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2021年6月前半





2021/6/1 老いた人

夜、人の歩く音がして、たまに老人の声がした。杖の音が近くで鳴ると、自分のカプセルの扉を開けられてしまいそうな予感がした。耳栓をして、朝まで耐えるように何度も覚める目を瞑っていると、いつの間にか朝の8時だった。


大浴場に行くと、手前の洗面台にビニール袋に詰められた多数の化粧品と床から小山のように積み重なった衣服があった。風呂場には私以外に2人いて、この荷物はボブカットの太った女のものかと思ったが、もう一方の髪が長く痩せも太りもしない女のものだった。


共用の場、2人以上の場にいる限り、私は気を張り詰めて、1人になる場合でも完全に自分に気を使わなくなることはないと思う。それ見栄のようなものかもしれなかったが、人間として失ってはいけない気がした。


小さなプライドがリュックの中身を増減させたり、食べ物について思考させ、歩き方を変える。ここに住む彼らと私は紙一重だ。


ホテルから出る。生ぬるい蒸し暑さと強い日差し。近くにマックがあったので入る。友人から、まだあの感動を味わっていないのは羨ましいと言われたマックグリドルソーセージを初めて食べたが特に感動しなかった。


午後は用事があったので、その時間になるまで市ヶ谷の釣り堀に行き、1時間で鯉を2匹釣った。

餌をつけるとき、誤って針が指に刺さったまま引っ張ってしまい、神経の糸が思いっきり弾かれたように痛んだ。命を頂く覚悟もなく針を刺して引っ張り上げる行為は、悲しいことだと思った。


北海道の知床で働きながら鹿を獲る夫婦のことを思い出す。彼らは山に入って猟をすることが生活の一部になっていた。それは、感情以前の魂と体の行動なのかなと経験のない頭で考えた。



感じの良い喫茶店でピラフを頼んだら、チャーハンがきた。予想を裏切られると興味がでてくる。この店はわざとチャーハンをピラフと呼んでいるのか、ピラフは彼らにとってこういうものなのか。


予定は思いの外すぐ終わったので、上野公園に来た。釣りをして喫茶店に行って上野公園に来るのは老人の生活みたいだ。昨日、40代の人に私の実年齢は50歳くらいと言われたことを思い出した。


上野公園は、美術館に訪れる小洒落た人間、家族、老人、カップル、子供、ホームレス、パソコンかスケートボードを持った若者、幅広い人が互いに距離感を保ちながら入り乱れ、絶えず人が流れているのが好きだった。時間帯によってそういった人の割合が変化する。


噴水を見ていると、波のない水面が風に乱される姿や海の絶え間ない姿が懐かしくなった。


十分黒い肌を半裸で焼いている男、公園を横切る郵便配達員、スターバックスの行列、猫じゃらしを持った猫耳帽子の少年、足が綺麗な女。


今日は上野の1000円のドミトリーに泊まる。帰り道、ヘルメットをせずにカブを運転している長髪の男が通って気分が良くなった。






2021/6/2 ふらふら


昨日は近くの銭湯で長風呂して、裏の中華料理屋で650円のレバニラ定食を食べた。緊急事態宣言等で生ビールは飲めなかった。20時に眠って、上のベッドの人が窓を閉めて、私が開けるという防衛戦を行いながら朝の6時にはもう眠れなくなったので、上野公園に行くことにした。街は出勤と登校と夜勤帰りの人が混じっている。


7時頃上野公園に着き、不思議な体操をしている人たちがいたので立ち止まると、適当に手をぶらぶらさせている若い男と目が合う。


調べると、6時15分からラジオ体操をする文化がこの街にあるらしい。気になるのでもう1泊上野に泊まって明日来よう。コンビニのおにぎりとアイスコーヒーを飲んだ。眠ったベッドは腰あたりに木材が当たっていたが、体は全く痛くなかった。


再びホステルに戻ってチャックアウトをした後、今日泊まる駅前のホステルに荷物を預けて、駅で硬いパンに挟まったハムとレタスの適当なサンドを買って、アイスコーヒーとともに再び上野公園に行く。


ベンチは空いていなかったので噴水前の段差に座り、帽子を深く被って小説を読んだ。ひとりひとり認識をするのが億劫なくらい人が通って、座る人も度々入れ替わる。空色の帽子を被った園児がたくさんと、大縄跳びをする中学生がもっとたくさんいた。同じような犬もたくさんいる。


