2022/10/4 夜
朝から人の手伝いをした。疲れた。
市ヶ谷で窓を見たら、水面がキラキラしていた。駅の白い光を反射している。明るい車内。水はこれくらいの距離感なのだと思った。実家へ向かっている。明日は両親と犬とキャンプにいつもの湖へ行く。
2022/10/7 閑散旅行
足利から水戸への移動は寒くて薄暗くて、冬みたいだった。皆んな寒そうで、降っている雨は雪みたいに見える。
小山から出た電車は、下館に着くまでに一号車にいた乗客は皆降りた。1人、学生の女の子が乗車する。車内はがらんとして外では雨が地面へ強く打ち付けていた。
いつの間にか水戸に着いていた。薄暗い高架下のようなホームに降りる。雑居ビルの4階にあるうどん屋さんに入った。薄暗いエレベーターまでの入り口も、すぐにも止まりそうな狭いエレベータも、サラリーマンしかいない店内も全く緊張しなかった。
恐らく、冷たい雨で鈍くなった光と街が、私に優しいからだった。私は大人しくサラリーマンの風体でカウンターに座り、昨日から考えていたカレーうどんを頼んだ。
待っている間、三島由紀夫の金閣を少し読んだ。店内には中年の細い女性が、忙しなくうどんを運んでいた。彼女はこの場所に慣れすぎていて、忙しいはずなのにあまり忙しそうに見えない。
鍋焼きうどん、肉うどん、月見、カレー鍋。新しく来る客と、彼女が出来上がっていくうどんを置いていく声がいくつも聞こえた。
会計を終えて店を出ると、美術館まで商店街のような道を歩いた。土砂降りの金曜日の美術館は人が疎らで、しんとしていた。大学時代、2ターム分ほどの授業を受けた人の展示を見た。
上手く言えないけど、よかった。壁の使い方や、自分の生まれや環境と厳しく向き合っている作風に、なるほどと思った。帰りに作者が近くにいたので話しかけようと思ったが、自分が陰気で無口な気分だったので話しかけられなかった。
帰りは近くのバス停からバスに乗ると、車内は学校帰りの高校生で溢れていた。駅に着き、東京駅までの特急券を買って、近くのミスドでドーナツ4つとホットコーヒーを買った。
ちなみにドーナツは、ハニーディップ、カスタードクリーム、ゴールデンチョコレート、チョコレート。1番好きなのは、ゴールデンチョコレート。
特急電車に乗りながらドーナツを食べるのは、とても幸せだった。
2022/10/11 東京
昨日は吉祥寺に行った。吉祥寺に行っても大抵何もうまくいかなくて、すごく疲れて帰ってくる。疲労するために行く街。何も快くない。どんよりした人々と若者とベビーカーが多い。
今日は、初めて阿佐ヶ谷までバスできた。青梅街道はずっと銀杏並木だった。引っ越しするとき、南阿佐ヶ谷と西荻で迷った。当時は通学で中央線が必要だったけど、今だったら南阿佐ヶ谷に住みたいと思う。
久々にいい気持ちになった。気候と体調が合っている。いつも雨や雨が降りそうな日に張り切って出掛けるから、散々な気持ちになるのだと思った。晴れた日の軽い格好が良い。
お洒落着は自分の性質にあまり合っていない。もしくは、今の生活がそれを望んでいない。お洒落は体力と気力が必要なので、世間の美人は本当にすごい。
阿佐ヶ谷の区役所は混んでいたが、私の用事のあるところは誰も待ち人がいなかった。すぐに用事が済んだ心地よさで、売店で「なみすけ」の巾着を買ったら、「なみきおじさん」だった。
その後は、上野で友人2人と昼飲みをした。よく分からないけど、私が昨日言い出した。こんな天気の良い昼間から酒を飲むのは何か自虐的だった。
上野公園に座っていると、風が吹いて微かに糞尿の匂いがする。近くには喫煙所があって煙の匂いもした。人を待っていたら、待ち合わせですか?と片言の日本語でおじさんに話しかけられた。彼は10分前くらいから私の横にいる。会話をするかと思ったら、それだけだった。
内容も覚えていないような会話をしながら、14時過ぎから21時くらいまで飲んでいた。上野公園でぼうっとしてから帰った。
2022/10/12 1日食堂バイト
眠ったのは0時過ぎだったが、酒の影響で眠れなくて3時くらいまで何となく意識があった。5時半に起きてシャワーを浴びて身支度をして家を出る。
コンビニでおにぎりを買って駅までの道を歩きながら食べる。おにぎりの塩っけが体に嬉しい。
好きじゃない中央線(混みすぎ!)に乗り、神田駅で乗り換えをして、どこかで降りて、ゆりかもめに乗った。
早朝のゆりかもめからは、白いマンションの静かな街が見える。この湾岸付近の街並みは古いものがあまりないので、東京の混沌とした感じとは明らかに違う。広告とか看板がない。
