2022/9/15
重い荷物を背負うと、これから移動をするのだという覚悟を感じた。毎回不思議だ。この力は身体から沸々と湧いてくる気がする。
熱海行きの電車に乗った。この路線は学生時代によく使っていたので、そのときのどんよりとした疲労がまだ感覚として残っている。本を読んだり、眠ることを繰り返して長い走行距離を漂う。
昼頃にお腹が空いたので熱海で降り、近くの蕎麦屋で天ぷらそばを食べた。注文した後に、そういえばあまり現金がなかったと思ったが、今の気持ちは天ぷらそばだった。
電車の眠りが覚めないまま、ぼんやりと茶を啜っていると蕎麦が運ばれてくる。食べ終わるとすぐに店を出た。車内で少し冷めた体は汗ばんで、満腹感に心が落ち着いた。浮いていた身体がこの地に留まったような感じがする。
熱海の空には分厚い雲が覆い、遠くの山々は濃い湿気で白くぼやけていた。この街はいつも元気な若者や年寄りが溢れているので、いくらか湿っぽい方が良い。
再び電車に乗る。本を読み、疲れたら眠って二度乗り換えをすると、浜松に着いた。電車の中で調べた喫茶店に向かう。
店は、飲み屋街を曲がった静かな通りにあった。魚フライの定食ランチを食べた喫茶店の街を思い出す。地方都市の裏路地は少し古びていて植物が多い。そういう場所が好きだった。
店に入ると、煙草を吸うか聞かれて一番奥の席に通された。店内には所々に客がおり、一人の女性客は壁際で食事を、一人の男性は窓際で読書、私の二つ後ろほどのボックスシートには歳の近い女の子が二人会話をしていた。
煙草の煙を胸いっぱいに吸う。この薄暗くて涼しい喫茶店から名古屋に行くことは、ほんのりと温かい感じがした。知らない街から知らない街へ移動していく。リュックには信頼を寄せた道具たちと多少のお金があった。
仕事は少し滞っていて、友人たちはどこかで生きている。換気のために開いたドアからは、車や人の声が聞こえた。ここで座っている間にも、街が動いている。何も見えないのに、はっきりと様々なものがあった。
浜松駅から豊橋駅で乗り換え、名古屋に行った。大きな道路に沿って北東に進み、落ち着いた商店街のゲストハウスに着く。狭いリビングには海外の方が三人と和室の方に同じく三人ほどいた。なので、眠くなるまで外で時間を潰すことにした。
小さな黒い鞄だけを持って外に出ると、先ほどのリュックを背負って歩いた道が少し楽しく見えた。商店街を抜け、暗い路地を通り、繁華街の方へ出る。
木曜日の街は妙に栄えており、若者が盛り上がる安居酒屋から薄暗いバーまで人が溢れていた。適当に入れそうな店を探していると、古臭い居酒屋を見つけた。
カウンター席に通されて、生ビールを頼んだ。その時に、老婆がごにょごにょと何か言ったので適当に頷く。
白い照明に少し緊張して、ビールを体に入れて煙草を吸うと、何かの煮込みの串と豚の脂身の串揚げが三本ずつ目の前に置かれた。さっき頷いたやつか、と思いながら食べる。
隣の日本風ではない女性から、美味しい?と聞かれたので美味しいと答えた。本当は味がよく分からない。そこからポツポツと話が生まれて、彼女たちと会話をした。
二人は名古屋出身の友人同士らしく、私の隣の女性は数年振りにオーストラリアから日本に帰ってきたと言った。
彼女たちはここが三軒目らしく、結構出来上がっていたので数十分ほど会話をすると帰っていった。質の悪いレモンサワーと彼女たちから押し付けられた残りの串を食べる。
十時前に宿に着くと、リビングでは男性がアコースティックギターを弾いていた。穏やかな曲調で、周りには青年と女性がいたが、誰も口を聞いていなかった。彼らの横を挨拶もせずに通り過ぎ、シャワーを浴びて寝る。
2022/9/16
七時に起き上がった。狭い九十センチほどの天井から抜け出すと、身なりを整えて近くの喫茶店に向かった。
日差しが強く、街は光っている。橋を渡った先にある喫茶店に入った。
喫茶店では、四人掛けのテーブルにサラリーマンや中年女性が一人ずつ座っている。白髪頭のワイシャツを着た人々は、これから仕事に行くのだろう。
その限られた時間の中で、煙草を吸って本を読んだり、朝ドラを見ながらご飯を食べていた。道ですれ違っても記憶に留めないような人々と一緒に朝の時間を過ごしている。
金色のインナーカラーをした若い女性がテキパキとホールをこなし、七十を超えた老人はレジの前に座って常連客と談笑している。厨房に立っている感じの良い中年男性は、モーニングのすべての注文を一人で捌いていた。
