠り、悪循環を繰り返す。


昨日の昼に蕎麦を食べたことで、体がリセットされたような気がした。夜は、個人的な適量を守り、食べたい欲を抑えている。恐らく、この一日を乗り越えれば、明日はまだ楽になるはずだ。


健康はその繰り返しだと思う。生活や食が一定を繰り返すことができれば、私は可も不可もない生活を送ることができるだろうけど、そんなことはできない。






2022/5/20 空気


夕方、外を歩いてみると、自分の体が冷たくて驚いた。手は、青白くなり、死人のような質感になっている。手を押すと白い跡が残った。爪の中にぼんやりと白い影が浮かんでいる。


公園にいる人々は、半袖シャツに涼やかそうな顔をつけていた。私がおかしいのか、皆がおかしいのか分からない。体を温めようと、1時間ほど歩いてみた。


およそ30分経つまでは、ぬるいシャワーを浴びているような感覚で身震いした。昔、友人宅のシャワーの温度調整が分からず、35度くらいの湯で冷えた体を洗ったことを思い出す。


それから少し経つと、徐々に熱が湧き上がって手が動かしやすくなった。少し不気味な色はしていたが、きちんと血の色。しかし、やはり湿気のせいで熱がうまく排出出来ず、体を重くして熱を籠もらせていた。


今日は、起きると部屋がよく分からない匂いだった。色々と手を施すと、それらは消えて普通の匂いになる。私の眠っている間に、部屋が死んでいたのだと思った。


この部屋は私がいないと、うまく呼吸をしない。それが苦痛だったが、自分の行動が生きているものなのだと知ることができて少し嬉しい。何かに働きかけて、互いに作用している。


また、それらは私が死んでいく匂いでもあった。窓を開けて換気させるのは、私の生きている体。その繰り返し。






2022/5/21 休日


平日はフラフラとし、土日に朝からバイトをすると一週間に休みというものがなくなる。平日は休みのようで案外休めていないだろうことが、今の体調から分かった。


なので、休息日を自分で定めないといけない。スケジュールの間にポツポツとそれらが生まれるなら良いが、そこまで忙しくない。ぼんやりとした中に、休息を取ることは案外難しい。


このバイトを決めたのは、土日に何をしたら良いか分からなかったためだった。バイト終わりの夕方は、体が疲れているのであまり考えずに過ごすことができる。多分、私にとっての休息は何も考えないことなのだと思う。


夕方にバイトを終えると電話が鳴り、三十分後に近くのファミレス前で会うことになった。彼ら夫婦は、知床からイベントのために二日間だけ東京に来ていた。この街で二人に会うと、不思議な感じがする。


二人と会って、三鷹にあるスペースで公演を見た。


彼らの作るものはうまく言葉にできない。ただ、その日、同じ場所にいた人にしか感じることのできない現象や空気があり、同時に皆が違ったものを認識している、ということを表現していた。


それらは、過去や未来、現在、近くや遠く、人間、人間以外のもの、など様々なものを含みながら、目の前に存在し、音を発していた。


彼らは私ができないことをする。というより、私が意図的にやらないようなことをする。例えば、ペットボトルの水をバシャバシャとタライに移すことや、大声で話すこと。他にもたくさんあるが、それらの行為に対して自然と生まれる拒否感を、彼らの編集、作為が上手い具合に調和をもたらしている。


その大振りと丁寧が上手い具合なので、全てが繊細な行為に感じた。そういった混乱と感じさせられることは暴力的なのだが、その暴力性は私の中に種の諦めや安堵をもたらしてくれるので心地良い。


私は、彼らを見るといつも鳥肌が立つ。大きな音や生理的現象によって立たされているのかもしれないが、鳥肌が立っているということに変わりがない。鳥肌が立つという体の現象から心への印象を操作されているような気がして、体への暴力性もあるのだと感じた。


その後、夫婦と彼らの友人の山を登る人と一緒に適当な店でお酒を飲んだ。皆、飲める人だったので、ビールを数杯飲んだ後は日本酒を一升瓶にいかない程度まで飲む。すると、何故か私の家に行くような流れになり、酔っていた私は快諾した。


私たちはコンビニで酒を買い、私の家に着いた。一度に二人以上の人間を入れたことがなかったので、どうなるのだろうと思ったが、四人とも普通に座ることができた。


酔った人間たちが、栓のついたワインをオープナーなしで挑んだ。家にあるインパクトドライバーやマイナスドライバー、スプーン、よく分からない工具などで笑いながらどうにか開ける。


その後は一人脱落し、気が付いたら五時前頃だったので眠った。バイトがあるので六時十分には家を出ないといけない。






2022/5/22 ピーマン


朝六時前に起きて、十分後くらいに家を出た。玄関のすぐ側で一時間三十分ほど眠っていたらしい。他の三人はぐっすり眠っている。起きた体はまだ寝ぼけていて不調も快調もなかったが、電車の中で少し目を瞑るとすぐに意識が飛んだので、バイトを乗り切れるか不安になった。