住むには、何も成り立たなさそうだけど、たまに来る分には気持ちよくて好きだ。静かな空港とかもそんな感じだ。飛行機に乗るわけでもなくコロナ禍に行った空港は、白い光が満ちて穏やかだった。
テレコムセンター前で降りて、海の方へ向かって歩いた。よく分からないまま、税関の施設に入って警備員さんに案内されたまま二階に上がる。迷いながらも食堂の入り口に入ると、静かな厨房で少しの物音がした。
中にいるおじさんに声をかけ、質素な案内を受けて着替えをした。時間になったのでアプリでバーコードを読み取る。これがタイムカード。
厨房では、見たこともない大きなフライパンでたくさんの鶏肉が焼かれていた。私は、入念に手を洗った後、おじさんに指示されるまま、米を何合も洗った。
あまりにも素っ気なく説明が少ないのでドギマギしたが、お互いに名前さえも知らないのは心地よかった。この場での私は何者でもなく、仕事も住む場所も曖昧なただの働き手だった。
仕事が早いことを求められず、私がいなくても成り立つこの場所は、私の身体とかけ離れていた。ここにいる、ということが恐ろしく曖昧で、違う惑星に降り立ってしまったような気がする。
私は宇宙人だとバレないように必死に仕事をして、控えめな動作で余計なことをしないようにした。米を研いだ後は、野菜をひたすら切る。その野菜たちのことが少し好きになった。
その後は、ランチの定食の盛り付け。教わった通りにやっていたが、先ほどのおじさんにくどく訂正されて、とりあえず、はい、と言った。
昼時になって、働いている人々が食堂に駆けつけた。そうか、社会人って昼休みの一時間にお昼を食べるのか。私は麺類のカウンターに立たされて、食券を受け取っておじさんにオーダーを通した。
麺が茹でるまではすることがないので、手持ち無沙汰になる。麺を取りに行くと、つゆをお玉いっぱい入れてネギとかを乗せて出した。とりあえず、すみません、お待たせしました〜とか言っとく。
お玉をお玉入れに戻さないで、つゆの入れ物の中に入れていくと、一緒に保温されて持てないくらい熱くなった。他にも、乾燥機に入ったボウルを取るときなどに体が熱気を浴びた。
この嫌なもわっとした熱さは飲食店特有だと思いながら、またネギを切ったりして、14時に上がった。帰りには、食堂の手前にあった資料館のようなものを見て、大麻や薬物の密輸方法を学んだ。
1階に下がり、いかしたおじさん2人が営む個人商店で甘いコーヒーを買って一息つく。警備員と2、3人のスーツ姿の男性しかいない広く薄暗いホールの椅子に座ると、この場所が少し好きになった。今後来る約束がない場所は好きになりやすい。
2022/10/13 クロネコバイト
どうして少し前の私は、慣れないバイトを2日連続で申し込んだのか。誰かに操作されているような感覚で、予定に入ったバイトのため品川へ向かう。
朝は、洗濯物をして日記をちょっと書いた。それだけで1日の半分は済んでいるはずなのに、今日は14時から22時まで働かなくてはいけないらしい。
13時20分、目印のない場所から出発するバスに乗って、たくさんの人々と共に工場地帯のクロネコヤマトの荷物を仕分けするところで降ろされた。
小さい文字の契約書にいろいろ記入し、判子を押す。安全靴とヘルメットを支給されて、倉庫に案内された。いくつも稼働している長いベルトコンベアーの音や、トラック、色々な機械の音で広い倉庫は雑然としていた。
私は女性の持ち場であろう、社員?が分けた荷物をローラーコンベアの上で転がすということをした
仕分けている社員は、高速で流れてくる荷物の番号をいちいち確認して、何番から何番まではそのまま、何番まではこっちという風に、0、1のコンピューターの世界の住人のように働いた。
その手前で荷物を流している人々は、荷物を雑に投げつけて数を捌いている。取扱注意というシールがあるなし関係なしにそう扱う。時々、レーンから荷物が投げ出されて床に落ちていた。
こにある全てが狂っていると思った。これらは人間のあらゆる機能を無視した働き方だった。しかし、これを見て見ぬふりをしないと、全ての物流、世の中にあるリズムが崩れる。この果ての秩序の下、世間は動いていた。
私もその恩恵に預かっているし、世の中を変えられるほどの力はないので、この場所でのこの暴力や狂いはある種仕方ないのだと容認して、手を動かした。
