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2021年7月前半




2021/7/1 ビジネルホテル

民族資料館に行きたかったので8時に家を出ようとしたが、起きたのは8時手前だった。母が鮭を焼いてくれる。珍しい。母は更年期になってから朝食を食べないので、父と私の分だけを焼いていた。


塩っぽいのでご飯を一緒に口に入れると、久しぶりにまともな朝ごはんらしいものを食べたと思った。そのせいで、食べる速度も噛む感じもよく分からなくて、食べた後は胃が詰まっているような感じがする。


キッチンには、夏の野菜らしい黄色いミニトマト、なす、他は忘れてしまったが、みずみずしい野菜たちが置いてあった。今の自分には何故か遠いものに思えて食べ方がよく分からない。食器を下げて、身支度をする。


9時過ぎの電車に乗ると、雨粒で雲がかった窓ガラスの隙間から若い緑色の稲が見える。ついこの前まで黄金色の小麦畑だった。


2時間ほどの電車の中で日記を書き、西武国分寺線のあの僅かな時間で宮本常一の「民俗学の旅」を読んだ。すごく面白い。36ページの宮本が大阪に出ていく際の父の教えが良い。


「(1) 汽車へ乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か茅葺か、そういうこともよく見ることだ。駅へついたら人の乗りおりに注意せよ、そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また、駅の荷置場にどういう荷がおかれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。(中略)

(4) 時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。

(中略)

(10) 人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事な物があるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。」



新宿のビジネスホテルでぐっすり眠れたことを思い出して、東京にいる3泊は水天宮前のビジネスホテルをとった。1泊2850円、公式では4000円くらいするが、アプリで予約すると安い。


狭い部屋を予約したはずだったが、ホテル側の好意か何かで少し広い部屋になっていた。本当に望んでいたものではなかったが、わざわざ言う気力もなく、その部屋で荷物を広げる。机の真上にテレビがあって鬱陶しい。この机では何もする気力が湧かない。


12時を回っても眠ることができなくて、ビジネスホテルでゆっくり眠れるのは幻想だと知る。新宿で泊まった時は、昼間4時間眠った後の深夜8時間労働の3日目だったので、きっとどこでもよく眠れたのだろう。


それが偶然、ビジネスホテルだったため、ビジネスホテルに泊まれば気持ち良く寝入り、昼まで起きることはないと思ってしまった。そういう決めつけのようなものはたまにある。たまにあるが、些細なことですぐ忘れてしまうのでこうしてメモをする。マットレスが固い。




2021/7/2 偽物

11時頃、水天宮前駅から人形町駅間にある昔ながらのパン屋で、粒々のパンに挟まったサンドイッチとフルーツケーキとカフェオレを食べる。雨が結構降っていたので、ホテルから10分歩いただけでズボンがかなり濡れた。


思ったよりパンの量が多いので、本を読みながら少しずつ口に入れる。食べ終わる頃には雨が弱まっていた。その足で、アクションカメラの実物を見に秋葉原駅前の家電量販店に行く。ついでにボイスレコーダーも欲しかったので、それらしい売り場に行くがそれらは全て男性用の髭剃りだった。形が似ている。


私は、全ての持ち物を左右とお尻の3つのポケットに入れていた為、店員に相手にされず自由にカメラを触って見ることができた。久しぶりに触った片手持ちのビデオカメラは、昔と比べて随分と軽量化されている。また、ビデオカメラと大きいモニターが接続されているのでカメラを回すが楽しかった。


13時頃、そういえば、と思い出して学校へ向かう。国分寺駅に着き、少し体調が優れなく感じたので薬局で経口補水液を買ってバスに乗る。少し飲んで眠った。


学校に着いてオープンキャンパスの準備をする。早々に切り上げようと思っていたが、想像以上に終わらなそうな上に、自分にできることが分かってきたので徐々に体が動いていく。


準備の終わった隣のゼミの子に声を掛けて照明を手伝ってもらいながら、結局22時まで学校にいた。ダラダラと歩きながら帰っていたら、なんと終電だった。


コンビニのご飯では味気なかったので、ホテルまでの帰りに24時間営業の成城石井に寄って、蕎麦を買い、昨日買った納豆を入れる。ハイボールも買ったが、全て飲み干せるほど元気ではなかった。カーテンが薄いため、夜中でも部屋が妙に明るく感じる。