どんどん日差しが強くなるにつれ腰が痛くなり、きちんとした椅子と机が欲しくなったので上野駅から御徒町駅、湯島駅間を適当に歩く。立ち飲み屋は少し惹かれたが、サラリーマンが店内から外にかけて蠢いて気が引けたので、いつものように薄暗い喫茶店を探して休んだ。



夕方、銭湯に行って体を洗った。アメ横のほとんど満員の居酒屋を何回もうろつく。私は小規模で静かなところを探していたが、大抵まともな店は休業していた。


なんとなく、小説の中のしみったれた人たちが顔を俯かせながら飲んでいる場所を探していた。以前も何かを探してこの街を歩いたことを思い出す。その時は何を探していたのか覚えていないが、この街では手に入らないものだったと思う。今もこの街にないものを探している。


適当に入りたいと思うが難しい。お腹は減っているが食べたいものがわからないので、とりあえず煙草を買った。歩きながら文字を打っていると徐々に混乱が解けて、目の前にあった店の外席に座ってタバコを吸ったら落ち着いた。隣のおじさん2人は訛りで聞き取れず、後ろの女性3人組は外国の言葉で話していたので心地よかった。


黒のホッピーセットを頼んでかき混ぜる。向かいの席には隣の客の鞄が置いてあった。電車の発車音と線路の高い音、低い唸るような音が聞こえる。何の音も声も意味を持たない。かといって1人で考えることはない。聞き取れるものがあるとあるでいいのかもしれないが、それは私を窮地に追い込むときもある。どちらにしても。


居心地のいい場所は、私の存在がなくなるところかもしれなかったが、それも怪しい。自己管理もできない。実家の幸せは抗うべきことで、友達の家にずっといるのも抵抗があった。


また、大学の近くで一人暮らしするのも違った。違うわけではないが、日記に書くことは特になかった。あったのかもしれなかったが、あまり価値のないものだと思っていた。


コンビニで蒟蒻ゼリーとストローで飲む赤ワインを買って上野公園行く。どちらも不味い。ベンチに座って、スケボー少年たちを見る。


透明になりたい。ホームレスは街の一部と化していたので憧れた。サラリーマンもどこにでも存在しているように思えた。携帯、財布、ホテルのカードキー、リップ以外のものをゴミ箱に捨てる。





2021/6/3 果物の日

6時前に目を覚まして上野公園のラジオ体操へ向かう。コンビニの梅おにぎりを食べながら歩くと、ちょうどラジオ体操が始まりそうだった。100人以上いるかもしれない。人々は2、3メートル円を描くように離れて、中心の高台にいる会員の真似をしている。


犬を傍に待たせている人、ほとんど動きのない高齢女性、可愛らしい動きの中年女性、サイケデリックなTシャツを着た女性、たくさんの人。

この街の住民、もしくは私のようなその日限りの人が一点に向かってラジオ体操をしているのは不思議と神秘的だった。


ラジオ体操第二が終わった途端、拍手とともに人は四方八方に散らばる。緩やかな流れだったが、張り詰めたものが弾けるような勢いと終わりに、私は動揺して皆と同じように歩いてみたがどうにもよく分からなかった。


上野公園の流れはいつものように戻り、誰がラジオ体操をしていたかのか分からない。目の前で何かが生まれて失う高揚と喪失感の中、ホテルに戻ってシャワーを浴びて30分寝る。


着替えて近所にあるカウンターの蕎麦屋で春菊の天ぷら蕎麦を食べた。なんか美味しく感じた。


その後、ホステルのロビーでコンビニのアイスコーヒーを飲んでいると、窓向こうの道路でショベルカーとトラックで数人の男が仕事をしていた。ショベルカーの動きをじっと見るのは初めてかもしれない。

ショベルカーは大きな塊のコンクリートを砕いて、器用にトラックの荷台に積んだ。撫でるようにそっと岩を押し倒す。暴力的なことと裏腹にその動きが好きだった。


その後、アメ横の真ん中らへんで果物屋で大きな怪しい葡萄を買う。1000円で1キロほどあった。自分では食べないが、今日泊まる予定のBの家に置いていくと思うと買えるものだった。そのまま学校へ向かう。



空気の重たいゼミを抜けて、外に出る。天気が良い。立葵、ドクダミ、ツツジが咲いている。学校で採れる果実は、春から1年の間で琵琶、梅、柘榴、酸味の強い柑橘、郁子(ムベ)、蜜柑、金柑、柚子。葡萄らしい木もあるが、実をつけているところを見たことがない。


