2021/6/16 暗転
熊本での出来事を整理したくて文章を書く。髪を切る。昨日は栃木の祖父の命日だったので墓参りに行く予定が大雨で行けなかった。今日で何かを区切ってしまいたい。忘れる訳ではない。気を入れ替えて、また明日生きる。
昨日の別れ際、叔父に暫くこっちにいればいいのにと言われて泣きそうになった。自分がここにいていいと言われることが何よりも嬉しい。
そこに住む気は無いとしても、北海道の離島で、ここで結婚して住めばいいとお酒を挟んで言われたとき、彼らが覚えてないとしても嬉しかった。
自分が放浪のような不安定な生活を望むことの本質に、安定に地に根付いて暮らすことがあるのだと思う。その場所がまだ分からないが、誰かにそこにいて良いと言われるのは大きな何かに抱きしめられるようだった。
学校に行かなければいけないと知ったときはもう夜だった。体も心も何だか足りない。眠ることもできない。この日記も、自分の持つ考えもどうしようもないものだと弱気になる。
2021/6/17 背中の
暫く実家にいないと思って、荷物を準備をした。母は、大したことではないように承諾する。有難かった。移動し続けられることは嬉しい。移動している間も絶えず思考は続いたが、それらは全て通り過ぎるように景色と共に流れていったので、濁って腐りはしない気がした。
電車を乗り継いで、学校までリュックと小さい手提げを持って歩いた。とても暑い訳ではないが思ったより汗をかく。本当は荷物をリュック1つで完結させたい。Aの家にある荷物を徐々に減らしたい。自分の荷物の無責任さがどうしても気になる。
同じような荷物の中身が、季節や体調によって徐々に変化していくことが部屋があるときよりも明確に分かる。リュック1つ詰めるだけでも結構頭を使った。それが楽しくもある。
ゼミに行って、数日前に動画を撮った子とゼミ展のパフォーマンスをした。
2021/6/18 雑念 Aの家にいる。体が疲れていることを不調で感じ取る。整体に行って心に追いつこうと思ったが、色々動き回っていると整骨院が閉まる時間になっていた。元気だったらしい。後でドッとこないといいが。
朝は目玉焼きとサラダと味噌汁を作って食べた。洗濯をして、掃除機をかけて、買い物をして、豆腐サラダと味噌汁を作って食べて、学校に少し行って、今、A不在の家でマックのポテトを食べている。
今日はAの母がここに泊まりにくるので大手町のカプセルホテルを予約しているが、あまり外に出たくないので限界までこの家に粘りつきこれを書く。
マックのポテトは美味しいのかよく分からないが、たまに食べたくなる。食べている途中の無双感と無くなった後の虚無は、何度経験しても新しいことに思える。
そういえば1人暮らしで特に用事のないときは1日中家にいて、ずっと何かを食べていた気がする。食べ物は簡単に得られる刺激なので、何もない日々を食べ物に頼って満足した気になっていた。外で動き回ったり、本を読んだりすることと同様に、手と顎を動かすだけで満足感や幸福感が得られることは少し怖い。
Aについて少し考えた。泊まる当日に連絡し、全て許可され、学校で鍵を貰ってAより先に家に行くことが常だった。私が1人暮らしのときだったら半分くらい駄目だった。生活の天と地が激しく、いいときはフローリングの床に埃が1つない程綺麗だったが、駄目なときはゴミ袋やペットボトル、缶が溜まっていたり、何か色々と汚かった。
Aの家はそれの中間がずっと続いている印象を受ける。落ちぶれないが、まっさら綺麗になることはない。彼女の精神がずっと安定しているように、彼女の中で落ち込みがあるとしても日常を破滅するものではない。
私の友人に精神の揺れがひどい美人がいる。身体の感度が人よりも高い為、落ち込みやすく、喜びやすいのだと思う。彼女は落ちるときはとことん落ちる分、上がるときは様々なものに心をときめかせた。