2021/7/3 他人の日記


8時くらいに目が覚めて、コンビニで買ったインスタントコーヒーをお湯で溶かす。美味しくないが、カフェインが入っているので安心する。


昨日は清掃に入ってもらわなかったが、今日は入ってもらうため早めにホテルを出る。ビジネスホテルは、毎日シーツやタオル、寝巻き等を新しいものに替えてくれるから変な気持ちになる。十分足りているのに補給されてしまい、それに甘えてしまう。


いつもの旅では、自分で全てを整えなくてはいけないので、そんなことをする余裕や思考もなく、自分だけの清潔に対して感度が鈍くなる。


例えば、タオルは数日間洗わず、乾くこと自体がありがたく感じる。外見に関しては、しょうがない理由(バイクで髪が崩れたり、大雨で濡れたりなど)以外では、人に不快に思われないようどうにか努める。それでもたまに何日か連続で同じ服を着てしまうこともあるが、気持ちの面は平気だった。


喫茶店でモーニングを頼み、文章を書くか、本を読むか迷いながら少し待つ。冷房が当たって寒いが、どうすることもできない。軽めの美味しい味の珈琲、小さいサラダ、溶けにくい感じの分厚いチーズトーストにタバスコを振る。


11時過ぎ、カウンターに座っていた新聞を読んでいる女性がカレーを頼む。2人組の客と入れ替わりで、家族3人が入ってくる。私は、13時から代々木にある手帳類図書館を予約していたので、それに合わせて店を出た。


1時間1000円前払いで奥に通され、メニューの2冊の紙束から好きな手帳を3つ選んでくださいと言われる。


私は、女性詩人の日記、女性がやり取りする相手(おそらく男性)のメッセージだけを書いた記録帳、舞台女優の手帳を選んだ。


日記は人に見られる想定で書くものではないのだと、その前提を知った。私が書いているこの日記はなんだろう。


詩人の日記は、本当にごちゃごちゃで前後の区別もよく分からないくらいだった。平成初期らしい感覚で、雑誌の切り抜きやモデル、イラスト、写真の印刷を千切って手帳に貼り、その上から文字を書いている。


メッセージだけの記録帳は、数時間、数十分感覚でやりとりをする遠距離恋愛の男女の話らしかった。記録者の女の方のメッセージはないので、何となく自分で言葉を考えたりしながら読み進めるが、両者が一体何の職業か分からない。


男の方は、ほとんど毎日酒を飲んで、お金がなくて、彼女の体調をよく気にかけていて、同棲しようと計画している(しかし中々話が進まない)関西弁の人物だった。A4の羅線ノートが2冊目になっても、そのリズム感や言葉遣いは変わらず、今でもずっと続いているのではないかと思う。

舞台女優の手帳は、本当にスケジュール管理のためのもので、いきなり「手術」と書いてあっても、どこの部位の手術なのか全く分からない。少し不満に思ったが、手帳とは確かそういうものだった。



人の思考の断片を見てしまった後は歩くことが必要だと思って、次に向かう本屋まで出来る限り歩く。田舎は、徒歩での街から街の移動は気が遠くなるが、東京だと私の体力でもできるので楽しい。






2021/7/4 学校行事

10時からオープンキャンパスのシフトが入っていたため、8時にホテルをチェックアウトした。九段下、高田馬場で乗り換えて、西武線に乗ったが、いつになっても西武線の仕組みがよく分からなくて困る。鷹の台から学校まで歩きながら、なんとなくコンビニで煙草を買った。


オーキャンの来場者との接し方を教えてもらって、その通りにやってみると案外何とかなった。この人は話せる隙があるとか、説明を求めてない人だとかのイメージが徐々に分かってくる。


自分って人と話せるんだ、と思いながら人と話していた。お祭りのようなテンションのせいだろうか、話すこと自体楽しかった。ずっとは無理。






2021/7/5 家猫


昼頃まで寝ていた。数日ぶりにパソコンを触って、このサイトを作り始める。





2021/7/7 文字 日記に貼っている画像は、今まで撮ったフィルム写真。小さな冊子にする際、意図的に使わなかった写真はかつての文章の側のような気がしてその日の文章に合う写真を選んでいる。