明日の天気は荒れるらしいので、友人と脚立を借りて7号館前の琵琶の実をとる。久しぶりに会った背の低い友人はセーラー襟のついた淡い色のブラウスを着ていた。雲に見え隠れする太陽を枝越に感じながら、どちらか一方が脚立に登り、もう一方は落とされる琵琶を拾った。


知人が通り、琵琶をあげて少し喋る。私たちは2人で60個ほどの実を落とし、互いに10粒ほど食べて残りはビニール袋に入れた。


脚立を返して、次は10号館前の梅の木を見にいく。外からは成っていないように見えたが、ドーム状に育った木と葉の中に入ると上の方にびっしりと梅の実が成っていた。薄い毛の生えた手触りの良い表面に触れて、実を捻る。大きくて丸々としている。匂いはない。


退院明けの友人に少し琵琶をあげて、味見をしていた不気味な葡萄をあげると不味いと言ってゴミ箱に皮を吐き出した。こういう人だったなあと思い出して少し嬉しくなる。



Bと学校で会う。Bは、たまプラーザ駅周辺の戸建ての実家から学校まで親のベンツを自分で運転して通っている。親は仕事で去年からアメリカに行っていて、彼女も1年間休学して私と同じ学年になっていた。


他愛もない話をしながら、彼女が大手ゲーム会社に就職が決まったことを知る。素直に凄いと思い、自分と比べるものではないと知っていても多少引け目を感じてしまった。


コンビニに寄ったとき、この若い女2人が大きな高級車に乗り込むことに違和感を感じる。優越感とは異なる、間違いに近い違和感だった。中古の錆びたスーパーカブが恋しい。


1時間ほどで家に着いた。持っていた琵琶と葡萄を見せると、Bは想像以上に喜んでくれた。どちらも美味しいと言う。それらとつまみを食べながらハイボールを飲んでいると、19時過ぎに出前の寿司が来てビールと共に食べる。この家のハンドソープは甘ったるい外国の匂いがする。




2021/6/4 たしか台風


泣き叫ぶような嫌な夢を見た気がする。8時前に目が覚めるとBはまだ眠っていた。天気予報の通り風と雨が強い。2階のリビングに行って、大きな窓のシャッターを手で開けようと思ったが、スイッチ1つで開くものだった。


キッチンにあるコーヒーマシンの取扱説明書を携帯で調べて、勝手に珈琲を2杯と冷蔵庫から果物をとって食べる。キッチンのいろいろな引き出しを開けてみる。テレビをつけてみたが不快になったので消す。


10時頃Bが起きてくる。近くのパン屋で買ったという素朴なパンと珈琲を食べた。彼女の家は、部屋が広く収納スペースもたくさんあり、家族のルールで整頓されている。何がどこにあるか全く分からないので、迂闊に漁ることはできない上、漁って得たもの(例えばハサミなど)を使っていた場合、勝手に引き出し開けたのと思われるのは苦痛そうだった。


Aの家ではものが散らかっていて、勝手に何かを使った場合、適当に置いておけば良いので住みやすかった。そう思うと、Bは家主(仮の)としての自覚や客をもてなす意識が高く、私に手伝わせたがらない。また、カップラーメンなども備蓄せず自炊するタイプだ。


Bの家の方が私は動かないで済むが、Aの家の方が部屋に居させてもらう対価を払えるので長居することができた。


Bにこのこと話すと、Aの家は学校に近いので私が利用する形で泊まるが、Bの家は遠い中遊びに来てもらったからもてなしたいのだという。私は泊めてもらうだけ有難いので下手にでていたが、Bからするとそこは重要ではなく、わざわざ来てくれてありがとうというもの。私が今の生活で忘れたものだった。


こういう家こそどれくらい住み着けるか実験すると楽しいかもしれない。


あと、場所へ行くための時間、体力、お金等のエネルギー。そのエネルギーに対して、私は鈍感なのだと最近気づき始めている。


実家につくと、母の体調が悪かったので食事は各自で作ることになった。偶然机の上にホットプレートが出ていたのでサムギョプサルのように豚バラ肉を1人で焼いて、発泡酒で流し込む。






2021/6/5 流れるもの

犬が何度も頭上に乗るので目が覚める。風呂に入る。微糖のアイスコーヒーに牛乳を入れて飲む。外に出ると丁度、家で餌をあげている野良猫が坂を下っているところだった。父が土をいじっているので、湿気の濃い葉と土の匂いがする。