最近の私は寝床を移動し続け、毎日考えることで精神の健康をキープしていたが、逆にそこまでしないといけないのかと今更驚いた。今の全ての行動がなるべくしてなった、自分と向き合っていたらこうなったという気がする。できる限り自分に素直になって、人に迷惑がかからない程度で移動し続けたい。
ずっと考えてしまうから少し疲れていたい。様々な人がそれぞれの感覚でバランスをとりながら生きている。
生活における天と地の差のことはヘルマン・ヘッセ作「荒野のおおかみ」で触れている部分がある。多くの人々が送る市民的な生活とは、地に堕ちぶることはないが、その代わり天の近く、神のいるような場所に届かない、普遍的な日常をこなすのみである、という感じの文章だった。
19時頃、Aの家でシャワーを浴びて家を出る。寝に行くだけ。
2021/6/19 湯船
大手町のカプセルホテルはリュックやスーツケースを持った若者と皇居ランナーがほとんどで活気があった。新宿ルミネのトイレの化粧台のような、苦手で馴染みのないものだった。
10時にホテルを出て、秋葉原まで20分程歩いた。駅前のコインロッカーに荷物を入れ、古本屋に寄った。安価なファミレスで昼を食べて、山手線に乗って原宿駅で降りた。雨の薄暗い明治神宮が気になったので参拝する。
今日は南越谷のホステルに泊まる。1泊1300円。南越谷駅前には小塚原死刑場があり、駅を降りたときドキッとする。また、浅草の方まで歩くと吉原がある。
夕方、銭湯に行く途中、何件も簡易宿泊所を目にした。宿と書かれている場所に多数の郵便受けと路上に止められた自転車ですぐに分かる。生活保護で暮らす老人たちの静かな下町だった。
労働福祉センターの前は路上生活者が寝ていたり、小さなテントが張ってある。煙草の吸い殻とワンカップが街中に落ちていて、尿の匂いがする。大きな国道はあまり馴染んでいるように見えない。
銭湯はもう慣れた。1番覚えているお風呂は、松山の道後温泉だと思う。
そこでは2つ覚えていることがある。1つは受付で男と間違われて、男用の下駄箱に靴を入れろと言われた。この時は原付で移動していたので髪の毛は長かったがボサボサで、黒いダウン、ジーパン、登山靴を身につけていた。
他の受付の方が、この方は女性よ!と言ったが、この人には私が男に見えるのかという嬉しさがあった。どちらでも良い。他人によって付け加えられた価値のようなものだと思った。
2つ目は、洗い場の隣人が1時間以上体を洗っていたこと。石鹸と泡立て用の布を使って、擦るほどではない優しさでずっと同じ場所を洗っていた。他の女性たちも、1時間はないにしてもカランの前で丁寧に体を洗っていたので、銭湯、温泉文化が根付いている土地は、体に対する考えが違うのだと思う。
私の地元のスーパー銭湯のような施設では、皆がザッと体を洗ってサウナや風呂に入る。しかし、道後温泉の人たちは1つ中央にある大きな風呂に背を向けながら、体をひたすら洗い、たまに熱い湯に入り十分温まると、またカランの前に座って体を鎮めていた。これを繰り返す。私も真似をしてそうしてみると、とても良い気持ちになった。あまり物事考えることができなくなり全てがぼやけた。
たった1つの広い風呂があることは、体を洗うこと、湯船に浸かること、休むことが、頭をあまり使うことなく行えたので、身体に優しかった。
浅草の銭湯は狭い入り口と相反し、広々とした露天風呂といくつかの浴槽があった。カランの位置が広々としている。大柄な人が多い。ふくよかな体の婦人がストレッチをしながら露天風呂に入っているのをベンチに座って見ていたが、何だか良かった。
強い。圧倒的重量。私より世界に所持しているものが多く、この世界に歓迎されているようで羨ましい。たくさん太ることは難しい。
2021/6/20 長期滞在者
適当に起きて文章を書き、12時から営業する昨日の銭湯に再び行く。徒歩10分程を地図を見ずに違う道を通りながら辿り着いて、少し土地と仲良くなった気になった。