合うといっても、その日の出来事をそのまま表すようなものではなく、寄り添うような?規則的でありながらそうでもないようなもの。


失敗したと思っていた写真を貼ってみると、意外と様に見えるのが面白い。写真や日記、日々の記録から逸脱してみたいので、ブログを開設する。




2021/7/8 動画をやってみる

ゴープロを買って、初めて東京へ行く。電車の安定した窓辺に置いて、撮影をしてみた。試しに色々撮ってみるが、やはり人は撮りたくない。音や影や横顔などで満足する。正面から人を撮るのは辛い。


右隣の女の香水が強くて気持ちが悪いが、両サイドの乗客はイヤホンをして眠っている。国分寺駅についてゴープロをいじりながら、Aの家に向かっている途中、Aとすれ違った。最初は気づかなかったが、ふと目に入ったバックのロゴに見覚えがあったので、追いかけると彼女だった。


鍵をポストに入れ忘れたらしく、その場で鍵を貰う。私の携帯の電池がなかったから、偶然ここで会えてよかった。一度、Aの家に荷物を置いて、学校へ行こうと思っていたが、撮っていた動画を編集していると酔ってしまって、寝た。


夕飯に、韓国風チキンときのこのナムルとスープを作る。Aが19時から美容室に行って22時過ぎに帰ってくる。彼女は酒を飲んだ後、床で寝てしまったので私がベットで眠る。除湿をつけないと眠れない。


深夜2時、家の外から大きめの口笛が聞こえる。結構高めで、音域は狭め。





2021/7/11 新しいこと

7月7日にゴープロが届いてからまともに文章が書けなくなっている。動画を撮ることは簡単だと思っていたがデータ容量が大きいので、考えながら撮影しなくてはいけない。


また、無編集で溜まっていくと今後大変そうなので、何となく区切りをつけて編集をする。リュックにカメラを付けて撮影するのが楽しくて、ついたくさん歩いてしまうが、最近夕立がひどいので午前中しか出掛けてはいけない気がする。あと、家のWi-Fiが調子が悪いため、サイト更新に苦労する。





2021/7/13 東北一周

9時に最寄りの駅からJR両毛線に乗り、1時間程で小山駅に着いた。この駅に来るのは3回目くらいだった。東口のロータリーに止まっているCの車に乗ると、菅田将暉のラジオがかかっている。


前から約束し、数分前まで連絡をとっていたというのに、彼女の顔を見るとワーっと嬉しくなった。違うラジオで、待ち合わせの喜び具合は女性特有だと芸人が言っていた。人によりけりだと思うが、確かにその印象はある。


今日から彼女と車で東北を一周する。何故そうなったかはあまり覚えていないが、誘われるような言葉にいいね~とか相槌していたら、本当に行くことになった。正直あまり乗り気ではない上にお金はなく、彼女と2人きりで遊んだことはなかったが、車に乗ってしまえばもう進むしかなかった。


最初にセブンイレブンに寄って、私はアイスコーヒー、彼女は焼きおにぎりを買う。小山駅から少し離れるとすぐに田畑が広がった。同じような風景が続く中、Cの住んでいる笠間市を通る。この辺りは、田園や家の間に神社や小さな祠のような物が多く見えた。


いちいち車を止めるわけにも行かず、焼き付けるように気になるものを見たり、間に合う場合は動画を撮りながら北東方向に車を走らせ、いわき市へ向かった。1時間程経過して、コンビニで運転を交代する。


初日は、互いに眠ることもなく、好きな芸人のラジオを携帯のアプリで流しながら、私たちも負けじと会話をした。14時頃、北茨城の定食屋でカキフライ定食を頼み、彼女は海老天丼を頼んだ。誰もいない店内で座敷に座ると、他に動く物がないのでテレビを眺めてしまう。少しして料理が来ると、明日が定休日なのでと蒲鉾が多く入っている茶碗蒸しをくれた。



その後、国道を走っているとぬるっと福島に入り、工業地帯の通りあたりから水族館の看板が見えてきた。直売所に寄って彼女が桃を探すが、海沿いの直売所は磯臭くて桃はひとつも置いていない。


水族館は、平日の夕方なので家族連れが3組ほどしかいなかった。水族館入口に野菜を育てているコーナーがあり、随分と立派だったのでゆっくり眺めていると、作業をしているおじさんに、大きなナスの種類が米ナスであると教わる。


