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2021年9月前半






2021/9/3 森の話


11時頃からある男性が管理する森に行く予定があったので、会社の黒いハイエースを借り、仕事をせずに会社を出た。その場所までは、コンビニなど寄って1時間ほどかかった。


国道から細い道に入って砂利道を進むと、ハイエースが止まっている場所に木を切っている男がいる。彼は、チェーンソーで横に固定した丸太を正方形の角材に加工している途中だった。


とても力強い作業だった。少し話をしたあと、2人で森に入った。彼は数年前にこの土地を手に入れたらしく、住む家や畑は別の場所にあった。人が手を加えた山を欲しい人はいないため、この森を家屋付きで格安で手に入れたという。


人間が介入したのなら、例え関係のない人間だとしても引き続き誰かが森の手入れをしなくてはいけない。それが人間が自然と共存するための責任だと言った。


森の中に街で見るような雑草が生えている。それは私たちの靴裏などにくっついてここまで運ばれきた。町から離れているから、そのことがよく分かる。


根を張ったまま枯れている木に、石のような丸いキノコが生えている。キノコの表面はクリームを絞ったように段数になっていて、1段が1年分で、その年数前に木が枯れたことを示していた。木が枯れてからキノコが生える。


木が地面と平行に伸びた後、上にぐんと成長しているものがあった。平行の時は、栄養を蓄えながら自分が伸びるタイミングを窺っている。自分が成長できるタイミングを見つけると、ぐっと上に伸びて日が当たるように育つ。とてもエネルギーを使うのだろうに。すごい。


また、木は生きているが、1、2本枯れている枝があった。それは木が不必要だと判断して自ら枯らしているのだという。戦略的に森の中で生き残ろうとしている。


近くの沼で、彼はヒシの実を採った。忍者が使うマキビシのあれ。その中身が食べれるという。葉が菱形なのが名前の由来らしい。その後、近くの木をいきなりボキッバキッと折って、私に匂いを嗅がせてくれた。アイヌ語でオプケニという爽やかな匂いのする木だった。日本語はコブシ。


少し開けた場所で白樺を薄く削り、金具部分を摩擦させて火をつけた。その火に燃えやすいものを焼べて、火を安定させる。そこに網を置いて、先程採ったヒシの実を焼いた。両面茶色くなると、食べて良いと言われる。白い小さな実は、茹でた栗のようでおいしかった。


その後、彼は仕事に戻り、私は森を1人で歩いて写真を撮った。しばらくすると森の中でチェーンソーの音が聞こえたので近づくと、倒木を5か6等分に切っていた。それを近くにある軽トラに運ぶ。木材トングという道具を両手に持ち、木を持ち上げていた。軽々と運んでいたので私もやってみると、とんでもなく重かった。片手分だけ手伝った。


軽トラから遠く離れた丸太は、持ち上げて倒してを繰り返し、移動させていた。丸太が地面に落ちる度にぽんっぽんっと気持ちの良い音が森に響いた。軽い音がする。


仕事がひと段落すると、削り馬にその辺で折った細木を挟んで、ドローナイフという両手で持つナイフで先端の木を削らせてくれた。その部分をノコギリで切ると、小さな家や木ができた。


私はなんとなく天使のようなものを作ってみる。少しずつ会話をしながら、彼はベンチに座って見守ってくれていた。


16時頃、地面に落ちたカツラの葉が微生物の影響で砂糖を煮詰めたような匂いがすること、虫の付いた葉はそれに反応して小さな丸を作ることを教えてくれる。





2021/9/7 気配

駅前のホテル、朝の6時前に目が覚めた。ビジネスホテルは眠りにくい。マットレスが硬くて、地上の高いところにいる。匂いは限りなく消されていて、人間らしく人間らしくない。個人の痕跡がない部屋。


2泊経ってもこの部屋は落ち着かないので、雨竜沼湿原に行くことにした。旭川から車で2時間程走る。眠くなったら、幅の広い道に車を止めて眠った。現実の多い夢を見る。それは自分の考える最悪な想像と、都合の良い想像の両方がぐちゃぐちゃになっていた。