16時の休憩時間になると、ほとんどの人々が狭い幅で雑多に置かれたソファーに座った。その場所は陰湿な教習所を思い出させたので、私は小雨の降る外に出て、コンビニのホットコーヒーと共に高架下の段差に座った。
派遣の楽しみは、休憩時間をどこで過ごすかという穴場を見つけることにある。薄暗く、人が疎な高架下はざっくりとした喫煙所になっていて、治安が悪く穏やかだった。
鉛空の下で、煙草を吸う。私は、気持ちの目標があって少しの予定があるから、こんなバイトにも来れるのだろうなと思った。
しかし、生きるためにここで働いている人もいる。それはかなり凄い出来事だった。仕事の向上も目標も、外界との関わりもない、この場所で生きる人生とは…。ほとんどの人が派遣というのは少し救われた。
17時からは22時までノンストップで先ほどの作業をやり、再びバスで品川駅に降ろされて、家まで帰った。とても疲れている。まだ目の奥にはレーンに流れ続ける荷物の姿が見えた。
2022/10/14 ななな
何にもしてない!けど、刑務所の中、という映画を見て、ご飯が食べたくなったので久しぶりにご飯を炊いてみたら、近くにあったホームフレグランスのせいでご飯が臭かった。とても悲しい。
2022/10/15 土曜日
体が疲労していて、気持ちも疲れた。そんなに気負う人生を背負っているわけではないのに。もっと気楽に堕落して生きていたいけど、何かに許されずちょっと働いたり、暴飲暴食を避けて生きている。
体調の滞りがあるときは、記憶をなくなるくらいまで酒を飲むと、危機感で体調がリセットされて元気になる。または、二日酔いの最悪さで、普通の体調でいることがとても幸せに感じる。
小中高生のときはまともに学校に通って、部活動をしていたのが不思議だ。
最近は、今の家に住んでいる理由がなくて、引っ越したいと思っている。自分が制作するものも少し分かりはじめたので、体を動かすために広めの部屋が欲しい。
今の部屋は生活を続けるには十分だけど、今の生活はもう飽きてきた。飽きたというか、慣れてきたので変化するべき気がしている。
今日は、私が半年以上バイトを続けられない理由をバイトをしながら考えていた。
2ヶ月は少しの緊張を持って仕事をするが、慣れや癖によって体を動かせるようになると、働きながら色々なことを考えしまい、この状況の改善策を考え始めてしまう。結果、バイトをやめることが現状の改善策になる。
また、同じ環境に身を置き続けることに対する恐怖を強く持っているので、その考えに至りやすいのだと思った。
その恐怖は、学校や友人関係でも起こり、一定の期間を過ぎると全てに対して嫌悪感を抱き始める。昔はそんな自分を不安に感じていたが今は受け入れているし、行動はあまり放棄的ではない。
2022/10/21 小料理屋
10月20日。21時頃、近くの公園に行くと、白い犬と黒い犬が原っぱの真ん中で戯れている。
その周りを2キロくらい走った。最初の少しは吐きそうになって肺や心臓が痛くなったが、それを乗り越えると一定のリズムで呼吸がとれて、いくらでも走れるようになった。
足のバネ、呼吸のポンプ、冷たい夜風、足元の暗闇。全て心地よかった。帰ってシャワーを浴びて寝たが、体がはっきりと目覚めてしまい、全く眠れなかった。
6時に目を覚まして、燃えるゴミを出す。夕方まで何かをしようとダラダラしていると、夕方から会う予定の友人から連絡がきて、新宿のストリップを観に行くことになった。
二度寝をして少し遅れた友人と会って、ゴールデン街入り口にあるビルの地下に降りる。入場券を買って中に入ると、狭い場内に結構な人がいた。今日は新しいシフトの初日だったので人が多いらしい。
1番前か1番後ろの席しか空いていなかったので、1番前に座る。1公演2時間15分で、演者の写真撮影の間に休憩として外やロビーに出入りできた。
客層は中年の男性や老人、大学生らしい若者などで、女性は私たちの他には3人ほどいた。その中の1人は見るからに初老の女性だったが、1人でこっそりと席に座り、待ち時間には詩集らしいものを読んでいた。
ひと公演、5人のショーを見終えると、不思議な充実感を感じながら劇場を出た。外の空気は、日没が近いのでひんやりと冷たい。
薄着だった友人は、近くの店で暖かいインナーを買った。そのまま総武線で移動をして、高架下の個人がやっているフランス料理店に入った。狭い店内のテーブル席に通されると、お喋りでお節介な女性が色々と説明をしてくれた。