トーストとサラダ、ベーコンエッグ、フルーツのホットコーヒーモーニングを頼んだ。煙草を一本吸い終わる前にそれらは運ばれてきたので、日に当たった皿をぼうっと眺める。
全てのことに繋がる微かな感じが、一皿に詰まっていた。火を消して、ただひたすら食べる。そうして腹の中に収まると、満腹感で胸がいっぱいになった。この忙しなくも、ゆったりとした光景は、名古屋特有の時間の流れだと思った。
適当に歩いて宿に戻り、宿を出た。駅までの道を歩いていると、丁度九時に商店街に音楽が鳴り始め、店のシャッターが開いていった。軒先の老人たちは、ぼうっとまだ疎な人の流れを眺めている。
昼頃に京都駅に着き、カプセルホテルに荷物を預けに向かった。なんとなく、その通りにあった湯気の沸き立つ木造の料理屋に入った。
一番の靴箱に靴を入れて段を上がる。すると、天井の高い大きな和室があった。ポットにたっぷり入った温かい烏龍茶を飲む。
少しして、木箱と白米と汁、漬物が運ばれてきた。箱にはそれぞれに料理の入った皿が六つ、白身魚の油琳掛け、青椒肉絲、韮饅頭、イカと葱の和物、さつまいもの甘露煮、あと忘れてしまった一つ。
それぞれ全てに違った味と食感がして、丁寧な下処理を感じた。最近の出回っているレシピは、簡易化、同一化されてしまってどれも似たような味や食感になっているのだと思った。
外に出ると日差しが強かったので、近くの古着屋に入って服を買ってしまった。
お金を使った放心感で商店街を彷徨ったあと、銀閣寺行きのバスに乗った。混んだバスに座れたので、音楽を聴きながらぼうっとしていると、銀閣寺のバス停を十五分ほど通り過ぎた場所にいた。急いで降りて、反対行きのバスに乗る。
何とか閉門前に銀閣寺に入り、傾いた日に当たった古い壁や苔の多い庭園を見た。庭は落ち葉があまりなく、朝か昼に清掃をしていた誰かの姿を感じた。また、日本庭園の良さは、光ではなく影なのだ思った。
十七時頃、銀閣寺から坂道を下りて近くのレストランに入った。行きに通ったとき、庭で老人たちが酒か茶を飲みながら談笑していた店。
ハートランドを頼んで、煙草を吸う。通りに面した場所だったが、多少の茂みがあったのであまり目立たなかった。大きなダイニングテーブルに引かれた薄水色のテーブルクロスに日が当たっている。
私はただ、往来に佇んでぼうっと辺りを眺めている老人になりたかった。何か表層ではないものを見つめ、それが楽しみだと知っている。そうしたものになりたくて酒を飲んでみたが思考ははっきりとしていて、結局、文章に逃げるしかなかった。
二十時過ぎ、銭湯に行った。二十二時前、何となく知床で貰った渋いワンピースを着て、喫茶店に行った。店内は薄暗いと思っていたが、少し明るくて落ち込んだ。
隣の若い男性たちのしょうもない世間話を聞いて店を出ると、木屋町通を歩いた。人の集まる繁華街はどこも似たような感じがして、少し安心する。歩いているとガールズバーのスカウトを受けたので、自分が今どのように見えているのか分からなくなった。
2022/9/17
六時頃に起きて、寝巻きのような服でバスに乗り、朝から開いている東本願寺に散歩に行った。靴を脱いで本堂に上がり、他の人々を真似て隅の方で正座をしてみる。
少しして隣のお堂に移動すると、お坊さんたちが朝のお勤めをしていた。その後ろに参拝客が正座し、彼らを眺めている。私はその光景を部屋の外廊下から眺めていたが、どこかこの世のものではない感じがした。
天井が高く、光の届かない部屋の奥に、御本尊・阿弥陀如を中心としたあらゆる品々が静謐に身を沈めていた。天井から柱にかけては鈍い金色で荘厳されている。その中に数本の蝋燭が揺らいでおり、それは光でも声でもある様々な移り身のようだった。
ホテルをチェックアウトして、喫茶店に向かう。入店して少しするとAがくる。
彼女が妙に落ち着いていたので聞いてみると、Aは週五、六日朝から深夜まで会社で働く生活をしており、その間は七割程度のテンションで生きているので、休みの日は二割くらいになってしまうのだと言った。
モーニングを食べ終えると、バスと電車に乗って法隆寺に行った。ここは、土門拳という写真家が初めて仏像彫刻撮影を行った場所だった(多分)。
彼は二週間もの時間をかけて、この堂の中央に祀られた弥勒菩薩半跏思惟像(宝冠弥勒)と向き合った。足先を一方の足に乗せながら座っている小柄な像は、老人のような万有と子供のような軽快さを持っていた。
暗い部屋を出て、外の空気を吸う。自分の低迷気味の体調は台風が迫る低気圧のせいでも、強い湿気のせいでもなく、腹が減っているからだと知った。