この水族館は、高校生3年生の時、学校をズル休みして両親に無理を言い、連れてきてもらった場所だった。当時は何故か海に執着があり、大学に行く理由や自分がやりたいことを知るには海に潜らなくてはいけないと思っていた。


スキューバダイビングがしたいと親に言うと、母に、うちにはお金がないからできないと悲しく言われたことを覚えている。お互いろくに調べもせず、母のダイビングは金持ちがやるものという観念のまま、福島の水族館に行くことが妥協案だった。


その後、大学1年生の時に色々なものが私に味方して、海に潜ることができた上にライセンスを取ることもできたが、その試験以来海に潜っていない。


思い返すと、海に潜った記憶は薄く、中学生の時に父と石垣島でシュノーケリングをしたことやこの水族館の大きな水槽の方が、身体に大きく残っている。友人と楽しくはしゃいだ記憶よりも、美化された辛いことや悲しいことの方を覚えている。


いわき市から少し離れたゲストハウスにチェックインし、近くのスーパーで魚や野菜、調味料を買った。30センチくらいの魚を適当に捌き、カルパッチョとあら汁を作る。とても美味しくできた訳ではなかったが、日本酒を飲みながら食べると辛うじて美味しく感じた。


このゲストハウスは、オーナーの生家である200年以上前の茅葺き屋根の古民家で、昔の体験をする場所らしかったが、全く知らずに予約していた。


その家にはオーナーの両親が住んでいたが、あまりにも自身の見せ方のようなものを心得ていたため、あまり興味が湧かなかった。自分が民家に近づく場合、あまり準備されていない姿、ありのままの信仰がうっすらと見えるような自然体を好むのかもしれない。


また、友人と居るとそちらに気を取られて、場所に馴染むことをあまりしようとしないと気付いた。観光客だと振り切ってしまう感じがする。

ここら一帯は海が近く、東北大震災の被災地域だと言うがどこにでもある田舎の一部に見える。






2021/7/14 不透明

オーナーさんに朝ごはんを作ってもらい、10時頃にゲストハウスを出た。Cは桃に熱心で、ここら辺で桃は取れるかオーナー家族に聞くが、福島海沿いは桃ではなく梨が有名だと言われる。


近くの道の駅の明るい海岸を歩き、とうもろこしを買って、トマトのソフトクリームを食べた。そこから海沿いを北上するように、富岡町、大熊町、双葉町へ向かう。


街は、人が住んでいたとは思えないほど荒涼としていた。何も知らない、小5の時からぼんやりと潜んでいた震災の姿に、体の底が苦しくなった。


大体の道が封鎖されていたが、曲がれそうなところで曲がってみると、原子力発電所の廃棄物か土壌汚染の廃棄場に辿り着いた。放射線のマークが掲げられた倉庫の前に、普通のつなぎのようなもの着た男が立っている。


放射能のことに対し軽い知識しかなかったので、自分が今どれくらい危険なところにいるか分からなかったが、ひらけた場所に無数の黒いフレコンバックが積み上げられている姿を見た。また、少し遠くに汚水タンクのようなものが見える。


バイトを探している時、福島の除染作業の仕事が高い給料で求人していたことを思い出した。この環境で成り立つ事業とそこで働く人々がいる。立入禁止区域から少し外れると、手入れされた民家が見え始め、散歩をしている人がいた。


確かにあったけれど何ひとつ見えないものがこの街に漂っている。安易な言葉では表せない苦しさとどうしようもなさがとても辛い。長い時間をかけて、向き合わなくてはいけないと思った。芝生の庭では芝刈りロボットが2体が縦横無尽に動いている。


海沿いを走ると、家の基礎らしいものと何もない土地が広がり、建設途中の白い堤防が見えた。港に車を停め、関係者以外立ち入り禁止の堤防を登って道のない坂を下る。風と波に吹かれ続ける砂浜は、力のままの形をしていた。


海が、曇天のせいで酷く重たい。海辺を歩き、遠くの原子力発電所を眺めた。


車を走らせていると、特定廃棄物運搬のトラックをよく見かけた。周りに建物がない中、大きな工場のようなものを建設している。白い壁で覆われていたからよく分からないが、復興と呼ばれるものが行われているのだろうか。



