2023/1/7 ?
ちゃんと日記を書かないで、2ヶ月経っていた。書くことに対して億劫になっている。
11月から1月にかけては、多分色々あった。仕事で飛騨や渋谷に行ったり、粗大ゴミを出し損ねたり、軽バンを買ったり、引っ越したり。
車は、仕事がひと段落するにつれてソワソワし始めたので、試しに中古車を見に行ったら、担当者に焦らされて契約をしてしまった。お金を振り込むまでのやり取りは電話とショートメッセージだったので、ずっと嘘みたいだった。
ローンは色々するのが面倒くさかったので、金利の高いものを選んだ。担当者が色々してくれて、電話で名前や生年月日などを言うだけでローンが組めた。すごい。
12月6日、栃木のビックモーターで納車をして、次の日には東京まで走らせて部屋半分を引っ越した。引っ越し先は、祖母が住んでいる家の使われていない部屋。そこら中に、埃と土壁から落ちた土が散らばっていたので、とりあえず荷物を置き、12月8日には東京へ戻った。
という感じで、仕事と納車と引っ越しのことを考えていたら、1月になっていた。日記がなくても生活はできるが、記録がないので何だか怠惰に生きてしまった気がする。それもそれで快適。
最近は、祖母の家の掃除をしている。祖母は今年92歳で一人暮らしをしている。私が中学生のときまではよくこの家で過ごしていたが、ここ数年はちらっと祖母の顔を見るだけで、部屋や台所などをじっくり見たことがなかった。
試しに台所の引き出しを引いてみると、ゴキブリが数匹死んでいるのを見た。他にも色々見てみると、ゴキブリやゴキブリの糞がたくさんあったので、母と一緒に大掃除をした。
使わない大鍋やベタついた食器をまとめて、クリーンセンターに持っていく。小棚や布団を含めて、80キロほどあった。
かつてはこの2階建ての家を切り盛りしていた祖母だったが、高齢になるにつれて食事や洗濯など生活の最低限のことで疲れてしまい、戸棚や押し入れなどには気が向かなかったらしい(それでも各部屋の換気は毎日している)。私たちが掃除しているのを少し不思議そうに見ていた。
祖母との生活は、この家の妖精と暮らしているようだ。祖母に対して頼り切ることもできないので、心持ちは一人暮らしに近い。しかし、朝昼晩と15時などのお茶は必須なので、この家に染み付いたルールには従い、それ以外は自由にやっている。
今日は、自分の部屋の古い土壁の上に石膏ボードを切って貼り、白く塗った。難しかった。冬が明けたら、車中泊を始めたい。
2023/1/10 エビチリ
今日は朝の6時40分頃の電車に乗って、神奈川の方へ向かった。北千住で乗り換えた千代田線は満員電車で、ダウンを着た人々が密着していた。
その様子を上から見れば、蜂の子に似ていると思う。手足がないまま蠢いて、電車の揺れや人々の動きに流されている。そうしていると妙な安心感を感じて、立ちながら少し眠ってしまった。
用事が終わり、お昼は駅にある餃子の王将でエビチリ定食を頼んだ。満腹のぼうっとした頭で田園都市線に乗り、眠りながら北千住に着いて、特急の電車に乗った。
大きな窓から見える景色は、同じような家とマンション、アパートがびっしりと連なり、全てが冬の西日に照らされている。
冬の寂しそうな光線は、どこか春の気配が漂っている。何となく、季節によって光の色が違うのは良いことだと思った。
1年ほど前は、景色の正体を暴くために、厳しい感情で色々なものを見ていたが、今は不思議な余裕を持って風景を眺めることができる。過ぎ去る風景に没入し、消えてはまた生まれていく自身を思い浮かべたりする。
2023/1/15 あんこう鍋
最近だらだら読んでいる本の中に、絵を描かなくなると絵が描けなくなる、という感じの文章があり、何にでも当てはまるなと思った。
文章を書かなくなったから書けなくなったし、絵を描かなくなったから描けなくなった。
けど、私は書けない状態も好きなので別に焦っていない。焦ってきたら書けばいいと思う。怒られたら止める、やばくなったら逃げる、締切間際で終わらせる、とか。そんな感じで、体が反応しないと何もできない。
昼は塩ラーメンを食べて、夜はチャーハンを食べて、多分これからあんこう鍋を食べる。
久しぶりに2月に北海道へ行く計画を立てると、脳の忘れていた場所が動くような感じがした。
2023/1/16 北海道の人たち
今日は武蔵美の卒業制作展と、西荻窪で友人の展示を見る日だった。国分寺駅で乗り換えると、学生時代の会話や食べ物、人のことを思い出して、一瞬自分がここにいないような感じがした。
「懐かしい」を感じると、体の寒さや辛さが和らぐ。体の器官がふわっとして、その感覚にずっと浸っていたくなる。