白黒の猫は、私が後ろに歩いても変わらずゆっくりとした足取りで、曲がり道で一度止まった。こちらを振り返って、数秒間目が合う。再び歩き出す。止まってこちらを見る。私がしゃがむと、びっくりしたように早歩きで隣の家に入っていった。


6月に入って庭や周りの植物が青々としてきた。怖いくらいに濃い緑色。私はこの植物たちに何度か助けられ、それ以上に何度も絶望的な気持ちにさせられた。この庭は、家の壁同様に私の生まれからの全てを記憶し、新しく芽吹く葉の全てにも染み付いている。



今日は父と釣りに行く約束をしていた。最初に近くの川に向かったが、着いた瞬間にお腹が減ったのでお湯を沸かしてカップヌードルのシーフード味を食べた。トイレから戻ると父はもう片付けをしていた。


ここは流れが早くて私には難しいらしいので、ダム近くの川に行くと言う。釣りには詳しくないので言われるまま車に乗ると満腹で眠っていた。車を降りて、父に言われた通り釣竿を穏やかに流れる川に向けて投げる。


父がどこかへ行って少し経つと、魚が釣れたという場所へ連れて行ってくれた。段差に座り、長靴を川に入れながら釣竿を持つ。もはや釣りをしているのかわからない。釣竿を手に持って川を見ていた。


暫く経って釣れないでいるとまた移動すると言い、今度は山奥の池に行った。周りには緑が壁のように生い茂り、池の向こう側の木々は曇り空のせいで色が濃く見えた。とても美しく、丁度いい大きさの池だったので釣りのことはどうでも良くなった。父がお湯を沸かしている間、周りのワラビを集める。食べ方は知らないが父が食べるだろう。


暫くするとまた移動して、最後は田んぼの近くの小川に来た。父はミミズを釣り針に刺してすぐに1匹釣ったが、私は蟻の行列を見ていた。川向こうに桑の実が生っている。体を伸ばして手を目一杯広げても、少し届かない。


その後、釣竿を渡さるが3度目くらいの投げで木に引っ掛けてしまい、釣りが終わった。とても暑かった。家に戻り着替えると、2人で叔父の病院へ向かう。


帰りにパチンコに連れてって欲しいと言って、桐生のパチンコ屋に行った。父は、よく分からない適当な1円玉の台に1000円札を入れる。父が終わった後私がその台で1000円を入れると400円目ほどで当たった。


おお、と感動したが何か色々と煩くて目が疲れ、気が滅入った。その後は15連勝して2万玉ほど出した。画面を見るのは疲れるので始終流れる玉を見ていた。そうだ、そもそも玉の流れを見たくてパチンコ屋に来たかった。


精算すると、水1本と飴2個と19000円貰えるようだった。精算の仕組みを知らなかったので、玉が全て水になるのかと思った。店員にプラスチックのカードを渡され、裏の換金所にそれを置く。さっと人の手がそれを引き、代わりにお札が置かれていた。これがこの世に流通しているお金だと思うことができず、家族分の寿司とプレミアムモルツ1箱を買って帰った。






2021/6/8 湖畔

友人が入院をして延期していたキャンプに、退院祝いも込めて行く。前日に栃木の実家に泊まってもらい、朝9時に群馬県の嬬恋村に向かった。


友人はキャンプが初めてで免許取り立てだったので、準備も運転も全て私が行った。3時間ほど運転をして、いつも家族で行っていたキャンプ場に着いた。


湖の方から風が強く吹いていたので、焚き火用の木々を風除けにして簡単なコンロを作り、小型のガスバーナーで珈琲を淹れた後、丸いパンを鉄のフライパンで温める。湖の際まで小さな椅子を運んで、煙草を吸うとやっとここに着いた実感を得た。


父は、彼の母の容体が悪化したため熊本へと今朝向かった。末期の膵臓癌だった。ここ1週間が峠らしく、亡くなって葬式が決まった後、母と私は熊本へ行くと言われた。


それまで私は何もできずに、祖母が死ぬまでの時間を待つというのは変な感じがした。人が死ぬのを待っている。


日が落ちると急に寒くなって、長袖にライトダウン、パーカーを3枚着込んでも駄目だったので、たくさん木を燃やした。父が持たせてくれた無花果の枝を燃やすと甘ったるい匂いがする。


