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2022年4月




2022/4/1 桜

するべきことをこなしていると、1日が終わる。毎日、リストを減らし増やしている作業みたいだ。何もしないことができる生活だが、やることに幸福めいたものを感じる。とても人間らしい自分が嫌になるような、良いような。


昼に学校に行った。桜が満開な正門をくぐると、今年から自分は1年生かもしれないと思って妙に焦る。


4年前の入学式。焦りと緊張を包んだ暖かい春の感覚が、桜に記憶されている。自分1人では思い出せないし、思い出そうともしない。ただ、学校の桜を見たとき、記憶や感情が思い出された。近所の桜では何も思わなかった。


卒業式の日、校舎に置き忘れた賞状を研究室に取りに行った。


生食用ではない野菜を生で食べると、火が通ることでいかに食べやすく味や食感が変化することが分かる。不思議。夜は、ぶり大根と小松菜のお浸しを作った。煮物は楽しい。




2022/4/4 市民


クレジットカードが不正利用されていたので、番号の再発行と住所変更をした。その後、区役所に行って色々なことを確認した。


すごい市民っぽい自分にびっくりしたので、安い洋風のファミリーレストランに入って、食事と赤ワイン1杯飲んだ。午後3時。雨と強風。


空腹と疲れでちょっと酔っ払った。今日は新社会人や新入生が誕生したりする日なのかなあと、ぼんやり考えたがどうしようもなかった。気落ちしていない自分を、少し不思議に感じる。


銀座の無印に行き、本を見た。中国の旅の写真本と他に3冊の本を買う。ビニール傘を差しながら、銀座から東京駅まで歩いた。長靴のおかげでどんなところでも歩けたけど、ズボンの膝から下は少しずつ濡れていく。体の音楽に揺れながら信号を待ち、東京駅の小さな風車が回っているのを見た。


最寄りの駅に降りて、父が昔よく行っていたという喫茶店に行った。店内は1人のお客さんと、片足を引きずった店主のおじいさんだけだった。


旅の写真本を見ていると、ニンジンの柄のカップとソーサーが置かれてちょっと驚く。最近、よくニンジンを食べている。


ページを捲りながら、中国の靄のかかった街並みや大きな川に、親しみを感じる。いつもは明るすぎると感じていた店内が、今日は妙に心地よかった。




2022/4/5 檸檬


ジャズを聞いていると、小さい頃に行った庭園のカフェの匂いや、藤の椅子、ギシギシと鳴る床板の記憶が蘇る。頻繁に通っていたわけではないけど、そこで食べたバジル入りのオムレツサンドを覚えていて、その風味や舌触りを何となく思い浮かべる。


しかし、ジャズと共にこの記憶が存在するわけではない。記憶は、予定のある朝ののんびりとした時間などにふらっと訪れる。電車の中で必死に周りから逃れようとするときなどには全く役に立たない。


昼に、人と話をした。自分の色々な悩みよりも、ロシア文学への共感や梶井基次郎の檸檬の話をしたのが良かった。その人と改札手前で別れて、少し悩んだあと電車に乗った。


檸檬の本を鞄に入れていると瑞々しい檸檬がポケットに入っているような気がしてくる。鎌倉に近づく。春の草木の色が車窓から見えた。この時期の、黄緑色の木々に埋もれた竹藪が好きだ。サワサワと素直に風に揺れている。


電車を降りて適当に歩いていると、大仏を通り過ぎてしまった。道のすぐ側に長谷寺があったので入ってみる。


3時過ぎの太陽が頭上に降りてきていた。目の前は白い光に包まれて、向こうは真っ暗闇。その中に、枝垂れ桜が浮いている。頼りになるのは足下の真っ平なタイル。


ぼうっと椎の木を眺めていると、なにかが動いた。なにかはギャーという鳴き声をあげ、枝を駆け登り、こちらを見つめた。リスのような不細工な動物だった。


見続けると、枝を伝ってこちらへ近付いてきた。動物は、枝を挟みながら私の様子を伺っている。試しに半歩ほど動いてみると、動物は一目散に遠くの木へ移って行った。


石造りの階段を登って、本堂に入る。金色の大きな仏像があったので賽銭をする。本堂を出て、お堂の両端に置かれた水かめにたっぷりと溜まった水の中に、神さまが宿っているんじゃないかと思った。


私は仏像を観に来た訳ではなく、この場所を維持する人々や参拝する老若男女を見にきたような気がした。人間を信じたい。




2022/4/6 プール


プールに行った。1時間歩いて、区の運動施設に着いた。着替えを終えてプールに行くと、ちょうど5分の休憩時間だったのでプールサイドのベンチに座る。


休憩時間が終わり、若い警備員が笛を鳴らす。水泳客は10組ほどで、中年の男性や親子がいた。皆がプールに入っていく。それらを眺めて1番最後にプールに入った。


温水プールの生ぬるさに思わず口元が緩む。肩まで浸かると、頭までざぶんと潜って鼻から息を出した。たったそれだけのことだったが、昔と体が変わっていることに気づいた。


すーっと壁を蹴って、浮かんでみる。平泳ぎやクロール。体の動かし方を覚えているけど、25メートルのクロールだけで息が切れたので体力は大分減った。悠々と泳いでいる体格の良い男性が羨ましい。


