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2021年7月後半




2021/7/16 残るもの

朝、デパート前の市場でプラムを1キロ400円で買う。近くの港で茶碗2杯分ほどのご飯の入った平目の漬け丼とせんべい汁を食べた。下町の気分に呑まれてついつい全部食べてしまったので、車の中で苦しくなりぐっすりと眠った。


起きると山中のコンビニだった。アイスコーヒーを買って運転を交代し、1時間ほど運転すると尻屋埼灯台に着く。Cの要望で、下北半島の最東端にある岬で遊牧されている寒立馬を見に来た。


茶屋の駐車場に車を止めると、馬が20頭ほど海沿いに固まっていた。先には、白い大きな灯台が見える。馬は厳しい冬でも耐えられるようたくましい体をしており、短い脚には恐ろしいほどの筋肉がついていた。


町の密漁を監視するらしい日焼けをしたおじさんが、ハエ叩きでたまに馬たちを叩いている。彼は、数人の男たちと会話をしていたが方言が強く、何を話しているか分からなかった。植物たちは馬か冬の厳しい気候のせいか、みな背が低い。小さな黄色い花や桃色の花がたくさん咲いていた。


少しして車に乗ると、むつ市を通り恐山に行った。駐車場が見えた頃から車内に硫黄臭が立ち込める。本堂には人がいないようで、がらんとしている。お賽銭に10円を入れた後、道順の通りに湖へと歩いた。ガスの影響で湖周辺は鳥や虫がほとんどおらず、草木が生えていない。


いくつもの小山のような砂利道を歩くと、白い砂浜と水色の湖が見えてきた。極楽浜というらしい。砂浜には菊などの花束が、湖に向かって立てられている。


湖の側にしゃがんで、ガスの湧き出ている泡を見た。青い水の中に潜む硫黄の黄色が自然のものとは思えないほど鮮明に映る。こういった自然の力が人間の信仰の場を形成したのだろうと思った。



南下し、十和田市で道中に見つけた温泉に入る。安い分、シャンプーなどは置いていない施設で、地元の憩いの場だった。温泉は熱くて長く入っていられないため、少し入っては体を再び洗う人や床に寝転がっている人がいた。


夜、近くの洋食屋に入る。私がステーキセットと彼女はチーズハンバーグセットを食べた。たっぷりの甘めのタレで肉は柔らかかった。


Cの運転で真っ暗な奥入瀬渓流を登り、十和田湖側のゲストハウスに着いた。21時近くだった為、オーナーのおばさんは管理人室らしいところで同世代の男性たちと酒盛りをしていた。渋い歌謡曲が流れている。1階の食堂では、複数人が肉を焼きながら酒を飲んでいた。




2021/7/17 ねのくち

もわっとした熱気の中起きると、朝の7時頃だった。簡単な朝食がついてくるというので食堂に降りる。冷凍の食パンをトースターで焼いて、ジャムとバターを塗り、コンフレークに牛乳を注いだ。インスタントコーヒーにお湯と牛乳を入れる。コーヒーが濃かった。


冷蔵庫で冷やしたプラムを齧り、身支度をして車に乗ると、昨日の道を遡るように奥入瀬渓流に向かった。子ノ口から十和田湖を見る。そこから車で奥入瀬渓流を降りながら、少しずつ止まって歩いた。土曜日なので、下流になるにつれ人が増えていく。


昔、何故か1人でここに来たことを思い出した。あのときは下から湖までずっと歩いた。6月か7月で人が少なくて、とてもいい空気だった。その記憶がある私は、隣にいるCとは見えている景色が違うのだと思う。



今夜のホテルは秋田市から南東方向にある大仙市に予約していた。


道中で、山の中の旅館の温泉に入る。古い建物の気持ち良いところだった。風呂は、大柄の人だったら上から覗けてしまうような小さなもので、湯口付近は壁がなく男女の浴槽が繋がっている。夕暮れの仄かな光の中、タイル張りのお湯は薄い浅葱色をしていた。