コンビニでおにぎり、干し梅、チョコレート、麦茶を買った。沼までの道を進むと、干上がったダムが現れた。初めて見たので少し興奮する。泥濘んだ地面の中には生活のようなものは見えなかったが、アイヌ語はこの奥の川や滝に残っているので、アイヌの人たちはこの辺りでも生きていたかもしれない。ダムと橋がなく、車のない大地を思う。


整備された道路と砂利道を何回か繰り返して、駐車場に着いた。小さな小屋に入ると、入山届を書いて500円の寄付金を払った。熊鈴なくても平気ですか?と聞こうとすると、勢いのあるおじいさんが入ってきたので諦めて山に入った。


往復5,6時間かかるような登山は初めてで、しかもその山が初秋の北海道だったのでとても緊張した。熊の存在が頭から離れない。


山葡萄の葉を見つけて、その辺りをよく見ると小さな紫色の実がたくさん生っている。ひとつ口に入れると、渋くて酸っぱくて山の味がした。


もう無理と思った先に、川が広がり、平らな藪に出た。熊鈴を持った女性2人組とすれ違う。その先に何かあるという気持ちで小走りに進むと、とても広い湿地があった。


小麦色をした細い草が風に靡いている。山は遠くに黄緑色をしていて、空と雲が嘘みたいに浮いていた。


小上がりの見晴台でコンビニで買ってきたものを食べる。すると、目の前にあるものたちを急に信じられなくなった。誰かがこう見せたいと思ったものを見せられていて、意図して美味しく作られたものを食べている。


荷物を食料も全てを投げ出して、草木をめちゃくちゃにしてやりたくなった。けれど、広いので無理そうだった。私の体も人間の大きさに留まったままだった。見晴台の丸太を叩いてみる。ポンと間抜けな音がした。



白い太陽。風は草を揺らしている。私はゴープロでそれを撮っている。体のバランスを固めて、呼吸を止めるている。どうしてそんなことをしているのか分からなかったけど撮っていた。


帰りは少し疲れて気が抜けた。気が抜けると急に体の疲労も感じるので、熊がいると思うことで体を強張らせる。そうすると体の疲労が軽減された。


山が暗くなってきたので、駆けるように下山した。走って、膝が体のクッションであることを知る。登山届けの写しを管理人に提出すると、お疲れ様でした、と言われた。疲れることだったのかと思うと、急に体の疲れを感じる。


旭川市内まで戻る道中で温泉に入った。温泉に入ると少し元気が出て、珈琲を飲みながら暗くなった道を走った。ラジオが心地良い。





2021/9/8 薄い心 早朝、滝を見に車を走らせた。山間に広がる平な田畑を見て、ダムを通り、山道を登った。最寄りの駐車場は廃業したホテルのすぐ側で、滝を見に行くにはその薄暗い旅館街を通らなければいけなかった。


大きな旅館が3棟ほど並んで建っている。坂に沿って建てられているため、建物はどこか奇妙で、色々な扉が何故か開いてたり、窓ガラスが盛大に破られていた。


入ろうかなと思ったが、禍々しい奥の雰囲気に良い気持ちはしなかったので、真っ直ぐ滝に向かった。こういった場所の、人間の手垢のように残り続ける生温かさは苦手だった。

滝周辺には誰にもおらず、動物の気配もしない。水の音と風で、動物が近づいてきても気づけないと思った。山の高いところから水が糸のように流れている。


川のとても大きな石の上に寝転がる。体は痛かったが、この石の形に寄り添うほどこの場所と親しくなれた気がした。勢いの良い川の音と葉の揺れる音が聞こえる。


帰り道、ふと嗅いだことのある匂いの感覚がして、辺りを見渡すと旭川の山で教わった葉が足元に落ちていた。丸い黄色の葉っぱ。山や人間との繋がりを思い出した。


その近くに羽のような植物の種が落ちていて、飛び損ねたのかなと思い、ポケットにいくつか入れた。しかし、車に乗る時、足裏にそれがついていることに気づいて、飛ぶだけが手段ではないのだと植物の意地を見た。また、私はその形の可愛らしさに惹かれていくつか拾ってしまったので、まんまと嵌められていた。



自分のことが嫌いか苦手なのかと聞かれる。初めて聞いた質問と言葉に驚いて、顔が強張った上で笑ってしまった。そんなことを聞いて何になるのか、よく分からなかった。


なんとなく、苦手や嫌いといった感覚の裏側に潜むものを知っている。だから、口に出す苦手や嫌いは嘘なのだと知っている。かと言って、好きということも嘘だった。傷つきたくも傷つけたくもないのに。言葉の奥に、鈍く光る刃が見える。