昨日、道後温泉の話を書いたことに影響されて丁寧に体を洗ったつもりだったが、上には上がいた。隣のお婆さんは2、3種類のボディタオルやブラシのようなものを用いて、何度も洗っては流していた。力強く擦っている。水風呂と熱い湯を足元だけ交互に入っていると無限にいられる気がしたが、2時間経っていたので出る。
どの飲食店がやっているか分かりづらく、半端な時間だったのでコンビニでアイスを買い、吉原辺りまで歩いた。食べ終わる頃に着くかと思っていたが、すぐに着いてしまった。
自分が泊まる安いホテルは大体風俗街の近くにあるので、よく散歩をする。16時頃、丁度キャストの出勤時間帯らしく黒塗りの車がたくさん停まり、ボーイが店前で立っていた。客も想像以上にいて、車で送迎か自分の車で来ていた。
ズラーっと並ぶ古そうな風俗街を、スーパーカップ超バニラを食べながら歩いているとある店で挨拶された。この人は全員にするのだろうか。客でもキャストにも見えないだろうに。
私の泊まるドミトリーは長期滞在者が多いらしく、裏口に自転車やバイクを保有している。朝ロビーに座っていると、フードデリバリーの大きな鞄を背負った男が2、3人出て行った。需要がある地域、または自分が好きな地域に滞在しながら仕事をして生活をしているらしい。
私の相部屋の人も長期滞在らしく、ギターケースに靴を6足ほどと幾らかの服、スーツケースを持っていた。部屋はその人の洗剤の匂いになっていて、人の家にお邪魔する感覚になった。ここまでいったら違うなと自分と比べて思う。やはりリュック1つで完結させることが好ましく、心地がいい。
北千住に行って長崎ちゃんぽんを食べる。食べてしばらくすると、先ほどまであった立ちくらみが治っていた。そういえば、日記をつけ始めてから2キロくらい痩せて、煙草を持ち歩いていない。健康を損なうと面倒なので気をつける。この生活は体の反応に敏感になる。そうでないと生きていけない気がする。
2021/6/21 人類学?
話を聞いて、写真について考えていたことを思い出した。スマートフォンが便利で嫌いだから、画面をバキバキに割ってしまった状態で生きている。昔は、心底嫌になると電源を落としてベッドと壁の隙間に落としていた。
小学6年生からスマートフォンを持っていたので、これのない生活には簡単に戻れない。あるときそのことに気付き、諦めて毎日持ち歩くようになった。でも、携帯の写真には抵抗がある。本当に残したいものは、この画面で収まるものではない気がする。
けれど、これを持ち歩いているだけで、いつでも写真などを撮って収集できるのだから、集めることに関して携帯は優秀なのだと知る。
この間琵琶を一緒に採った子に、夏休みに車で旅をしようと言われた。何でだろうと思ったが嬉しかった。北の方を巡る計画を立てる。
卒制のことを交えて、旭川でのインターンのことを考える。文化人類学、民俗学を検索しながら、今の生活に関係するような言葉を見つけた。
「村のど真ん中で生活する人類学者にとって鶏の啼き声や太鼓の音で目ざめ、祭りや葬式のときには通夜につきあい、おしゃべりの調子や子どもの泣き方の微妙な変化をも聞きもらすまいとすれば、フィールドワークは24時間活動となる。船頭に河を渡してもらうのをじゃけんに拒まれたということから自分の見る夢にいたるまで、おこるすべてのことに眼を向け、メモや写真をとり録音すれば資料となるのである」――M・ミード『フィールドからの手紙』
やりたいことは近い気がする。嬉しい。この文章たちは無駄ではなかった。明確なジャンルや研究対象なんてないけど、少し嬉しくて眠りたくない。Aは建築の課題で徹夜をするというので私が起きていても誰の迷惑にならなかった。
2021/6/22 本棚
朝4時にAの目覚ましの音楽が鳴るので起きる。彼女は寝起きを気持ちよくしたいと言い、アラーム音を穏やかな英語の曲を設定している。
けれど、Aは鳴り始めてから30分以上経たないと起きず、私は1回目の目覚まし音で起きる。イラついたので、扇風機を付けて音を打ち消しながら再び寝た。