大曲のビジネルホテルの和室は、古い匂いがした。日曜日で店があまりやっていなかったため、部屋でインスタント麺とビールを飲んだ。少し歩いて、コインランドリーへ二往復する。普段だったら絶対読まないであろう雑誌を読む。糖質を抑える食事、もう何が書いてあったか忘れてしまった。





2021/7/18 IMO

朝起こされると9時過ぎだった。10時のチェックアウトに何とか間に合わせると、私の希望で酒田市の土門拳記念館に向かった。日本海側は、堤防が低いため車でも海を近くに見ることができる。砂浜に降りれそうなところで路上駐車し、膝まで水に入る。そこからは遠くに風車が見えた。


少し走って、再び気になった小さな堤防に降りた。そこでは老夫婦が釣りをし、バイクの若者2人が水辺で涼んでいる。海と空は、境目がくっきりとしているようにも、淡いグラデーションのようにも見える。日本海がこれほど綺麗だとは知らなかった。


最上川は想像よりずっと広かった。


記念館に入り、その周りを歩いて、たくさんの紫陽花を見た。Cが紫陽花を見てはしゃいでいる。私は息を止めて動画を撮る。何となく撮っている。


予約したホテルは山形市だったので、再び内陸へ車を走らせる。市内の鉄分の多い350円の温泉に入る。この時は、確か顔の湿疹が酷く痒かった。露天風呂ではアメンボがスイスイと泳いでいる。湿疹のせいで少し機嫌が悪い中、「本当にいいお湯ですね~」という誰かの間延びした声が聞こえた。


風呂から上がると、夕陽が稲の細い葉を1本ずつ照らしていた。街と山並みが淡い色に重なっている。知らない場所だったが、どこか親しみのある風景だった。1人ではないからだろうか。


ホテルにチェックインすると2人で4000円ほどだったが、ソファーもあるようなツインのデラックスルームだった。多分、コロナの影響。その後、15分程歩いて駅前の小さな居酒屋に行った。店に入ると、学生?お酒を飲める年齢?と聞かれる。


生ビールを飲んで、山形の名物の芋煮と玉こんにゃくなどを食べた。海藻サラダだと見間違えた海鮮サラダを食べ、名前の覚えられない日本酒を飲んで、蕎麦を食べた。


街に人はあまり出歩いていない。通りから見える路地には街灯がないので、光の下を通ってホテルに戻った。


眠る直前、ベッドの机についたラジオを適当につけてみると、2人で初日の北茨城で聞いた芸人のラジオが流れた。山形のこの局では、関東のラジオが1週間遅れで届くらしい。Cは、自身の携帯で適当なラジオをかけて眠った。






2021/7/19 翅 むっと起きると、朝の9時だった。とても眠い。疲れているのだと思った。チェックアウトして車でコンビニに行き、大きいサイズのアイスコーヒーと甘い、甘くない、塩っぽい3種類のお菓子を買う。


Cが目的地に「御釜」を設定して思い出したが、そこは私が東北で一番行きたかった場所だった。特に前情報もないまま、大きく水が溜まっている姿に憧れて、ナビ通りに進んだ。


カーブの山道を走ると、徐々に植物の背が低くなってきた。冬は樹氷となる木々だとCが教えてくれた。そのような気持ちの良い蔵王エコーラインを進むと、御釜まで登ることのできるリフトの入り口に着いた。


リフトで山の上まで行くと、左右に長い道が続いており、遠く見える右側は刈田神社で、左側は避難小屋だった。何となく左に進み、高山植物と砂利道でなる穏やかな坂を登った。


御釜が見えてくるにつれて、遠い登山客の話し声や足音がハッキリと聞こえる。女性の3人組が、ここまで晴れるのは珍しいよーと天気や山のことを絶賛していた。


辺りを流れる川などはなく、ただ深い青緑色の水が、噴火の影響で出来たらしい大きな窪地に溜まっていた。全てを見ているはずが、大きすぎてあまり理解できずにぼうっとしてしまう。少しの風では水面は揺れもしないので、まるで大きな石のようだった。