車中泊は体に素直になれた。眠い時はいつでも路駐して寝て、明け方の4時頃に寒くなると目が覚めて車を走らせた。車内は汚れたり、清潔を保つことを繰り返し、珈琲をよく飲んでたまに煙草を吸った。


物を集めて段ボールに詰め込み宅急便で出すときと、リュックに荷物を詰め込むとき、車を返却した後の開放感が好きだった。その足で、裏路地の喫茶店に入る。有難いと思った。






2021/9/9 連れ


車中泊をしていた。目が覚めて、帯広に向かう。午後にzoomで授業を受けた後、うどん屋に行った。交通量の多い見知らぬ土地でのチェーン店に安心した。その駐車場で窓を開けると、蝿が1匹入ってきた。


窓を開けていれば出るかと思ったが、なかなか出ていかない。手で外に押し出すと、一瞬外に出て、再び中に戻ってきた。


諦めて、そいつと一緒に釧路に向かった。五月蝿いという言葉の通り、羽音が耳障りで気に触る。音楽を大きくした。


道中、土手に登って動画を撮った。眠くなったので車を停めて寝る。窓を少し開けていたので、起きると風音や虫の声が聞こえた。足元を見るといくらか虫に刺されている。


再び動画を撮るため、窓を閉めて車のエンジンをかけると、なんとまだあの蝿がいた。こんないい場所で降りていかないの?と思い、少し愛着が湧いた。


夜は釧路の手前の町で眠った。日が登る前、一番寒い時に目が覚める。すると、まだ蝿はいた。時間が経つにつれて愛着が増す。最近は生き物と触れていなかったので、何だが蝿を頼もしく感じた。


コーヒーを買って釧路湿原に行く。去年ここに来たとき、穴場を見つけていた。朝靄のかかるとても良い場所だったので、前方の窓を両方とも全開に開けていた。気持ち良い。ある程度満足して一般道に戻ると、車内には幾らか虫がいて、多分あの蝿もいた。


気づいた時には、蝿はいなくなっていた。どこで降りたのだろう。1泊2日の蝿道中。





2021/9/10 北の地のこと

車中泊をしていた。道東のどこかで眠った。13時から北海道大学の文化人類学の教授とzoomで話す予定があった。知床の居候が私たちの間を繋げてくれた。


海沿いの町から山を登って、コンビニでジュースを買った。近くのコインランドリーに行って、大きな乾燥機付き洗濯機に汚れた服を入れて40分待つ。


それが終わると丁度、予定の時間になるはずだったが中々教授が現れない。車中泊のおかげで、ipadや携帯の充電状況が不安定だったので、20分経過したくらいで居ても立っても居られなくなった。海を見ようと再び、先程の海辺の町へ行った。


メールを読み返してどこか私の勘違いがあるか探す。なかったので、教授に何かハプニングがあったかとメールを打った。すると、時間を間違えていた、今から大丈夫かという返信があった。私は港の入り口に車を停めてzoomを繋げた。


寝不足でいまいち現状がわからない。自己紹介をして、車中泊してることを言うと、私も若い時やっていた、懐かしいと言われた。彼女は動物解剖の分野から文化人類学に移った人だった。ハキハキと私の質問に答えてくれ、1聞いたら10返ってくるので有難い。民俗学と民族学の違い。フィールドワークは人それぞれのやり方があること。


教授の研究対象はカナダの狩猟民族だった。カナダは民族の保護が厳重な為、学生の頃に1年かけて取材許可などの準備をしたという。彼女は、年に1度、必ずその村に訪れて生活を共にした。言葉は分からなかったが、一緒に生活するとどうにかなるらしい。


また、民族学の研究者は積極的に仕事の手伝いをしたがるので、現地の人に好まれる。その面では馴染みやすいが、きちんとした危機管理能力を持っていないと危ない。NOと言えないと、いつの間にかその村の嫁になってしまう可能性もある。文化が異なるので、そういった雰囲気になったら察する能力と、逃げれることが大切だと言った。