教授の研究室に行って、目の仕分けとアクリル板をヤスリがけするバイトをする。部屋に着くと、ドッと汗をかいた。迷っていて暑さを感じなかったが、外は日差しが強かったらしい。熱がなかなか引かない。
10年ほど前のワークショップで書いてもらったという何百枚、何千枚の片目の紙と印刷されたデフォルトの目を分ける作業だった。表は開いた瞳で、裏は瞑っている。
山積みになった目は1枚1枚筆圧やペンの種類が異なり、多数の人の存在を感じさせた。少ししてアクリルを磨く。何かをヤスリがけすることは好きだった。徐々にツルツルとした肌触りになって心地良い。どれだけ集中しても均等にはならなくて、不器用なのか、本当は集中していなかったのか自分を疑う。
自分で訪れてよく分からないまま、よく分からないことをしているので頭がうまく回らなく、作業を進めるにつれて言葉を忘れるようだった。
途中、ガラスのコップを割ってしまったが、すぐには理解できなかった。謝りにいくと2人共優しかった。また作業を続けると、時間感覚も空腹具合も睡眠の疲れも全てぼやけた。それが心地良い。教授と助手さんとおやつを食べたり会話をしたが、自分がうまく日本語を扱えていた自信がなかった。
本棚の印刷された文字たちを見て、少し現実に戻る。知っている文字があると嬉しくて声に出してしまった。本を集めた人の体と時間を覗いているようで楽しい。誰かの知識と知恵の蓄積が、その人の時間で集められている。もっと本棚を見てページを開いてみたかった。
帰りは暗くなって、門まで送ってもらい指さされた方向へ歩く。Googleマップを見ろと散々言われたが、言われすぎるとまあいっかとなるので適当に歩いた。何も急いでないので迷ってしまっても良かった。持ち帰りの食べ物を持っているカップルが通り、彼らが来た方向が駅かと思う。その通りだった。
国分寺駅に着く頃には、料理ってどうやってするんだっけ?と体力も脳みそもなかったので、成城石井で惣菜、春雨、炭酸水を買う。
2021/6/23 親しい家
Aの建築学科は24日が講評なので、今日も早く家を出て23時頃に帰ってくるらしい。私の方がこの家にいる時間が長く、Aの代わりに買い物、食事の準備、洗濯、掃除、お湯張りをする。
家政婦さんですか?と言われたが、確かに友人と言うより服従関係に近くなってきた。Aのいない間は自分の作業をして、Aが帰ってきたら食事を出して片付ける。
彼女のリアクションは柔軟なもので、私は1人暮らしの延長行動をしていたからそんな気はしなかったが、冷静に見たら専業主婦のような行動をしている。私の思想も、毎日頑張って偉いね、お疲れ様という母から子のような見返りを求めない愛のようなものが生まれてきた。
行動に伴う感情か、感情からの行動かよく分からない。しかし、誰かを思いながら行動する時間があるというのは精神を安定させてくれるので有り難かった。
Aの家での不便なこと、例えばキッチンが少し使いにくいと思っているが、それを改造してやろうという気にはなれない。使いにくいなあと思いながら生活をしている。
私自身とものの関わりは必然的に生まれるが、全てが他者のものなので、もの1つずつに対する所有の責任感のようなものは限りなく薄い。なので、部屋にはものがたくさんあるが、都合のいいものしか認知できず気が楽。
今は、授業のレポート課題の為、安楽死についての本を読んでいる。あとは分厚い中国の小説、ゴーゴリという主人公の小説を読んでいる。ニコライ・ゴーゴリの小説も読みたい。養老孟司の本も読み直したい。体の構造の説明で、耳に関しての文を読んでいるといつも寝てしまう。
昼頃、ベットで昼寝をしたらこの家が近しいものに感じられた。冷蔵の効いた部屋で毛布をかぶると懐かしい感じがする。何かに甘えているような温もり。