地下鉄のエスカレーターに乗って地上に出ると、まだ見慣れない東京タワーが見える。コンビニでレッドブルやスポーツドリンク、ご飯を買ってバイト先に向かった。


少し慣れてきたので、一人で作業をさせてもらえる。ぼうっとしながら、ふらふら掃除していると、機械の扱いがいつもより上手になった気がした。


十時の休憩。庭の琵琶を取ってきて食べる。ここのは、大学になっていたものよりも大きくて、美味しい。


掃除を再開すると、二日酔いと不眠の皺寄せがぐらっと訪れた。頭が痛いやら、喉がずっと渇くやら、内臓の動きが滞っている。暑い中でも、涼しい風が吹いているのが幸いで、日陰に身を潜めながら作業を行なった。


庭は清潔で、木の葉から落ちる影はざわめいて綺麗だったが、全く美しいと感じなかった。全く迷惑な光だった。揺らめき、あちこちに飛び回る光は私の中に入り込み、あちこちを刺激した。


食後は、更衣室で横になって目を瞑っていると、一緒に働いている女性が来て、同じく横になって眠った。


一三時頃から作業を始める。すると、体の中にあるものたちがそれぞれに動き回っているのを感じた。私はそれらを感じることしかできない。それらを包容して、バラバラにならないように張り詰めている。


山の中の階段にいるとき、一瞬だけ太陽が薄く翳って辺り一帯を光と同等のものに変えた。けれど、すぐに太陽は煌々と輝き出した。どちらが幻なのだろう。



三時前にバイトを終え、家まで少しの放心状態で帰った。家には、ビールとワインが増えているだけで、あまり人がいた気配は感じられない。


一つずつ得体のしれない何かが浮かんでは消えた。例えば、米をこれから炊くんだ、ということ。それらのことが思い出されると、なにか大きな幸福に襲われる。米を炊く、ということが確かに私のものになっていた。


そうやって、少しずつ私を形成するものたちが思い浮かんでは、消えていた。


起きると、二十四時前だった。ご飯に火を入れて、野菜などを切って、混ぜたり、焼いたりした。バイト先の人にもらった漬物などと一緒にそれらを食べる。






2022/5/25 ビール


良い時があると、その後に落ちる時間がある。ああ、あれは自分がそのとき思っていた以上に良かったのだと気付き、そこに囚われている自分や今それ以上のことを見出せない自分に落ち込む。


本を読みに喫茶店に行くと、声の通る早口の老人が捲し立てるように話していたので、あまり集中できなかった。


街のいつも行かない方面を歩いた。こじんまりとした個人店が多い街だった。特に興味を持つこともできずにいると、ある一軒家が気になった。


街のその部分だけ、懐かしい光が差し込んでいた。白い大きな家だった。庭は草が伸びたままで、全体的に荒れている。傍に泊めてある青いベンツが少し歪だった。


少ししたところで折り返して帰る。帰るという自分の意思よりも、家があるために歩かされている感じがした。ポケットにある鍵のせいだ。


家に帰ると少し安心したが、すぐに落ち着かなくなった。煙草を吸う。何かしたいことがあるのに、何をして良いか分からない。


試しに家にあった常温のビールを飲んでみると、すぐにその焦燥感が無くなった。多分、脳のどこかが緩んだのだと思う。自分の体は分かりやすくて助かる。後は、昼からの飲酒による罪悪感を補正しようと、何かに取り組む力が出た。


人と会う度に少しずつ予定が埋まったり、これからの予想が変化していく。しかし、それらを予め想像して自分は行動しているのだろうと思った。


そう思うと、ずる賢くて逞しいと感じるが、人と話している時は全くそんなことを思っていない。きっと、完全な利己だけでは行動する気力は起きない。そこまで自分が何かをしたいと望んでいないし、覆すほどのエネルギーは持っていない。入れそうな隙間や流れを見ているだけなのだと思う。ふらふら。






2022/5/31 皮膚


過度な食欲がある時は、特に何も考えられていないとき。それしか思いつかないので従うと、胃がもたれて気分が優れなくなる。何をしていいか分からないまま過ごして夜になる。


眠る。朝になってバイトに行くのだろうか。お弁当を作る準備を前夜にすると、明日への活力があるのだと安心するが、作るまでが面倒でこのまま眠りそう。


造園、清掃の仕事は若い女性が多分珍しいので、極たまに私が若い女の一般代表のように扱われるときがある。おそらく私は一般的な方ではないので、少し罪悪感を感じる。


もっと疑ってほしい。こんなところにバイトしにくる若い女なんてちょっとおかしいと思う。どうしてあまり疑われていないのか考えてみると、見た目と声質などが理由かもしれないと思った。


一般的な外見をしているのだと思う。適当な友人に、看護師にいそうと言われたことがある。そういった外見の可能性みたいなものに今は興味がある。


私は、服や髪型などにはっきりとした好みがないので、外見に似合いそうなものを合わせている。それが、徐々に好みと呼べるものになってきた。


最近はカラオケに行ったとき、歌える曲の範囲は声質なのだと気付いた。なので、声質に合った別に好きでもない曲をたまに聞く。


もう二度と会わない人に対して看護師のふりをしてみたいなーとか考えた。そうしたら、その人にとって私は看護師だ。自分の外見の特徴を引っ張り出して、不思議な根拠のある嘘をつきたい。


昔、ショーンKという人が経歴詐称していたとニュースで見て感動したのを覚えている。


自分の素質である外見や声の特徴を理解し、それらを伸ばせる役割に徹したのだろう。それらための努力や場に合わせる力は本物だ。そういった講座を開いてほしい。













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