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2022年6月 知床 






2022/6/21


午後六時半。飛行機から見える太陽は、私と並行にあった。この場所から見える白い光は、地上に橙色の夕暮れを落としている。私は大気と大地の間にいるらしい。小さな窓。飛行機から調達される空気を吸って、その排気音を聞いている。


下に広がる雲は、固くなったクリームのように段を重ねて静かに流れていた。海も静寂に身を固めている。飛行機が東北の地を超えると、白い塊はさっぱりと消え、海と雲との判別の付かない霞のようなものに変わった。


貰ったホットコーヒーが窓の隙間から照らされている。それは温かく、優しい飲み物に見えた。



羽田空港から女満別空港に着くと、そのコンパクトさに驚く。飛行機から降り、湿気のない空気に触れる。出口のあたりに友人(以下N)がおり、彼女の車に乗った。半年ぶりに会ったが、あまり懐かしい感じがしない。


Nの家には風呂がないらしく、そのまま空港近くの温泉に向かった。アルカリ性の滑り湯に入る。風呂を出ると、国道沿いで開いている店を探した。ひっそりと開いていたお好み焼き屋に入り、広島焼きと海鮮のお好み焼きなどを食べて帰った。


一時間ほどの道中は、畑やオホーツク海の暗闇を切り拓いて進んでいく。道の分からない私は、それが果てしない旅路に感じた。ぽつりぽつりと会話をしながら、山と空の境界が曖昧な暗闇を見つめる。


二十三時頃、斜里の家に着いた。それは旧裁判所の敷地内にある一軒家で、昔は社宅として使用されていたらしい。現在は博物館の所有になり、研修などの短期間の宿泊に使用されている。


しかし、旧裁判所とこの家は来年に取り壊されるので、それまではNが住まわせてもらっているのだという。彼女は博物館の仕事に週三回通っており、その伝だった。


玄関の扉は薄く頼りないが、中は広々として心地が良い。北海道の家にあるガス式の固定ストーブがあるリビング、それに続いた細長いキッチン、寝室、書斎。私は書斎に布団をひいて眠った。不思議な眠り心地がする。






2022/6/22


七時前に起きると、Nが「ちまき」と呼ぶ、笹の葉で包んだ団子を茹でていた。鳥取県の家族が作ったものらしく、昨日大量に届いたらしい。


その間に、私はお湯を沸かして豆を挽き、珈琲を淹れた。団子は笹の香りがして美味しい。私が熊本で買ってきた陣太鼓というお菓子を食べ、今日の予定を話し合った。


Nに着いて行くように車に乗る。彼女とその友人たちがアジトと呼んでいる土地へ行った。今は開拓の途中で、Nは毎日草刈りをしているのだという。


彼女が草を刈っている間、私はうろうろと辺りを歩いた。小さな用水路沿いには、色鮮やかな野生のルピナスがたくさん咲いている。他にも、少し不気味な橙色の西洋タンポポや黄色い花、細い白樺の林があった。あまり馴染みのない植物を見て触り、時間になったNを仕事場の博物館まで送る。


車で街を彷徨い、以久科原生花園という浜辺に行った。私はこの場所が好きだ。長く続く砂辺は、波に洗われて真っ新になったり、たくさんの生き物の足跡が残っていたりする。


冷たい風がが徐々に体温を奪っていったが、白い砂浜は暖かかった。灰色の海。私の足跡はズルズルと重たそうに線を引き、時折動物の足跡と交わる。遠くには、厚い雲に覆われた知床連山が見えた。


車までの帰り道、ハマナスの赤い花を一輪摘んだ。これは、晩夏になると徐々に枯れて花の付け根らへんに大きな実をつける。一昨年の北海道で、初めてそれを口に入れた感覚を何故かずっと忘れられない。花を車に置くと、強いバラ科の匂いがした。



昼、去年にNと来た喫茶店にいた。赤いソファー席の並ぶ、元スナックだったかの店。食べたことのあるスパゲッティイタリアンを頼んだ。


これはパサついた焼きパスタで、冷蔵庫の残り物で作ったら偶然美味しく作れたという味がする。具材はピーマン、マッシュルーム、玉葱、ベーコン。薄かったらと机には醤油の小瓶が置かれた。


前と味の変わらないパスタを食べ、少し薄い珈琲を飲む。煙草を吸うと、行き場のない煙が婦人会のように集まった老婆たちへ流れていった。


彼女たちの会話は数個のグループに別れており、雑多な喧騒として店内を澱ませている。まるで私の煙のようだった。新しく入店し、ここに座ろうとしていた婦人たちが、私のことを知らない人がいてびっくりしたと陽気に話している。その様子が朗らかだったので、私は気まずさを感じなかった。 



その後は、アルプ美術館や博物館へ行った。どちらも面白かったが、博物館の時系列順に並んだ生活用具が気になった。


展示は縄文時代から続き、オホーツク文化、アイヌ、農業器具の発達、そしていきなりテレビや箪笥などの親しみ深いものが現れた。私は驚いて、アイヌ文化の展示まで戻る。


それまでの道具にはあまり色彩がなかったので、文明と呼ばれる品々に対して違和感を感じた。おそらく日本には、建物や道具をペンキで塗る文化があまりない。私の知識内のアイヌ文化では、織物などを植物で染める。


なので、昔のものは自然の風景に対して違和感のない色彩だったのだろう。今、ものに溢れた世の中ではそうしたことを簡単に見失ってしまう。



Nの家に野菜がたくさんあったので料理をしたくなった。理由はそれだけではない気がしたが、とりあえず手を動かした。夏野菜を揚げて煮浸しを作り、玉ねぎとにんじん、ピーマンの千切りを、鱈の揚げたものと混ぜて南蛮漬けを作った。