22時30分頃に今日初めて家を出て、スーパーに行く。雨が降って寒かったので鍋を作り、23時過ぎに帰ってきたAと一緒に食べる。その後、Aが気絶したようにベットで眠り、作業をする私に2時に起こしてというので、風呂など全てを終えて2時に起こすと、入れ替わりで彼女は自身のパソコンの前に座り、私はベッドに横になった。
6月8日のキャンプに行って以来まともに寝ていない気がする。それか今までが眠り過ぎだったのかもしれない。彼女は、私がいなくなったら元の生活に戻れないかもしれないと言った。もうすぐ出て行かないといけない。
2021/6/24 行動
少し遅れてしまって汗だくになりながら教室に入ると、いきなり卒制の構成を発表することになった。
講師に、今は感情や感覚に従って行動をしているけど、突き詰めればこれって私しかできない、やらなきゃという使命感が生まれてくると言われて、ソワッとした。私がやっていることは、何かの道のりの途中だったと他人に指摘されるのは安心する。
卒制では、映像と音に頼ることになりそう。けれど、映像は展示として良いが、現代だと埋れてしまう可能性やアイヌの継承のようにただ記録が残っていることだけがいいことではないと教授に言われた。
私のやっていることは必ずしも映える展示になると限らないので、とりあえず素材集めに努める。物を拾うこと、映像と音を集めることを始める。他のゼミ生をみていると、展示形態から考える人がいて不思議に感じた。
ゼミで演劇をやっている子と、私は同じような行動をしているが、どうしてこうも捌け口が違うのだろうと話し合った。彼女も家から出て、自分と関わりのない街に少し滞在したが、それらは自身の蓄積された層からの脱却、真っさらな体で他人の層に触れる行為だった(彼女は層という言葉を好む)。
彼女の演劇に対する考えは、どうしようもない自身の体、自身にとって有り余る体が、他人によって行動を与えられる体に変わり、劇場内の共通の認識によって自身の持つ属性から役と空想の場所への離脱を望むことらしかった。自身の体への強い離脱願望と裏腹に、同じように強い自分の精神と身体へのこだわりや執着を感じる。彼女は自身を、旅人になりきれないと言った。
彼女は、私を風属性だと言った。どこにでもフラフラと移動していることらしい。用もなくその場所に留まるので、土地に対して素直に行動しているとも言われた。私にとってそれは普通のことだったが、確かに用もなく移動する人はあまりいない。
2021/6/25 深夜労働
Aが髪の毛を乾かしながら何かを歌っている。この家にいて5日目になった。
昼間少しAが出掛けた家で眠って、バイトのため19時30分に蔵前の事務所に着くように準備する。昼間と夕方に食べたチヂミが残ったので冷蔵庫に入れておく。思いつきで、納豆を混ぜて焼いたチヂミはあまり美味しくなかった。
少し緊張しながら事務所に着くと、代表(1人で事務所をやっている)、その兄、代表の幼馴染がいて、2人の名前を聞いたがすぐに忘れた。
代表と幼馴染が海鮮丼を食べ終えるのを待っている間、暇なので吊られている葉の細長い植物を見ていると、おじさんが飯食ってるの見るなんて酷いよね、と兄に言われて曖昧な返事をする。その後、設計図を見ながら説明を受けて、よく分からないままハイエースに乗って六本木ミッドタウンへ向かう。
夜の首都高に乗るのは楽しい。高台の道路の周りにもマンションやビルがあって、カーテンの向こうに電気がついており、濃い人の気配がした。
途中で家具職人の男性を2人拾い、地下3階の駐車場に車を停めて荷物を出した。互いに自己紹介をすると、この後3トントラックが3台分くると言うので1度、現場である35階のオフィスに道具類を運ぶ。
何をしたら良いか、ざっくりとした説明しか受けなかったので適当に運んだ荷物を台車から下ろしていると、少し重いものを持ち上げてしまい、ウッとしながら運んだ。すると、兄の方に、無理しないでね、腰やっちゃうと大変だから、と何かを含みながら軽やかに話しかけられた。