Cはワンピース姿で、私はズボン姿だったが、他の登山客は皆、熊鈴などのきちんとした装備をしていた。駐車場から徒歩で登ってきたのだろう。


遥か上にある避難小屋を見ると、そちらの方からたくさんのトンボがこちらへ飛んできた。トンボは避暑のために山を登る種類がいるらしく、彼らも遠くから御釜を見にきたのかもしれない。ちなみに御釜の水は強酸性で生物は生息していないらしい。



宿は福島県の会津若松市だったので、途中にある桧原湖に寄る。ここ一帯は別荘地や避暑地らしく、山を抜けると急に開け、整備された街並みが現れた。


茶色に統一されたセブンに寄り、私はアイスコーヒー、Cはフランクフルトを食べた。車内に夏祭りのような匂いが充満して、私もフランクフルトが食べたくなる。


適当に、太陽が沈みかけている薄暗い森を10分ほど歩いた。水色の沼は、着色料のように滑らかな色をしていた。不思議なものを見たと思ったが、特別嬉しいことでもないように感じた。柵は湖から少し遠かったため、本当のものとは思えない。小さな崖の上にある傾いたベンチに座り、沼を少し眺めると、もういっかという風に帰路に着いた。

車で1時間ほど走り、宿に着く。共有キッチンに行くと調理器具は仕舞われており、コロナウイルスのため調理を禁止するという内容の張り紙があった。


彼女は飲みに行きたかったようだが、面倒だったので私は乗る気じゃなかった。旅の最後の夜は、疲れが出るか、楽しくいきたいかで分かれるらしい。二段ベッドに畳があるような部屋だったので、横になり携帯をいじっていると特に会話をするようなこともなく、眠った。





2021/7/20 シソ

朝、商店街の渋い喫茶店に行った。たくさんの植物で飾られたたピンク色の建物の細い階段を登り、開店時間の少し後に着くと、電気がついていない店内で主人がに座っていた。


この時間の客は珍しいらしく、少し慌てながら中年の男性はどうぞ、と言った。Cが選んだ少し囲いのある対のソファー席に座ると、店主は室内の電気を付け、冷房を入れた。


メニューを見ると、うどんやおにぎり、カレー、パンなど色々なものがある。Cはメニューの写真を信用していないのか、Google マップの画像と見比べている。私はおすすめと書かれたうどんとおにぎりのセットに決め、彼女はモーニングセットを頼んだ。


店には、いつの間にか常連らしいお婆さんとおじさんがいた。暫くして料理がくる。わさびの乗った細めの冷たいうどんとおにぎりと野菜の天ぷらがいくつかと漬物。塩おにぎりには海苔の下に紫蘇が一枚挟まっており、中には梅干しが入っていて美味しい。こういう時、体はご飯の量に対応するように気持ちと体の受け入れ態勢になるので、全て食べられた。


店は何十年も営業しているように古かったが、トイレだけは綺麗で自動式だった。車の置いてあるコンビニに戻ってアイスコーヒーを買うと、日光経由での帰路についた。



大分疲れてしまっていて、互いに運転しない時は助手席で眠っていた。その間の風景はあまり覚えていない。やはり、車移動での土地の認識は、徒歩やバイクよりも薄く、早く過ぎていく。運転をすること、曲を聞くことに意識を囚われる。


福島から出る間際の道の駅に寄り、野菜や植物を売っていた屋外テントで4つ入りの桃を700円ほどで買った。母は桃が好物だった。Cはソルダムを買っていた。


日光に近づくと、ダムがあるという標識が見えたので道を曲がってみる。ダムの天橋を歩き、下を覗いてみると、遥か真下では勢いよく水が放流されていた。あれだけ水が下に流れていても、ダム上部の湖は何も変化が見えないので、水が生まれているかのように見える。


増山たづ子さんという、ダム計画が進む農村で60歳から亡くなるまで写真を撮り続けた人を思い出した。


日光の道の駅に寄って、天然氷のかき氷を食べた。2人で同じ金額を入れていたジップロックの仮財布もそれで丁度なくなった。


その後は、見覚えのある国道を進み、リサイクルショップに寄ってみて、小山駅で降ろしてもらった。それまでは悲しくなかったが、別れる時は何故か当分会えないような気がして少し悲しくなる。