建て付けの悪い小窓を開けると、冷たい晴れた風が油の匂いと混じり合った。私はこの家が好きだと感じた。おそらく理由は、もうすぐ取り壊されるから。


夜、Nと一緒に斜里から車で三十分ほどの奥地にある夫婦の家に行った。そこには東京から来たKさんがいて、一緒に夕飯の準備をした。


奥さんとKさんが昼間に行ったという羅臼のニシンとヒラメを食べる。私の作った料理も食卓に並び、皆に食べてもらった。自分の手作業が、他人の体に入って消えていくのはいつでも緊張する。今夜はこの家で眠る。






2022/6/23


不思議な眠りから目が覚めた。土地の眠りのような不思議なもの。


この家の主人は既に仕事に行っていた。この家の元居候であるNは、慣れた様子で私を犬の散歩に誘う。外は、既に強い日差しが照りつけていた。力強い真っ白なアイヌ犬に紐を付けて歩く。辺りは麦やじゃがいもなどの畑で、遠くに少し海が見える。


散歩を終えると、奥さんが仕事に行く準備をしていた。私は珈琲を淹れ、Nは大判焼きとちまきを温めた。Kさんが起きてきて、一緒に食べる。


その後、支度をしてNとKさんと共に知床国立公園に行った。公園は標高が高く、開拓の痕跡である穏やかな草地が広がっていた。人々は、草地に浮かんだ遊歩道をゆっくりと歩いている。のどかだ。草原の間から見える海は、水平線を超えて溢れているようだった。


昼は、海沿いの喫茶店に入った。昔は駅馬の休憩所だったらしく、国立公園のあるウトロと斜里の中間地点に建っている。


ハンバーグカレーを頼み、待っている間に「語り継ぐ女の歴史」という郷土史を読んだ。人当たりの良いNとKさんは、店主の女性と少し会話をする。ゆったりとした古臭い店内からは海が見え、理想の居場所のように感じた。温かい珈琲を飲んで店を出る。


夜は、今日の昼に東京からやってきた人々と一緒にご飯を食べた。黒胡椒唐揚げ定食は美味しいが、量が多い。


夜の旧役場庁舎に座り、私は徐々にこの土地の隙間に入り込むことになった。それと同時に、足元からの風で体が浮き上がるような感覚がする。


東京や知床で眠ることができる。食べることも料理をすることもできる。けれど、どこにも暮らすことができない。確かな予定を約束することができない。Nの家で、Kさんと三人で眠った。






2022/6/24


朝起きると、Kさんは山へ向かった。私とNは、ポットに入れたお湯や挽いた珈琲豆、お菓子を持って川の河口へ行った。


側にある海岸には、たくさんの流木が流れてついている。けれど、海と砂浜の間には消波ブロックがあった。どうやって乗り越えてきたのだろう。


Nと二人、滑らかな木肌を探した。少し雨が降っている。雨具のフードを被ると鮮やかな雨音が聞こえた。海は、たくさんの雨粒を何でもないように受け入れている。毎秒どれくらい増えているのだろう。


昨日の夕方、街のあらゆるところから霧が立ち上がっていくのを見た。この地は、繰り返し回っている。


Nが消波ブロックの間で鳥が死んでいるのを見つけた。肉はほとんど食われている。顔を近づけると、強い潮の匂いがして、体を強く引っ張られたような気がした。


流木が集まり、風が強くなってきたところで、車のバックドアを開けた下で、Nが珈琲を淹れた。煙草を吸うと、強い風が煙を持ち上げて、少し上空で雨と海に呑まれて消えた。


トランクルームに腰掛け、珈琲を飲む。防波堤で、ウミネコとカラスが二十羽ほど休んでいるのが見えた。オセロのように、白黒黒、白、黒と並んでいる。



午後は、昨晩の人々とウトロの夫婦、NとKさんと一緒にクリエーションをした。自分が普段考えていることを体を使って発表するような感じだった。三人のグループに分かれる。


「暗い倉庫、水槽の中の見知らぬ魚、こちらを見ている、水圧の漏れた空気、深水六十センチメートル。白い大きな目と目が合った、ブルーシートの陽だまり、ドンッ。」


「ここに集まるものは白くなる。掠れて、流されて、曝されて。」


「今日、流木を拾いました、私の拾ったもの、彼女が選んだもの、白と黒の鳥。揺れる風景、流れていく車の空気。飛行機の中で眠る体。」



二十一時二十分、内地に入った。青森の上を飛んでいる。街は、体の神経のように微かに繋がっていた。か細い灯りで、ぽつりぽつり。


私は、あらゆる光がなぞる輪郭を信じる。すると、暗闇の穏やかな、または激しい波や流れを見ることができた。街はいたるところに穴が空き、この二週間で見た湖や窪地のように、平地はあらゆる湖に侵されている。


私がおでこをつけてしまった窓は、額の油で少し曇っていた。海は波打ったまま固まり、船は二つ目の生き物のようにじっと身を固めている。都市では、たくさんの赤い目が瞬きをしていた。それは、敵意を持った動物の群れのように見えた。


二十三時十九分、中央線のホームにいる。金曜日の酔っ払いや、サラリーマン、若い女が多い。あやゆるものが不快で、皆が浮かれ立っているように感じた。


私は重いリュックと、数時間前の寒さの名残でトレーナーを着ている。この街では、トレーナーと長ズボンはとても暑い。


毎日、同じような工事している深夜の青梅街道。暗くなると、人々が集まってキラキラしたカラーコンを置き始める。この町に住んでいる雰囲気の、タンクトップの男性と目が合った。この地でも、私は旅人のようだった。












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