南相馬市の手前まで海沿いを走った後は、福島の桃を求めて福島市に向かい山を越えた。私は少し眠ってしまったが、福島市に近づくにつれて畑に桃の木の姿が見えてきた。Cが桃の旗や看板を血眼にして探していると、直売所の文字が見えたので寄ってみたが、桃は来週からという張り紙があった。目の前に熟れた桃が揺れているのがもどかしい。


果物直売所の看板があったので寄ってみる。すると、黄桃やいい色の桃が安い値段でたくさん売っていた。5つ入りくらいの安い桃を買う。


ホテルは、仙台港のビジネスホテルをとっていたので福島市内から90キロほど離れていた。この間の記憶はないが、2人で交代に運転したのだと思う。ホテルの近くのホームセンターで保湿液と果物ナイフとステンレス製の鍋を買う。Cは洗顔料と半額になったひまわりを2輪買った。


ホテルに着くと、珈琲飲んで温泉に入った。冷やした桃と電子レンジで温めたとうもろこしと共に日本酒を飲んだ。ダラダラと洗濯をして、ホテルのサービスの夜食を食べて、お笑いのテレビを見る。


ダブルベッドだったので、2人で眠るには少し狭かったが、Cは寝返りが激しく小さな体でコロコロと動いたので、私は目が覚める度に背を向けて、体を端に寄せた。6時頃にすっかり目が覚めてしまい、大浴場に行って時間を潰す。窓から見える火力発電所は一晩中煙を吐いていた。




2021/7/15 とう

Cが起きて荷物をまとめると、コンビニに寄った後、近くの海水浴場に向かった。所々に浸水地域という標識がある。海沿いは崖のような高台に家が建っていた。


折り畳みの椅子と机を持って砂浜に降り、シングルバーナーに鍋を乗せお湯を沸かす。私が珈琲を淹れている間、彼女は剥きにくそうな固めの桃を頑張って剥いていた。


机の上に桃、チョコチップクッキー、ヨーグルトを並べ、海を見ながら珈琲を飲んだ。食べることに飽きたら、海で足を濡らした。少しすると、警備員らしい人に今日から海水浴場を規制するのでポールのある範囲に移動して欲しいと言われる。


2年前に行った松島が良かったので寄ってみると、車で観光する松島は少し難しかった。有料駐車場に止め、福浦島に渡ってみたが綺麗な手入れされた公園といった感じだった。


大高森の展望台に行ってみる。駐車場に車を停めて15分ほどの山道を登ると、開けた山頂から牡蠣や海苔の養殖場が島々の間に見えた。稲作と漁業が海まで延びる高い山によって隔てられている。ここは、生活と自然での仕事の距離が近いような気がした。


その後、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館に行った。4階建ての高校が4階まで津波に呑まれた状態が少し整備されており、そのまま入ることができた。生徒たちは高台に逃れて全員無事だったという。


普段の学校では隠れている部品、材木たち、椅子や机、教科書、流された車が錆びついたままそこにあった。ほんの少し、自然の力で崩された宙ぶらりんの物たちが美しいと思った。そう思うと同時に苦しさを感じる。


ある階に冷凍食品工場の一部がぶつかり、そのおかげで津波の勢いが弱まったという説明があった。この校舎が立って残っているだけでも、すごい確率なのだろう。すぐ側の体育館はみる影もない程崩れている。



松任谷由美の「緑の町に舞い降りて」の歌詞にある「MORIOKAというその響きがロシア語みたいだった」という言葉が好きで、昔から盛岡への憧れがあった。盛岡に寄り、辛めの冷麺を食べる。


夜8時頃、高速道路に乗り青森県八戸市に向かった。暗く空いた道で、今夜はブギー・バックを聞いたことが最高だった。前に進むにつれ、小さな反射板がキラキラと綺麗に光る。


八戸のホテルは繁華街の真ん中にあった。ホテルで少し落ち着いた後は、目の前の屋台横丁に行った。


立ち飲み屋で飲みながら適当に人と話していると、3児の父だというおじさんがCと同郷ということで飲み代を奢ってくれた。ラッキーと気分が良くなったので、そのまま薄暗い喫茶店に入って瓶ビールとお茶漬けとナッツを食べた。帰って気を失ったように眠る。










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