近くの定食屋に入り、Aはカツ丼を、私はネギトロ丼を頼む。水の代わりに出されたものが、酎ハイグラスに入ったたっぷりの冷たい緑茶なので嬉しい。
食べ終えると、近くの停留所でバスを待った。定刻になってもバスは来ない。最初は不安と苛つきを感じたが、二十分くらい経つとそれらは清々しい気落ちに変化した。
目の前の歩道では、キャリーカートを押す老人が歩いている。彼女は数歩歩くと、ふうっと息を吐くように辺りを見回して、歩き出す時には両手をカートに預けその間に頭を埋めた。それはカタツムリのようにゆっくりな彼女のリズムだった。
早く移動するよりも、遅く移動することの方が難しい。心の余裕がないときには邪険にしてしまうその遅さを忘れたくないと思った。しかし、私は若いのですぐに忘れる。
色々なものを見て、買い物をして、近くの小料理屋で適当な料理と日本酒を飲んだ。私とAは、大学一年生のときにサークルで会ってから、お互いの好きなところに相手を連れて行くという感じで遊んでいた。
詳しいことはどうでもいいし、どうにでもなる。その感覚と金銭感覚が似ているというだけで遊んでいるので、共通の趣味や話題、服のセンスなどはまるっきり違った。なので、昼間に近況を話した状態で料理屋に行くと、そこで会話する内容はほとんどなかった。
その後は、Aがスナックに行ってみたいというので適当な店に入った。すると、美空ひばり好きが集まる店だったので、少し困惑しながらも酒を飲んでいると、店内の話に自然と入ることができた。
店内には、二十代後半の男性二人組、餡子のお餅を差し入れにくれた中年女性、私たち、一言も話さない中年サラリーマン、喧しい地元の中年男性が狭苦しいL字のカウンターに並んでいる。
2023/9/18
起きると五時で、窓の外はまだ暗かった。七時になり十分に夜が明けると、渡月橋には幾らか人の姿があった。窓の側にある椅子に座って、少し破れたワンピースを縫う。
すると、何かを待っているような不思議な気持ちになった。この薄い朝の空気を紡いでいるような、手仕事特有の確かな感覚。
釣りをしているときも、この手の交信がよく起こる。場所や時間、自分以外の不確かなものと交わる心地良さをホテルの一角で感じた。
宿を出て、駅まで歩く。浅くて川幅の広い水が、ちょろちょろと流れて朝の光を浴びている。
駅近くの喫茶店に入った。店は、地元の中年、高齢層が出入りし、壁や天井はヤニや埃で黄ばんでいた。シナモントーストとアイスコーヒーのモーニングを頼んで、煙草を吸う。
それぞれの客は一人で来ていたが、ほとんどが顔見知りらしかった。カウンターに座る中年男性が、俺の買ってくる冷麺美味しいな?、と隣のお婆さんに話しかけると、お婆さんが、うん、と力強く頷いたのをよく覚えている。
お婆さんはそれ以外に言葉を発さず、丸くなった身体を更に丸め、カウンターの端に座っていた。店の夫婦は、私たちにも常連にも変わらない態度で接する。
午後は、兵庫県の北部で演劇を見る予定があったので、京都駅まで移動し、そこから特急列車を二本乗り継いで江原駅という場所に着いた。道中は、平地の少ない山間部の村落を通り、いくつものトンネルを潜った。
明日は台風が来るらしい。雲は空の低いところまで下りてきていて、今にも雨が降りそうだった。
バスに乗って道の駅に着くと、今日宿泊するペンションの人が車で迎えにきてくれた。神鍋。キルトがひかれたベッドに寝転ぶと、自分が疲れていることを知った。
十五時前、会場に着くと、体育館の二階にある蒸し暑いキャットウォークに通された。一階では、知床で知り合ったMさんと髭を生やした男性が絶えず何か音を発している。
リハーサルのようだったが、本番でもあり、普段の行いでもあるようだった。破綻しそうな緊張感と延々と繰り返される安堵で、窓の外を眺める。
丘の表面に生えた草が揺らいで見えた。けど、それらはこちらにもあって、そちらにもあった。そうあってもそうでなくても、どちらもあってどちらもない。そんな感じのことを彼らはしていた。
少しすると始まって、体育館から坂を登った薮の中へ移動した。四人の男女がそれぞれ動き回り、白い紐を木々の間に張って揺らしたり、文章を読んだり、墨で文字を書いたりしている。
彼らが動いている間、薄暗い藪の中には絶えず風が吹き、虫の音や葉が重なる音が聞こえた。ここでは、人間の動きも風も、全て同じ光と重さの中にあった。