木炭も燃やし、十分火がついたら箱型のコンロに移し、肉や野菜を焼いた。私はビールを飲んだが、彼女はアルコールが駄目だったので桃のジュースを飲んだ。何を話していたのか覚えていない。もしくはあまり会話をしなかったかもしれない。火を見ていると暗いことは思い出さないよね、と言われ、今まで何を考え、思い出していたかを忘れた。


キャンプ場はオフシーズンらしくもう1組しかいなかった。彼女はキャンプがどんなものか知らず、私もキャンプを知らない人とキャンプをしたことがなかったので、これがどんなものなのか忘れてしまった。


キャンプは仕事をすることなのかもしれない。荷物を準備する、食材を買う、運転をする、テントを建てる、物を置く、食べ物を焼く、珈琲を淹れる、酒を飲む、眠る。


全てをなんとなく計画をして実行する感覚をほとんど私が奪ってしまった為、友人はキャンプを楽しめたか分からなかった。自分が小さいとき、親がやっていたことを見様見真似で学んだ感覚を、大人になってからどう人に教えるのか分からない。


また、彼女は自分がやったことないことを想像して落ち込んだりする。例えば、鶏は自分で捌けるが牛や豚はできないから苦手と言う(だが何でも食べる)。鶏を捌いた事実があるのかは分からない。なので、私が全てこなすことで多少傷つくことがあるのかもしれなかった。


もし、上手な人だったら相手ができそうな仕事を任せるだろうが、全て私が動けば終わることで、限りなくそれができてしまった。彼女が切ったブロッコリーは口腔サイズだった。






2021/6/9 滔々と

とても寒くて3時間ほどで目が覚めた。失敗した。トイレに行くため外に出て、携帯を充電し暖房で暖まろうと車に入ると、彼女もトイレに行って車にきた。同じように眠れないらしい。私の知識不足のせいで、寒い思いをさせてしまい申し訳ない。


朝5時前、陽はもう登っている。温泉でも行けたらいいのに、と車で1時間ほど運転し、尻焼温泉という川に行った。川自体に温泉が沸いており、誰でも自由に水着などを着て入ることができる。川には男性が2人いた。ただ3方に囲いのある中に、石で作られた風呂のようなものに入る。


別に人が来てもどうにかなると思った。彼女の調子が上がってきて、川にも行きたいと言うので、裸のままぬるい川に入る。岩に生えた苔がよく滑った。顔の良い女と暖かかったり冷たかったりする川に全裸で浸かっていた。身体が白い。


駐車場まで歩いて帰る途中で、先程の男性に声をかけられ珈琲を貰う。引退した車部品関係の社長らしく、趣味で月に15日程車でキャンプをするらしかった。私たちの話には興味がなく、自分の話をずっとしていた。


キャンプに戻って、1人で延泊しようと思った。彼女と共に草津温泉まで降りて、髪の毛等を洗い、温泉に浸かった後バスターミナルに降ろした。今日の私たちは、早めに解散した方がいい感じだった。


戻る途中で薪と木炭とビールを買い、キャンプ地で焼きそばを作って発泡酒を飲む。ダラダラと片付けをしながら木を燃やす。炭を入れながら、昨日と同じように網で肉や野菜を焼いて食べた。


最寄りの温泉施設が休館していた為、30分ほど山道を車で走り、地元の人だけが来るような活気のない温泉に行った。


キャンプ場は人気がなくそれまでの道も無人だったので、ここには人がいると思ったが、薄暗く、私が入った頃に丁度人が出ていった。1人でお湯に浸かる。何かに甚振られている気分だった。都合のいいことに、彼女が居てくれればよかったと思う。


女であること、1人であることの色々な嫌なことを考えた。夜はまた火をつけて暖まったが、テントは寒くて眠れなかったので、持っている服を全て身につけ、寝袋を二重にして車で寝た。




2021/6/10 影

珈琲を淹れて、野菜と豚肉の適当なスープを作った。スナフキンを思い出す。彼も作中で味の薄い適当なスープを作っていた。テントやマットを乾かしながら片付けをして、湖畔の近くに腰を下ろす。


1人キャンプは修行のようだった。今まで父と母が動いて考えていた分を自分1人でこなし、夕方から火を付けて寒い夜を耐え、朝日と共に起き、限りのあるものでご飯を作る。ずっと考え、全てのことが快適になるよう気をつけるが、虫に刺されたり、寒かったり、必ず失敗をする。それが1人だと全て自分の責任として受け入れなくてはいけなかった。