2021/7/21 バッサバサ

16時30分、母の友人が営む美容室で髪を切った。店主は色の黒い細身の女性で、いつも自分の飼っている猫の物真似をしてくる。高校生の頃から彼女に適当に切ってもらっていた。


首に汗疹ができるので短くして、とだけ頼むと、ユキちゃんオリジナルカットで!(店主の名前はユキちゃん)と言い、髪をバサバサ切っていった。途中、金髪の坊主ヘアも勧められたが、少し悩んで断った。


暫く目を離して鏡を見るとアシンメトリーになっていた。よく分からないので、されるがままに店の隅にある大きな植物を見ていた。


彼女は、自室に猫を飼っているだけではなく、店先に猫用の餌場を用意し、野良猫たちに名前をつけていた。顎を怪我している男前の猫はジャック、品のある飼われてそうな雌猫はジェリちゃん、あと何匹かいるらしいが全員がJから始まっていた。ちなみに、彼女の飼い猫の名前はビビアン。


切り終えた髪の毛を見ると、前髪もアシメになっており、見たことのない髪型をしていた。見慣れない自分が1時間ほどで出来てしまった。迎えに来た母は、店主と共に私の髪型を褒めている。この姿に見慣れるのは自分が1番遅いのかもしれない。


その後、母と祖母の家に寄り、家に帰った。髪の毛が短くなるのは快適だった。身軽になった分、お風呂に入るのも動くことも全て行いやすく感じた。旅も行いやすくなる。




2021/7/23 やる気がない

父と釣りに行った。乗る気ではなかったが昨日は家を出なかったので、ついて行った。


ダムの渓流側でスーパーのお弁当を食べる。少しすると、フェンスの隙間から下に降りて、ミミズの付いた竿を投げた。釣れないが、父は何度も場所を変えては竿を投げろと言う。長靴で渓流を上る。1時間ほどいたが、結局何も釣れなかった。


車に乗って、生ぬるい風を浴びる。夕方の気怠い時間をこうやって父とのんびり過ごすのは嫌いではなかった。


今日は一日中眠かった。夕寝をして、パソコンを少し触ると6時30分になったので適当に胡瓜の酢の物や漬物を漬けた。漬物をするには遅い。7時頃に帰ってきた母も眠そう。明日締め切りの英語の宿題は明日やる。





2021/7/24 わわわん

今日は文章を書かないと決めて、自分のことと家族のことをしようと思った。2つの宿題を、両方とも締め切り2分前に提出する。


祖母に、昼はカレーを食べに来いと言われる。少し煮足りないカレーを食べる。昔、祖母のカレーが好きと言ったことを覚えているらしく、祖母は私の好物をカレーだと思っていた。


そのカレーには決まってレタスとミニトマトのサラダがついてくる。私が大学に入る前までカレーに福神漬けや辣韮が付いていたが、今はない。彼女は歳を取るにつれ、食への関心が薄くなっている。


また、数年前に足を骨折した後遺症のため、台所に立つことが前よりも困難になった。汁物はインスタントになり、おかずは生協の冷凍食品を食べている。



携帯で好きなラッパーが今夜の10時から宇都宮でライブをするという告知を見た。当日券もあるので行ってみることにした。好きと言っても、つい最近知ったばかりで全く彼のことを知らない。


ライブ後、トイレの前にある喫煙所で煙草を吸っていると偶然その人がいたので声をかけた。よかったです、と言って握手した。薬物の影響か目が据わっていて、私のことが本当に映っているのかよく分からない。なんでもない話を少しして、再び握手をして別れた。


ふわっとした心持ちでエレベーターに乗り、帰路に着く。朝の4時頃だった。朝日は登りかけている。途中、お気に入りの場所である渡良瀬遊水地に寄り、薄い色をした空に浮かぶ気球を2台見た。