その数十分が終わると、森には誰もいなくなったので、ないこともあることも一緒なのだと思った。
スキー場にある冬季営業の店に移動して、知床で知り合ったバストリオの人たちを見た。
店内に入ると、みんな一杯の水を飲む。すると、演者が小麦粉を練り始めて、あまり覚えていないけど確か、神様の話をした。神様いっぱいおるで!みんなこっちを見てる!みたいな台詞で、空気が緊張した気がした。
彼らはいつもリズムがあって、それが重なったり、減ったりして緊張と緩和をコントロールしている。小麦粉を練っていた人たちが外に飛び出ると、外の席へ誘導された。
ここでも様々なことが起こったのであまり覚えていない。風船がこの地の重さから離れ、雲の奥へ消えていくのを見た。
それを見終えた後は、この神鍋という土地の景色が何層にも重なって見えるようになっていた。空気には何重にも空気の層があり、草にも多種の形の草があった。遠くには山が見え、それはたくさんの現象や生物から成り立つ、とても大きな山だった。たくさんの神様がこちらを見ている。
最後の体育館では、一階の壁沿いに置かれたパイプ椅子が客席だった。マイクでぼやけた男性の声と、Mさんの不思議な響きを持つ楽器たちは、白昼夢のようだった。
この場所で響いたであろう子供たちの声、足音、ボールの弾む音、笑い声、全てが時間と共に解け、揺らめいていた。構築、解放、再構築。
公演を通して、この地と自身の体が共鳴する色、光、声を覗き見たようだった。拾える限りものしか拾えなかったけど、それ以外にもたくさんのものがあった。
終演後は、Aと一緒に近くのお店に行った。この街には三つの飲食店しかなく、常連さんがいないと営業時間内でも閉めることがある、とおかみさんが言った。
ごはんは、刺身や〆鯵、とろろなど健康的なものから始まり、最後には毛蟹の炊き込みご飯と味噌汁が出された。
宿泊先を聞かれて答えると、ご主人がそこの奥さんと同級生だと言い、宿まで車で送ってくれた。お土産に、と芋けんぴをもらう。
ペンションに戻ると、ご夫婦が明るく出迎えてくれ、温かい風呂に入って眠った。少し空いた窓からは虫の音が聞こえる。街灯の少ない暗い町で確かな温もりを感じるのは、私がここにいるから。
ここにいる、というのがどんなに難しいか。東京の部屋に帰ったときによく感じる。私はあと一泊、兵庫県内に泊まる予定だったが、台風で予定の日に帰れる保証がなかったので、明日、Aと共に東京へ帰ることにした。
2022/9/19
窓が明るくなったので目が覚めた。雨の音が聞こえる。ぼんやりしていると七時頃になり、Aが目覚めた。
八時頃に朝ご飯を食べようと下に降りると、雨が強く降り始めた。ご主人は私たちを席に案内すると、温かい野菜のスープを出して、テレビに神鍋の一年という映像を流した。
春には桜が咲いて、凍った滝が溶けて流れ、夏には緑色の山を歩き、冬は雪が降っていた。私はここに一泊しかしていないのに彼らは何年もここにいる。
ご飯を食べ終えると、庭に出て少し散歩をした。外に出ると、雨は次第に弱まって傘がいらなくなる。昨日感じた景色の層はまだ続いており、少ししか歩いていないのにたくさんのものが見えた。
道の駅まで送ってもらう。逃したら一、二時間はこないというバスに乗って江原駅に向かった。
駅の窓口に行って、台風の影響を受けている路線のことを聞いた。すると、一時間後の電車に乗り損ねると、もうここから出られないと言われた。台風に追われながら、バタバタと言われた通りの最後の電車に乗る。
福知山駅で乗り換えをしようとすると、予定の電車が運転をやめたので、次の電車までに吉野家へ行って豚丼を食べた。
二時間ほど車内に立ち続け、やっと京都駅に着く。遅延のお祭り騒ぎは初めて経験したので少し楽しい。新幹線は十六時頃には運転を止めるというので、私たちは十五時三十分頃のものに乗って東京へ移動した。
車内で八つ橋、芋けんぴ、葡萄を食べて眠る。行きは在来線で移動したものを、数駅しか停まらない新幹線で過ぎ去っていく。ここには、何も頼れるものがなかった。
風のない車内から見える、ほぼ並行に流れる雨粒。窓枠は飛行機と似ていて、飛行機や新幹線の気持ち悪さと楽しさを思い出した。Aは、予定があると新横浜で降りて、私は東京駅で降りた。
中央線で、自分と他者との関わりが分からなくなって、自分の体は意識と一致していないことを知った。新幹線の速さで離れ離れになったらしい。
気分が悪いのか良いのかも分からない。早く眠りたい。眠っている間に、意識は体へ徐々に近づいてくる。