また、父からの脱却をしなければいけないと気がついた。釣り、時々の食事、庭や火、家を守ることに関して、考えることなく頼っている。


キャンプで火起こしをして、それらの灰を捨て、片付けて車に乗せ、家に持ち帰り、屋根裏部屋の物置に戻すまで、全てを通して父がやっていることを私が初めてやったとき、身を通して父の行動を知って父からの脱却を少し感じた。


帰り道、道の駅の温泉に入りながら熊本の祖母のことを思い出す。感情がよく分からない。




2021/6/11 普通の日

蔵前でオーダーメイド家具のバイトの面接をする。面接といってもラフなもので、肌艶のいい年齢不明な男性と旅のことを楽しく話して、天丼を奢ってもらい、月末に単発で深夜の家具搬入の手伝いをする約束をした。旅行をすることは話のネタになると教えてくれ、色々な知り合いや経験をしていて面白いねと言われた。


そのまま学校へ行って、ゼミで少し話をしてAと一緒に国分寺の中華料理屋に行った。五目そばと餃子を頼むと、豆腐と杏仁豆腐が貰えたので五目そばの肉が口に入らない。


久しぶりのAの家は綺麗になっていた。髪の毛が落ちている数が減り、トイレも掃除しており、物も幾らか整理されている。私が泊まった影響で家が綺麗になったと言う。あなたが変えたんだよ!と言われ、綺麗になることが正しい訳ではないと思った。彼女の雑多とした部屋も好きだったし、今の部屋も過ごしやすくて好きだ。結局は私の部屋ではないのでどちらでもよかった。


彼女が課題で朝4時30分まで起きていたので、私も途中の2時過ぎまでキャンプの話を書いて眠った。




2021/6/12 知らない地

少し不穏な感じがして7時前に目が覚めて携帯を見ると、深夜1時頃に祖母が亡くなったから起きたら電話をして、と母から連絡がきていた。すっと理解できたので外に出て電話をすると、航空券を買って欲しいことと喪服を買いに行くので早めに栃木に帰ってきてという事務的な内容だった。


母にとっての義母、私にとっての祖母というより、父にとっての母という言葉や関係性が悲しかった。私の中に父がいる。


彼の母は訛りが強く、何を言っているのか会話中の単語でしか判断ができなかったので、会話をしたという記憶があまりない。私は祖母にとって何人目かの孫だった。


一度、父と2人で熊本に行ったとき、祖母の原付を無免許で3時間ほど乗り回して山をいくつか超えたことがあった。携帯の電池はなく1000円ほどの所持金で、アクセルとブレーキしか操作が分からない中、山のソーラーパネルを目印に帰ることができた。


その話を熊本の家の人に言うと、驚いて、何でそんなことをしたんだ?と責められたが祖母が怒ったのは父に対してだった。甘やかしすぎ、育て方が悪いと言った。祖母にとって私は、直接怒ることもできない程理解のできない人間だったのかもしれない。


明るく声が大きくて食べ物をくれる、田舎の典型のような祖母が死んだ。1人の人間がいなくなっても電車は動いて、コンビニはやっていて、滞りなく世界は継続している。生き残った人間だけがこの世界にいる。当たり前だった。



時々、アイドルの映像を観るとき、私の代わりに踊り歌ってくれてありがとうという気持ちになる。自分がアイドルになる適性はないので、画面越しの彼女らに軽い自己投影をして何か心を満足させる。


目指してはいないが、少し憧れている夢をまだいくつも持っている。プロゴルファー(ゴルフはしたことない)、アイドル、少年、ラッパー、花屋、哲学者、登山家、海底研究家、植物学者。興味はあるが何となくその方向に向かなかったものたちを、少しずつ他者から摂取して生きている。





2021/6/13 通夜

午後2時の便で熊本に行く。曇り空が重くて体が動きにくい。葬式の準備で母は少し疲れている。部屋が散らかっているので家中片付けて掃除機をかけた。萎れてきた紫陽花を水から抜いて、壁に吊った。歳をとった母の体の代わりに、母のような魂が私の体を使っているようだった。


犬の散歩をして祖母の家に寄ると、成人をしたのだからと真珠のネックレスを貸してくれた。昨日、喪服を買ったのでもうセーラー服で葬式に参加することはない。


空港へ向かう途中、隣の母が眠ったのでつられて寝る。朝から少し身体が近付いているような気がする。人の死、身の回りの不幸が起こると、人は身近な人に近付くような、また一方が同情するような、寄り添い合う行動や心理をとるのだろうか。