プールの底まで潜ってみようと思ったが、体を沈める方法を忘れてしまった。すぐに浮き上がる。


壁に手を当ててどうにか潜り、鼻を摘んで水面を見上げた。頭上だけが白く光り、あたり一面は青く揺れている。何か考え事をしようと思ったが、息が続かないのでできなかった。


途中、ぼうっと呆けた顔の老人がプールに来て、ちょっと歩いたり立ち止まったりしながら焦点の定まらない目を宙に浮かせていた。


何故か親しみと違和感を覚えてみていると、私もきっと同じ状態なのだと気付いた。何をする訳でもなく、不規則に動き回って立ち止まり、水に浸かっているだけで満足している。


目を開けてはいるが、何も見ていない。視覚以外の感覚を十分に楽しませることができるので、目がうまく働かない。




2022/4/10 光の街


それをすれば良いと思っていたことが少しずつ外れ、頼りないものたちに囲まれて生きている。生活が駄目になってきた。見た目の変わりはないだろうが、家事やなんやらに魅力を感じない。


平日は、するべきこととやりたいことが多少分かるけど、休日はわからない。街に出たらいつもより人がたくさんいる。昨日、付き添いでショッピングモールに行ったら、人のことを憎んでしまう感じがした。それで自分が少し嫌になった。


生活への試みとして、よく行っていた友人の家に行き、料理をした。ぶり大根、鯵の南蛮漬け、トマトの副菜、きのこのマリネ、麻婆茄子を作った。2時間ほどキッチンに立っていたと思う。


やり始めから最後まで、これは何だろう?と感じた。不思議な使命感によって、体が動かされていた。鯵を揚げるのが上手だった。友人は喜んでいたようなので、料理は味がしたのだろうけど、私はずっと落ち着かなかった。


電車の椅子に座ると、少しだけ安心した。予感された物事へ全てが落ち着いていく。ただ、私はこの街が再び輝きだすのを待っている。だから時折、街を出る。




2022/4/11 垢の付いた部屋


いらないものを捨てた。ものの配置を変えた。衣替えをした。すっきりした気持ちを得たが、続いたのは3時間ほどだった。


不思議な浮遊感に襲われる。夏服がハンガーにかかっているが、それらの喜びが感じられない。窓際に置いてみた、少し伸びた豆苗の葉に触れると、気分が落ち着いた。


今は、植物の苗を育てるべきか迷っている。植物の管理のバイトを応募してみたが、家でもできるのだろうか。買ってしまったら、もっとこの部屋に近づいてしまう気がする。


着替えて部屋を出た。1時間ほど歩いた先にある大型ガーデンセンターに向かう。知らない道を適当に歩いた。ガーデンセンターに着いて、植物を見た。1つ欲しいかもと思えたものがあったが、やはり全ていらないものだった。これらは、ここや誰かの庭先、道端、公園などにあれば良い。


また、人々がどこでもマスクをつけていて驚いた。人のいないところを1人で歩いている人や、自転車に乗っている人までも、きちんと鼻を覆い尽くしてマスクをしていた。皆、マスクをつけていることを忘れているようだった。


私は、マスクを外すと一般人になり損ない、マスクをすると街に溶け込めるような気がした。最近はよく歩いている。煙草がいらなくなって、買っていない。健康志向ごっこをしている。





2022/4/13 ねむり

可能性が潰れていくのはいいことだ。するべきことが分かってくる。船橋の路地を歩いてそう思った。電車に乗って眠っていたら、いつの間にか船橋にいた。


船橋についてから予約したレンタカーの時間まであと2時間。暇だったので、知らない女性の後ろをついて行った。駐輪場で別れる。


その後、喫茶店でポークカレーを食べた。運ばれたとき、祖母の家の匂いがしてドキッとした。カレーはいつも何かしらの記憶と結びつけられるから、本当の味が分からない。


レンタカー屋に行って、赤いアクアに乗る。目的地がない。ただ、車に乗ったら良いのかもしれないと思って借りただけだった。


3時間ほどよくわからない道を運転したあと、私はどこにも留まりたくないからこんなことをしているのだ思った。窓を開けて風が入る。


アクセルとブレーキを適度に押している私の体は、車の一部だった。身体感覚を失うために、私は車と同化しているのかもしれない。


思考もぼやけ、どこかへ向かうこと、道の信号のことだけを考えている。車の脳はカーナビだと思っていたが、車の脳は私だ。車が体だ。そうなっている間は満たされた。


800円ほどのガソリン代を払って、船橋駅まで歩く。総武線に乗って荻窪駅で降りると、手元のカードキーでホテルの308号室が開く。




2022/4/20


個人事業主になった。といっても、手元には控えの紙しか残らなかったので、いまいちぴんとこない。何をしたら良いかはどこかのサイトが教えてくれるので、誰でも個人事業主になれる。昨日食べたラーメンのせいであまり体があまり良くない。経口補水液が空気のように体に入る。美味しい。









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