この人は顔が良かったので怖かった。これ以降も事あるごとに話しかけてくれるのだが、全て含みを感じたので私はそれを察するように動くと、徐々にその含みのようなものがなくなり、まだ壁はあるものの素で接してくれるようになった気がした。
トラックが着いたので、トラック一杯に梱包されている部品たちを少しずつ降ろす。これらは全て木でできており、私の中途半端な力で持つと降ろす際に傷付けてしまうので、私は小さいものや傷付けても良い破片を運んだ。
1台分降ろすと、現場監督の中年男性がきてここに置いちゃダメなんじゃないと言った。2台目を降ろしながら少しずつ台車に乗せて、35階に運ぶ。私は小さい台車を押しながらカードキーで扉を開ける役だった。
皆んなで少し座っていると、ここで休憩していいんだっけと現場監督が来たので作業を再開する。
同じ作業をしていると、多分少しずつ仲良くなっている気がする。他の業者の人も出入りしていて、その荷物には触れていけないことや平穏にやり過ごすことなどを学ぶ。また、自分の役割を少しずつ理解する。
2021/6/26 馬鹿馬鹿しいもの
休憩を挟みながら作業をしていると、いつの間にか朝の4時頃で空が明るくなってきた。5時30分頃に解散した後、コンビニでジュースを買って土曜日早朝の六本木を歩く。話したこともないような見た目の人たちが路上に座ったり、ガードレールと戯れている。
セブンイレブンの前は、煙草の吸い殻と空き缶、食べ物のゴミが散らばり、それをクラブかキャバクラの店員が箒とちりとりで掃除していた。
この辺は大使館が多く集まっているので、大通りには体格の良い外国人やぴったりとして丈の短い服を着た女性が未だに夜の感覚で談笑し、バーではまだ酒を飲んでいる人もいた。交差点では、数人のアジア人女性が何かを待つように立っていたり、ホストの団体が千鳥足でふざけている。
青い長ズボンと黒い半袖にリュックを背負っている自分は、この街にとって何の意味も持たないと思っていると、道端の男に、K?けーケーケーいた!と指を刺され、その連れの男にヒューマンじゃ!と言われる。何ひとつわからないが、どうでも良かった。
中央線で気を失った。国分寺に着くとまだ7時だったので、富士そばでワカメ蕎麦を食べて公園のベンチに座る。何もしたくない。土曜日の朝だというのに、駅からどこかへと向かう学生やサラリーマンがたくさん通る。眠ることもできず、身に余るような日差しの中ただ目を瞑る。
9時頃にAが起きたというので部屋に入れてもらってシャワーを浴び、彼女が学校へ行った後、ベッドで眠る。今日は19時過ぎに家を出れば良い。けれど、こんな不規則な生活をしながら人の家に住み着くのは少し違うと思った。選挙カーの音が煩くて眠れないので、教授から教えてもらった小林秀雄の講義音声を聞く。
適当に煮麺を食べて、出かける準備をした。昨日よりも全てが億劫だった。ミッドタウンのタクシー乗り場に黒い服の人たちがいたのでそこへ行き、栄養ドリンクを飲んでいると少し心配される。
今日は家具職人が1人増え、計7人で作業することになった。既に運び終わった家具たちの開梱、組み立て、取り付けをする。ここでも重たい作業はできないので、足元の整備や細々とした作業、整頓、職人の手伝いなどをした。
22時にAから少し1人になりたい旨を伝えられ、素直に教えてくれて有難いと思った。
2021/6/27 夜の街
体調を聞かれたので、昨日より疲れてますと言った。3時過ぎの休憩時間に横たわっていると、寝てて良いと言われてそのまま横になる。家具が傷付かないようにする青い毛布を床と自身の上に充てがわれて、作業音と誰かの会話をうっすら聞きながら目を瞑る。
1時間くらい経って体を起こすと兄が丁度いて、寝てていいよと言われたので、その本意を探る余裕もなく言葉のままに眠る。私がいなくなって特に何も変わらない。
体を起こした頃には5時になっていた。朝陽が見える。川のように流れる時間と私と人の体。少しの罪悪感を感じていたが、体は楽になっていた。