下戸な友人に気を遣わず赤ワインを飲んで、2人で適当に冷菜とメインを頼んだ。暫くすると、冷菜の盛り合わせと暖かいパンが運ばれてくる。盛り合わせは、魚から野菜、肉、果実まで様々な味がして、パンはこの店で焼かれていた。
確かな美味しさと嬉しさを感じて、友人と顔を見合わせる。薄暗い店内で食べるゴチャゴチャとした料理は何にも気を遣わずに済み、また、隣のテーブルが中年の外国人女性たちというのも心地良かった。
オリーブの実などが入った暖かいパンをおかわりすると、焼かれた羊肉が運ばれてきた。周りには野菜や塩、赤ワイン系のソース、生ワサビなどが盛り付けられていて、骨付き肉にかぶりつきながら食べた。赤身の部分から血を感じて美味しい。
食べ終えると、友人はホットコーヒーとモンブラン、私は果物のガトーショコラを頼んだ。少しして運ばれてくると、それらは半分に切られ、新鮮な生クリームと無花果が添えられていた。
白昼夢みたいだ、と呟く友人と、少し酔っ払った私の脳内では同じようなことが起きているのだろうか。滅多にない良い1日だった。
2022/10/23 庭
バイトを辞めた。きちんと1ヶ月前に申請してから辞めたのは初めてだったので、どうしたらいいか分からずふわふわしていたら辞める日になっていた。
よく同じシフトになっていた人たちに、餞別としてお菓子をもらった。私もデパ地下で大きい箱の菓子を買った。
昨日、帰り際に初老の男性と握手をして、少しグッと精神を引っ張られた気持ちになったが、そう感じられる状況なだけだと思って、この気持ちは嘘だと思った。
何かを辞めるとき、何かが終わるときは、それまで特に感じていなかったものが急に綺麗に見えたり、よく思えたりする。私にとってその現象は恐ろしいので、意図的に一歩引くようにしている。
最後の日は、よく晴れた日曜日だった。港区のビルやマンションの間にある池や苔、芝地は優しい光を浴びていた。心地よい風の中、地べたに座って雑草を抜くことが少し幸福だと思った。
しかし、バイトとはいえ、雑草を抜くのは少し悲しい気持ちになる。いかにも邪魔な雑草を抜くのはそうでもないが、苔地に生えた1センチ程度のものを抜くのはあまり必要を感じなかった。けれど、小さい内に除草しておかないと、苔の間に根を張って徐々に抜きづらくなるらしい。
私はここで、人間の感じる美しいって何だろうとよく思った。黒松や赤松の大ぶりさ、苔地の奇妙な緑色、池で泳いている鯉。何が必要で何が不必要か分からなかった。
また、作業員という立場は奇妙だった。私は、お金を払って庭園や寺の庭を見るとき、それなりに良い気持ちを受ける。しかし、ここの庭ではその種の気持ちにはならなかった。
庭園の醍醐味は「触れられない」ことにあると思う。花々や苔が綺麗に保たれているところだけを見る、というのが快楽で、多くの人々にとって庭園は生活とかけ離れているものなのかもしれない。美の概念は、体の制限を含んだ心理作用?
だから、私たちは少しの雑草や汚れも綺麗に排除して、手間をかけた虚構を作り上げていた。これを維持するのにどれくらいの人員とお金が動いているのか、それを知ると少し不思議な気持ちになる。
働いている人々は、歳を取って一定の暮らしをしていそうな人が多かった。庭の仕事が生活のサイクルに組み込まれている、もしくは庭の仕事中心で生活が回っている。
けれど、私は安定を求めているわけではなかった。そういう性分だった。私も彼らみたいな生活ができれば良かったけど。
10/24
飛騨の喫茶店に入ったら、店主がウォール街を見ていた。
2022/10/30 おはな
通常の2週間くらいの予定がこの1週間に詰まっていたので、すごい疲労している。慣れない人と話すのは楽しいけど疲れる。飛騨に行って人と会ってライブに行って子供と触れた。不思議。
喫茶店の窓際で小倉トーストを食べて、風と日を浴びている。何もしたくない。
東京にいると、イベントや休日の人混みの影響を想像以上に受けるので、そうしたものが好きではなくなる。自分の都合で休んで、盛り上がりたい。
削られることを望んでいたはずなのに、実際そうなると消耗されすぎないように気を付けている。気をつけることをしたい。
明日はハロウィンなので家から出ない。今日は前日の日曜日。外にいるので、人がいない路線を通って帰りたい。
最近は人混みが苦手だと言うと、コロナ怖いですよね、と相槌を打たれることが多い。本当は、人ごみの中で苛立っている人々の気を感じるのが疲れるので、人混みが苦手。上着を着ているのに、知らない人の熱を何となく感じるのが嫌だ。怒っている人の体温や気に触れたくない。