家に着くと、丁度母と父が起きるところだった。私と父と母で様々な情報と行動とのバランスをとりながら今は生きている。




2021/7/26 きれ〜い

両親が会話をしている声で起きる。少しの意識の中では聞き取れなかった言葉を母に聞いてみると、昨日父が買ってきたテニスシューズの話をしていたらしい。


今日から東京での深夜バイトがあるので、高田馬場に5泊する。この高田馬場という地名は親しみがないので、全く覚えらない。


12時、新宿に着く。高田馬場の宿が13時チェックインだったので、西口のコインロッカーに荷物を入れて喫茶店に行った。窓際の2人掛けの席に座ると、東京五輪で警備を強化している?警察官2人組と少しの歩行者が見えた。


くすんだ白いタイルの歩道に反射した太陽が眩しい。席の位置間違えたかなと思いながらゆっくりとパソコンを取り出すと、男性店員が注文を取りに来る。ホットコーヒーを頼む。


新宿で煙草の吸える喫茶店は、開いているだけで喫煙者が寄ってくるので珈琲は美味しくない。それが1杯500円以上するのでもう来るかと思うが、煙草を吸いたいときは何となく来てしまう。


微妙で適当に時間が過ごせればいい。時計を見ると30分もここにいられないようだったので、宿にメッセージを送って1時間遅らせてもらい、時間を作った。



高田馬場駅に降りる。降りたのは初めてだった。専門学校や大学が多いらしく、居酒屋やチェーンの丼屋など安価な店が多い。パチンコ屋の横にある、今は経営しているか分からない学生ローンという看板が目立つ。


大通りを早稲田駅方面に歩き、路地を曲がりとすぐに旅館という渋い文字が見えた。開いている薄暗いドアを見ると、老婦人が立っていた。


恐る恐る時間のことを謝ると、どこから来たの?と聞かれた。栃木だと答え、言葉を続けようとすると、乗り換え大変だったでしょうと重ねられた。


2階の4畳ほどの洋室に案内され、羽毛布団、電気、クーラーの説明を受けた。彼女は何度も同じことを言うので、トイレと水道、1階の風呂場の説明が終わった頃には少し疲れた。


料金を払い、帝国ホテルのチョコレートを貰う。すぐに外に出ようとすると、彼女は、疲れているでしょうから寝なさいと言った。仕方なくベッドに横になると、彼女は部屋を出ていった。そのまま少しだらける。


友人が20時にバイトが終わると言うので、20時過ぎまで街を歩いたり、写真の展示を見た。疲れると公園に座った。2つ隣では1人用のベンチの間にホームレスらしき男性が眠っていた。



20時過ぎ、西口にいるとメッセージを送ったが一向に友人と会うことができない。どうしてだろうと思うと、自分は東口にいた。すみませんと謝ると、友人が東口の方に来てくれてケーキ屋のバイトで貰ったというケーキを食べる場所を探した。


適当なビルに座り、2箱ある大量のケーキを見て好きそうなやつを食べた。あんまり美味しくないな、と彼女が言った。ケーキを1つ食べ終わると、警備員が一度通り過ぎた後こちらに来て、ここは敷地内なので飲食はちょっと、と言い、私たちが立ち去るのを確認する前にどこかへ行ってしまった。


敷地を出て会社の看板を見上げると、大手保険会社のビルだった。そりゃ駄目だと笑う。警備員が厳しくなかったのは、こんなところで飲食する奴はいないからだろう。


その後、歌舞伎町のラーメン屋に行って辛いラーメンを40分程かけて食べた。店先に座って煙草を吸いながら何かを話す。こんな場所で何故か穏やかな優しい気持ちになれた。






2021/7/27 夜から朝

バイトは20時30分から。昼過ぎにお腹が減ったので、高田馬場を歩いて食べ物を探した。ベトナムのサンドであるバインミーのお店があり気になったが、その時は小心者だったので向かいにあるスーパーでプラムとトマトを買って帰った。


昨日の残っていた経口補水液とトマトとプラムを食べる。病人のような食事だったが、元気だった。コンビニで、レッドブルと作業用手袋とおにぎりとポカリを買って集合場所であるミッドタウンへ向かった。


その際、東西線に乗ったが、宿の目の前に東西線入り口があるにも関わらず、高田馬場駅まで歩いていた。どうしてこういうものは重要なのに目に映らないのだろう。確か、翌々日の帰り道に発見する。