叔父が倒れたとき、家が燃えそうになったときも私ができることはなかったが、両親や祖母は疲弊していたのでずっと側にいた。それだけで必ず多少の力になると確信した。


叔父のとき、生きている限り、死を内包した体と向き合わなくてはいけないことを知った。


火事のときは、家が燃えると諦めて、自分で再び家を建てるローンを組む覚悟をした。詳しいことは分からないけどこの決意が決定に変わったら、なんとなく想像していた人生が結構変わるだろうと思った。


また、家の持つ記憶や思い出に固着している自分を見つけた。記憶はある程度自分の中に存在していると考えていたが、それならどうして物に執着するのだろう。物が何かを思い出すきっかけになることはあるが、その全ての思い出が必要か分からない。それでも無くしてしまったものは、探してしまうのだろう。



空港で喪服に着替えてタクシーで式場へ向かった。髪の毛をまとめてヒールを履き、膝丈のワンピースに真珠のネックレスを着けた私は普通の大人のようだった。21歳。コスプレみたい。


いとこの子供たちは高校生と中学生と小学生が5人いて、式場に学校の制服を着た子供がいることは何となく救いだった。


死んだ祖母は19歳の時に農家の嫁にきて、その長男の嫁は19歳ぐらいに子供を産んだ。私の父が母を連れて熊本で暮らしていたら、私は全く違った人間だっただろう。


時代が違うにせよ、自分が今の歳で子供がいたという突飛な想像が熊本に来るとあり得ない話ではないと思う。叔父は私に早く子供を産めと言うが、私は時間をかけてやりたいことがある。


けれど田舎では、子供がいることが老いた人たちにとって最大の幸福のように見えた。小さい頃、親戚が何故そこまで自分を可愛がってくれるのか分からなかったが、生きものとして正しい反応だったのかもしれない。小1の男の子が無性に可愛い。



生まれてしまった後は、少しずつ死ぬ準備をする。私が両親や祖母から自立しようとしているのも、彼らが死ぬことへの準備、私が上手く死ぬ為の準備なのかもしれない。


感情も行動も全て生きるための反応。最後は死ぬ。でも、生きものにとって死ぬことが最大の恐れと認識されているから、それに抗うよう日々を努めて明るく生きようと思い、様々なものを受け入れて忘れていく。

祖母の通夜で涙は出なかった。祖母は集落の顔役のような人だったので、コロナ渦にも関わらずたくさんの人が焼香をあげに来た。






2021/6/14 葬式

朝の5時前に起こされて、ビニールハウスの瓜を収穫する手伝いをする。熊本の岩村家は農家で、きゅうりと西瓜、柿、栗を主に育てているが、味噌漬け用に業者から頼まれて今年から瓜を育てているらしい。


20センチほどの大きさまで真っ直ぐ育ったものを鋏で切って、泥を払い籠に入れる。地面を這うように伸びた葉は実を隠すほど大きいので、手で瓜を探りつつの作業だった。ビニールハウスは長さが50メートル以上あったので、最初の方は鼻歌なんかを歌っていたが徐々に汗ばんで疲れた。


1、2時間作業をした後、シャワーを浴びて朝ごはんを食べると、葬式に行く準備をする。農家は親族が死んだ日だとしても休みはない。生き物を扱う仕事はすごい。

9時前に式場に着き、出棺の儀をして花を顔の横に置く。叔父が泣く。父は泣かない。祖母の頬に触れると冷たくて数年前に死んだ栃木の祖父を思い出した。死んだ者の肌に触れる感覚に涙が出た。


少ししてエレベーターで運ばれると、霊柩車に乗せられて嫌な音を鳴らしながら出ていった。私たち親族はバスで火葬場まで行って、祖母を燃やす為のボタンを祖父が押す。


エレベーターの扉のような向こう側で熱い火に燃やされていることは、小さい頃とても恐ろしいことだった。今ではカプセルホテルで眠ることができるが、昔はあの形状のものに入ると燃えて骨になってしまう想像をした。


子供の頃はゲームをしていればいい時間も、今では皆んなと話をして待たなければいけなかった。コロナで飲めなかったが、こんなときにお酒は必要らしい。1時間以上経って骨を壺に入れる。熊本の人はせっかちで、早く喉仏を入れようとする。