5時30分に解散して、新宿の漫画喫茶に行く。12時チェックインの歌舞伎町のホテルを取れたので、それに合わせて国分寺まで荷物を取りに行き、ついでにAの家にある荷物を全て宅急便で実家に送った。1度清算するつもりでやってみると心がスッキリして、人に甘えるにしても物を置くのは良くないと思った。
何日振りに1人の誰でもない部屋で眠るのだろう。荷物が整理できないくらい頭が回らなかったので、体を洗って寝る。
バイトの最終日。掃除機をかけながら、納品に向けて皆で作業を進める。23時過ぎ、片付けが何とか終わり、皆んなに買ってきたお菓子をあげた。寝てしまった罪滅ぼし。
7月末にまたアルバイトをする約束をして、大江戸線に乗った。騒音の中、昨日よりも少し会話ができた。青梅まで帰る人に、夜のうちに帰れることは幸福だと言うと同意してくれた。
歌舞伎町の広場は若者、多くの男性がいくつかのグループで集まっている。夜食を買おうとホテル近くのコンビニに入ると、キャバ嬢とおじさんのペアや若いカップル、ホストクラブの男たちだった。
繁華街は結構好きだった。人がこの世にいたら必ず生まれる場所で、誰かにとっての救いと絶望の集合体のような感じがする。また、それぞれのエネルギーが説明的なほど外見に表れ、街に馴染んでいる。その全てが許されるような混沌が心地良い
。
2021/6/28 路上生活者
目覚めると朝の9時だった。体がとても軽く感じる。こんなにぐっすり眠ったのは久しぶりだ。ベッドは偉大らしい。11時にホテルを出る。栃木に帰る際は新宿乗り換えなので、西口の8時間200円のコインロッカーにリュックを入れて学校へ向かう。昨日くらいに偶然見つけた安いロッカーだった。
ホームレスの夏や冬を耐え抜く知恵と最低限の荷物、社会や秩序に興味がある。彼らの生き抜くための、なにか場所的なもの、例えば私が使う街中の安いコインロッカーような、普通にお金に困っていない人なら工夫する必要のないこと、見ようともしない何かや場所があるのだと思う。
お金のない人は、お金のある人よりも足で行動して、さまざまな工夫をしなければいけない。それは節約の食事のような生活の豆知識のようなものではなく、街を使って自身を拡張するような感覚のことだと思う。
徒然草の現代語訳を読んでいると、「人間は、簡素倹約を心がけ、奢侈を避け、財産を持たず、名誉や利益を欲しがらない態度が立派であろう。昔から賢人が富裕であることはめったにない。」という記述があり、水を飲むための瓢箪も布団のための藁も持ち歩かない、その日限りの暮らしを立派であると言っている。
そう考えると、大抵のホームレスは欲がきちんとあって物乞いをしている。どんなに汚くなったとしても荷物を手放そうとしない。本当の世捨て人ではない。
2021/6/30 家族と街
これまで書く気力の湧かなかった26日からの4日間を記録する。日付が離れるにつれて書くことが難しい。
母が煽ってくるような態度で接してくるので、私も母に対する態度が悪いのだろう。家族のために動けない私はいらないとでも言うように、自分本位で動いていると勝手に仲が悪くなる。私が東京に10日間いる間は心配のラインをくれたのに不思議だ。
日記を書いていると、父がもちもち、と呟きながら、ももっちと言って切った桃をくれた。その後、お客さん~と小声で呟く父が通ったので、客くるの?と聞くと、1時間後に来ると言った。人前に出る気分ではないので、部屋の扉を閉める。
自分のしたいことと家族への配慮のバランスが難しい。自分のしたいことに家族のことは含まれていたが、意識が街へ広がっていくにつれて、何故か家族のことが考えられなくなる。今は家族のことを考えたくないが、そこから目を背けてしまうと全ての流れのようなものが滞る。
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