集合場所に行くと、少し離れておにぎりを食べた。今回も同じミッドタウンの35階なので、一度そこに荷物を置くと現場監督と共に朝礼を行った。早口で何を言っているか分からなかったが、最後にみんなでヨシっと右手を小さく挙げる。

その後、地下3階からの搬入が始まった。前回より箱物が多くて運びやすかったが、3トントラック3台分の量を小さな台車に乗せて、高さ100メートル以上を高速エレベーターで往復するのは体に負担がかかった。毎回耳が詰まり、脳や内臓が少し浮いているようにフーンとする。


1時間30分毎に長めの休憩を挟み、怪我や建物と商品に傷をつけないように気をつける。前回にいた力持ちの男性がいなかったので、その分の力仕事が私にも振り分けられた。


重いものを持つと、その時だけ腕の筋や血管が表面に出てくる。自分の腕も逞しいものになったが、男性の腕と比べると同じ部位なのに全く異なったものに思えた。


この仕事の良いところは、朝に向かうにつれて徐々に明るくなっていく空を見ることができることだった。分厚い雲の隙間が赤く滲んでいる。スカイツリーと東京タワーが遠くに見える。


作業後、1メートル程のゴミ袋8つ程を持って下まで運び、六本木駅で解散すると5時を回っていた。この仕事の後は皆疲労しているが、私は覚醒しているような感覚で電車に乗る。エナジードリンクを飲むタイミングが下手。





2021/7/28 メモ

足利の街では、値段を気にしない。仮住まいの街ではすごく敏感になってしまう。

生きる喜びのようなお金の使い方、贅沢、健康的なもの。生きていくことの最低限のお金、飯、等々。

東京にいるとご飯などは食べずに、コーヒー代や映画代にお金を使いたい。




2021/7/29 days 

この日が何日か分からない。7月28日、29日、30日が混ざっている。


昼頃に起きる。この街で昼食を探さなくてはいけない。部屋でGoogleマップを開き、中華屋、定食屋、弁当屋などを見る。外に長居したくなかったので、弁当屋を目標に街を歩いた。


特に食べたいものがなかったので、デミグラスのハンバーグ弁当を手に取った。帰り道は、違うところを曲がってみたりして宿まで戻る。途中、穴場らしい住宅街の喫茶店を見つけるが、定休日だった。薬局で何か買ったかもしれない。


部屋に戻って、インスタントコーヒーと弁当を食べる。弁当はほのかに温かかった。



この街でコインランドリーに行った。薄い布のA4のトートバックか黒いリュックに服を入れて、15分ほど北に歩いた。高田馬場と新大久保の間の住宅地の場所。健康そうなお婆さんがいる。


洗濯30分、乾燥20分。この間に私はスーパーに行ったかもしれない。缶コーヒーを持ったおじさんがコインランドリーの椅子に座っていたこと、私1人のコインランドリーで揺れる洗濯機、ドアからさす西日が床に細長く落ちていたことを覚えている。


特別、コインランドリーに思い出があるわけではないが、こういった場所の匂いや空気はぼうっとしてしまう。洗濯が終わると、あまりいい服ではないそれらをガッと鞄に入れて、宿に戻った。映画館には行けなかった。



始発近い電車は、不思議な人が多いように見える。自分もその一部なのだろう。隣の人は7月17日、一昨日の新聞を一枚持っている。綺麗に折りたたまれたそれを、落ち着きなく何度も見つめては周りをキョロキョロと見渡す。


仕事終わりにセブンで食べ物を買ってもらった。東西線に行くと、昨日と同じ人が同じような場所で点字ブロックを白杖で触りながら歩いている。少し行くと同じところでびっこを引いたスーツ姿の男性が同じ方向へ向かっていた。私は昨日と今日しかこの道を通っていないが、彼らやそれ以外のすれ違った人々は毎日同じ道を通っているのかもしれない。


こんな朝早くからスーツを着て何の仕事があるのだろう。私は細かな木材で少し汚れている。

土砂降りで晴れた後は、いつでも同じような気持ちになる気がする。

昨日と同じ道を通る。覚えていた道、いつ覚えたのか覚えている道。











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