式場に再び戻って昼食を食べ、アイスコーヒーを飲んで昼寝をした。起こされて髪をほどいたまま椅子に座り、念仏を聞いて焼香をあげる。その後、心臓を掴まれたように涙が出た。


繋がりのある人が死ぬのは、自分の証明が消えるようなことかもしれない。最初は親や親族しか知らないけど、大きくなるに連れて徐々に社会との繋がりを覚える。その網のような広がりを祖父母との繋がりから徐々に新しい誰かへ広げ、いつかは両親が亡くなっても大きな穴が開かないように、どこかへ編まなければいけない。


与えられたもの、生まれたときから持っていたものを、失ったままではうまく生きていけないのだろう。憎むもの、嫌いなものは執着するほど好きだった。もうあまり物事を考えたくない。



小学1年生の男の子がクワガタを5匹捕まえてきて、寺の裏にいた孔雀を威嚇して羽を開かせていた。私は寝ている大きな犬を撫でる。


叔父と留守だった近所の庭に入りヤマモモを勝手に取って、山の麓で鯉が泳いでいるのを見た。ヤマモモを取るときに、ここに登ればいいと言われ、登るとお尻を持ち上げられた。そのあと叔父は、これで長生きできると親族に笑いながら話していた。


叔父は酷い痛風持ちで、脳梗塞で倒れてやっと退院したばかりだった。脳梗塞の入院時につけていた嫁との交換日記を読んだ。


叔父は、どう人と接することで相手が元気なるか、どうその場を作るかを考えながら入院生活を送り、最終的には病院のほとんどの人と顔見知りになるという話だった。妻への感謝の言葉も丁寧に書いており、様々なことを経験したからできることだと思った。彼が陽気に振る舞う裏には、自身の死への不安や病気のこと、また私の祖母である彼の母の死があるのだろう。


高1と中1の男の子が野球をしていたので少し混ざった。祖父の横に座ると、大学生なんだからビールを飲めと言われる。香典の金を数える。200万。






2021/6/15 祖父


朝起きてシャワーを浴び、叔母と朝ごはんを食べた。母はまた瓜を手伝いに行った。祖父母の家の方に行くと葬式の会計をしていた。軽トラックを運転したいと言ってみると、叔母が手前に出してくれた。


マニュアル車を乗るのは1年ぶりだった。1人で近くの畑や田んぼを見て、広い道路をシャーっと走った。曲がる時はギアのスムーズな替え方を忘れてしまってガクガクする。30分くらい経って家の坂を登る時、エンストして車体が大きく揺れたので体でクラクションを押してしまった。


少しすると叔父が柿の剪定をしようと言うので再び軽トラに乗ると、1時間30分ほど作業をするというので騙された気分になった。ひと枝に柿の実が1つになるように他の実を切り落とす。ずっと上を向いている作業だったので少し陽気になる。


帰りは私が運転すると言うと、早めに引き上げると言ってその場で作業が終わった。がっがと不器用な運転をしながら少し離れた胡瓜の畑の方に行って、そこから家まで叔父が運転した。上手だった。


祖父に呼ばれて何故か5万円が入った袋を貰う。祖父が犬の散歩をするというので着いて行こうとすると、犬の紐を渡されて祖父は家に入ってしまった。1人で犬を持って、上の方の家で母と叔母とトウモロコシを食べる。


少しして散歩を再開する。犬は悲しそうな顔でこちらを睨んでいた。道中、近所の人とすれ違ったが、私が挨拶をしてもこちらを見ずに私の持つ犬に話しかけていたので、私はここにいないと思った。悲しいことではなかった。

帰って祖父とビールを飲む。彼は、訛りの強い益城弁で私の目をじっと見ながら話した。大学で遊ぶばかりではなく、生きるためのこと、社会でやっていけるようなことを学びなさいと言った。


祖父は農家の長男でずっと農業をしていたが、腰があまり曲がっておらず格好が良かった。プレイボーイで近所でもモテていたらしく、葬式では未亡人のおばさんが祖父の手を握りにきた。帰り際、そんな祖父を抱きしめたくなったが背中に手を当てて別れた。

13時の便に乗った。ずっと眠る。乗り換えの浅草でご飯を食べようとしたが、緊急事態宣言とランチ終わりの時間で店があまりやっていなかった。母が、今日は運勢的に良い日だと言ってスクラッチを買って200円当てる。
















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