何となく、包まれるような感じだ。風景や空気包み込まれて、今から少し離れる。目に写っている光は今のものなのか、記憶の中のものなのか分からない。これらは意識的にできるものでもないので、風景がそうさせるのかなと思う。
武蔵美の卒制は、雨で寒かった。卒業制作は無差別に作品が置いてあるので、感度調整が難しい。人と回ったおかげで色々見られたが、いつの間にか自分がそうやって作品をある程度区別していることに気がついて少し悲しかった。
その後、西荻窪に行き、ギャラリーで北海道から来ている夫婦と会った。半年振りに会ったが、全く違和感や懐かしい感じがしなかったので、住んでいる場所や気候が全く違くても何となく似ていることを考えて生きているのかと思った。嬉しい。
展示は、2人の素直さと土地の厳しさが交わっていて好きだった。その後はバストリオの人々と合流して食事をした。
2022/2/28 と
地元から東京に行くとき、行きの電車は明るいので大丈夫だけど、帰りの電車は人の疲れているエネルギーが酷くて気がやられる。なので、途中の埼玉まで車で行った。
1人で温度や飲み物を好きにできる場所は気が楽だ。運転の疲れも、電車の無駄な心労に比べれば気分がいい。東京近郊の下り電車にある油じみた感じは何だろう。特別匂いがするとかいうわけでもないけど、なんか澱んでいる。
六本木で赤瀬川原平さんの写真展を見た。頭を殴られたような感じがして、大学の授業で知った路上の感覚を忘れていることに気がついた。
どうしてこの身近な感覚を直ぐに忘れてしまうのか。良くも悪くも身を置いている環境のせいだろうか。人間にとって、話を聞いてくれたり、何かを見てくれる人や場があることが大切だと思う。
展示を出て、近くの喫茶店に入る。お客さんはいなかったのにカウンターに通されて、何故か端の誕生日席のようなところに座ってしまった。
テーブル席で賄いのパスタを食べる店員とコーヒーを淹れてくれる店主を見ながら煙草を吸った。お洒落と家庭的が交わった不思議な店内。徐々に慣れてきて、全てどうでも良くなった。トイレが全面鏡張りで怖い。元スナック?
その後は森美術館に行った。若い女の子が作品の前で互いを写真に撮っていた。なんとなく誰かの作品が消費的に捉えられている感じがして嫌だった。ここは立地的にそういう場所なんだと思う。
その後は表参道で人と会って話をした。自分の状況が少し不思議なことやこれからのことについて思い出した。
2023/1/31 シクラメン
朝、祖母の呼吸が変だったので、母が救急車を呼んだ。シーツに包まれた小さな体は救急車に乗せられて、母と共に近くの病院へ運ばれる。
私は、顔を洗って燃えるゴミを出すと、実家にいる父を車で拾いながら病院へ向かった。
待合室には母しか入れなかったので、父とドトールのコーヒーを飲んで病院の椅子に座っていた。この病院は新しくてこの辺で一番大きい。目の前をたくさんの人が通り過ぎた。
父と他愛もない話をしていると、一度家に帰るということになったので、父を実家に送り、私は祖母の家に帰った。
家は、寒くてがらんとしている。とりあえず仏壇に線香をつけた。こういうとき、仏頼みになってしまう心境が少し分かった。
仏壇の花が枯れかけていたので、スーパーへ花を買いに行く。百合が多めの黄色とピンクの花束。少し春っぽい。
すると、このまま入院になるけどコロナで面会禁止だから今しか会えない、と母から連絡があったので、病院に行った。祖母は目を瞑ったまま、人工呼吸器でなんとか息をしているようだった。
手は温かくて浮腫んだ足は冷たい。祖母が倒れることは何度も想像していたが、実際に目の当たりにすると感情が整理できずに涙が出た。
祖母の家に引っ越した12月末から続いている掃除や共に過ごした生活は、祖母との葬式に近いものだったと思った(まだ生きている)。
祖母の一人暮らしの生活を見て、たくさんのことができなくなっていることを知り、小さい頃に抱いていた祖母の像を壊した。そして、汚れている場所を掃除して、清潔が維持できる程度に物を捨てた。
私は普段からものの意味などを考えているが、祖母が使っていた全てのものを維持できるほど自分や家のスペースに余裕がないのだと思った。1つ1つの選択の度に自分を疑ったが、そこは振り切らないとゴミ屋敷になってしまう。
これから祖母がこの家に帰ってこれるか分からないが、この家と物たちのことは時間を掛けて丁寧に扱いたい。それが作品という形になってしまうか分からないけど、何かしらで整理ができればいい。
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