彼女は、コロナの影響で近年カナダに行けないことを嘆いていたが、その代わりに、その土地の手芸を学んだり、札幌の山奥で狩猟の練習をしているという。


他のフィールドワークの仕方では、同じ大学の教授に、様々な地域を転々としながら、同じ題材が地域によってどう異なるかを調べている人がいるという。1,2ヶ月滞在すると次の国に行くらしい。その人はそういった生活が好きでそうしているのかもしれないと、彼女は言った。


自分が好きなことに落とし込んで研究をする。社会人の生徒で、自分の分野の幅を広げるために文化人類学のゼミに来た人もいるという。また、学部や院を卒業したからといって皆が研究職になる訳ではなく、様々な職業に就く。


緊急事態宣言が明けたらいつでもゼミに遊びにおいでと言ってもらった。





2021/9/13 潮騒

早朝、半ズボンで海に行ったら冷えて帰ってきた。手が動かしにくい。


嘘をつく

自分にも分からないことを相手に伝えるのは言葉ではないのかもしれない

全てを見ることはできない

消える

風が吹いている

波がたつ

分かり合えない人間たちは限りのある時間と言葉で会話をする


価値観の合う人間と会話をすると、言葉足らずでも何となく伝わって、会話が続く。

異なる人間の時は、自分の持つ言葉をさらに重ねて組み合わせないといけないので、そのあやふやな考えがはっきりすることがある。


弱いので固まってはいけない

動き続けなければいけない

固まって芯まで凍ってしまうことを恐れている

一人で移動し続けることをしているようでしていない

必ず誰かがいて、会話をしている

笑う

気を使う

お茶を飲む


風が吹いてたまに砂嵐が起きる

肌に当たる

目が痛い

目を瞑って背中を風に当ててその場を凌ぐ

砂が入り込む

見えない

ペトペトしてザラザラ

穴の中が黒い

風がないとつまらない世界だった

どこから吹くかわからない遠くて近い風が草木を揺らす

髪が揺れる

地に足を埋めることはできない

動いてしまう仕組みだから移動を続ける




2021/9/15 緩やかなほとりを知っている


5時40分、誤ってゴープロのデータを消した。しかし、それがどんなものなのか覚えていない。


運転席を倒して寝袋に包まれ眠ると、変な夢を見る。見る?感じる。感じさせられる。都合のいい夢、未来のような映像というよりは認知される世界みたいな体験。起きてここはどこだか分からない。大きなトラックが横を通る。


東藻琴という道の駅で5時間ほど眠っていると、3時頃には寒さで目が覚めてしまったのでエンジンをかけて車を走らせた。車内が暖かくなると急に眠くなってうとうとする。危ないと思うと、路肩に止めて眠った。


北見でちょっとガソリンを入れて、コンビニでホットコーヒーを買った。その後、12時前に旭川に着いて、レンタカーを返却する。返却前にガソリンを満タンにするとき、働いていないのにお金がかかることは悲しいことだと思った。


商店街の裏路地の古びた喫茶店に入った。クラシック音楽が流れている。昼休憩のスーツ姿の人たちがグループで昼食を食べている。


煙草に火をつけてハンバーグとホットコーヒーを頼んだ。忙しない人たちが溢れる店の中に入れてもらえることは有り難かった。早く街に馴染みたい。


ハンバーグは、ケチャップの量が多いのかソースが酸っぱかった。ウイスターソースとケチャップを煮詰めたソースは育ちの味ではないが、どこか懐かしい味がする。美味しいわけではないが、雑で丁度いい。


食べ終わった後、知床のことを思い出した。遠い海沿いの街には繊細な人たちが集まるらしい。私も不思議とその人たちと少し顔見知りになって、たまに会いに行く。


1年前、1つのツイートで西伊豆に行き、それから流れるように引き寄せられて知床に3回行った。夏と春と秋。冬の本当の姿を見たことがない。遠いどこかで1粒ずつ準備している大きな冷たい塊を、クーラーの効きすぎた部屋で考えた。


何かを蒸す音、女たちの話し声、氷のぶつかる音、スポットライトの光、煙草を吸う男、電話の話し声、扉の音、革靴で床を踏む音、食器が触れる音。


14時頃、札幌行きのバスに乗る。流石に疲れていたらしい。1ヶ月ぶりに乗ったバスはすぐに眠くなった。















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