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2021年5月






2021/5/4 北の街


煙草が必要なときはブレブレだとわかる。

人がいるところにいないとどうしたらいいか分からず、もがいて、とりあえず酒を入れればいいと思った。

繁華街は少し苦手だった。探し出した良心は皆沈没していた。






2021/5/17 ピリ辛


Aの家に泊まった。Aは国分寺駅南口徒歩4分程の場所に住んでいる。朝と夜にインスタントコーヒーを飲む。部屋は雑多としているが、部屋が広くて新しいので様になって見える。


私は予備のものを持たないが、Aは色々なものを備蓄している。私の荷物がソファーの裏に置いてあっても気にしていない。中身は、北海道用の服がいくらかと旅用にこじんまりとした洗面用具や化粧品が置いてある。靴は何故だか膝丈のブーツが玄関に残っていた。

そこから幾らか整理してここに残すもの、栃木に持って帰るものを選別する。Aの家に残ったものは、長袖のが2枚とシャツ、ズボンが 3枚、ワンピース、靴下などとそのままのスキンケア用品。ブーツは持ち帰るのが面倒でまた置いていく。


空気が水分を限界まで蓄えているようなとても蒸し暑い日だった。黒い長袖のシャツを袖捲りして過ごす。


夕方からはタイに行った日のことを思い出し、下水道の匂い、湿気、車のヘッドライトが国分寺の街と重なる。お腹が減ると脳はタイ料理の甘辛い刺激を求めていた。手軽に作れる素をカルディで買い、野菜を国分寺駅バス停近くの八百屋で買う。とうもろこしが安かった。ソムタムとヤムウンセンとタオチオ炒めをつくる。






2021/5/18 焼け


昨日より肌寒くて、低気圧で起きていることが辛かった。


金属加工の講習を受けた後すぐに帰って、ジーパンのまま床で寝る。昼間食べなかったので夕方に即席麺を食べて風呂に入る。


いくらか経つとまたお腹が減って棚の中に純豆腐の素があったので、前に新大久保でチヂミを食べたことを思い出した。スーパーに具材を買いに行って、チヂミと純豆腐とナムルを作った。





2021/5/19 マルジェラ


友達の服を借りて学校に行った。慣れないヒールを履いた。靴の中に小石が入っていて足裏に豆ができる。全く趣味の異なる服を着て出掛けるのは楽しいが気が疲れた。


自分の服が軽装で着回しの効く旅用の服だと気が付いた。反対にAは、持ち歩くには重量感があり洗濯機で洗えないような服と歩きにくい靴をたくさん持っている。駅が近い家だと機能的でない服でもいい。夜が高カロリーだったような気がしたので、ラタトゥユとピクルスとショートパスタのクリーム和えを作る。






2021/5/20 面影


Aの服とサンダルを身につけて学校へ行くと、同学科のファッションの教授にそれ私が作りマシタと言われ、多分違います、と初めて会話をした。また靴擦れをする。


昼間予想外に煙草を2本貰ってしまったので、詫びにキノコのマリネを作って栃木に家に帰る。


帰宅中の電車はずっと座れているが頭がぼーっとする。疲れた。電車の風景は徐々に変わっていき、車外が真っ暗になるに連れて車内は広々とし、乗客は互いに干渉しなくなっていく。


3時間程くらいして栃木の家の前に着く。雨の降る音や匂いが国分寺と異なり、私は栃木に着いたと実感した。暗闇の中、植物たちが徐々に私たちの家を侵略する確かな気配がする。生物の生気に軽い恐怖と興奮を感じた。


父の作ったせり蕎麦を食べる。父は誰にも教えないどこかで立派なせりを摘んでくる。3日間床で眠っていたので家の布団が寝づらい。犬が私の頭を枕にして座る。数日家を空けるとヒエラルキーが落ちるらしかった。





2021/5/21 蛞蝓


朝起きて、昼間に伸びすぎたペヤングを半分食べて床で寝る。夕方起きて父とご飯を2品づつ作って、1Lの養命酒を貰って生きようと思った。






2021/5/22 靴底


午前中に2時間お風呂に入った。勝手に分けている自分の洗濯物を洗い、サラダを食べ、珈琲を入れ、家族の洗濯物を畳む。


いつの間にか、父よりも母の方が他人になっていた。母の機嫌を確認して、ご飯を作り、風呂を沸かし、祖母の家に行ったり、東京へ行ったりする。そうやって自己的に接してくれることが健康的で正しいと気付く。


育てられることから手伝うこと世話をすることのシフトチェンジが徐々に行われている。私はたまに祖母を車で買い物に連れていき、料理をお裾分けする。


祖母は心配性の為、私が1人で旅行することを知らない。祖母と私の間にはおよそ都合のいい私が存在する。そう思うと悲しくなって私は祖母とうまく会話ができないが、祖母は私が近くにいるだけで嬉しそうだった。


また、父は私に対して甘い。優しく、生命力が強い人なので私のためにモロヘイヤを育てたり、焚き火セットを用意してくれたりする。私は父にあまり気を使わないので、一方的に受ける親切は道理がなっていない気がして少しおかしくなる。


家族を含めた人と暮らす生活は、一人暮らしの後では考えることが多かった。どうして一度家を出ると色々なことに気付いてしまうのだろうと思ったが、私たちは数年前まで互いに依存していた。


家を出てることで、やっと家族は他人だと認識することができた。昔は経済的に自立すれば親から離れることができるだろうと考えていたが、結果は物理的距離と物事の考えの変化だった。


引越しで私のものたちが実家へ戻ると、持ち物は3年前と大きく変わっていた。けれど、私の趣味は親の影響を受け続けていた。たくさんの本の中には友人の影もある。


夕飯には、Aの家で作ったタイ料理が美味しかったので再び作る。ソムタムは素を使わず作ってみたが微妙だった。イワシの内臓を取っていると猫が寄ってくる。切られたイワシの頭に恐る恐る手を伸ばしているが、焼いている匂いの方が好きらしい。犬はそろりと背後を狙って私の魚を咥え、床に落とした。






2021/5/25 化け物


昨日はAと蔦の生えた小料理屋で夕食を食べた。酒を数杯飲んだので、9時頃にAがバイトに行くまで床から起きる事が出来なかった。1人でスピーカーの音楽を聞きながらシャワーを浴び終わると、これほどまでに快適に暮らして良いのか不安になる。


お腹が減ったので棚を漁って適当にご飯を作っていると、自らの存在を忌々しく感じたが、食べ終えた頃にはどうでもよくなっていた。


洗濯をして、この部屋の為に動こうと思い、駅ビルに入っている花屋で切り枝を買った。木は細長くいくつかに枝分かれしていて、黄緑色の小さな葉をたくさんつけている。1m程の枝を買うのは初めてだったが、ウォールナットの家具が多いこの部屋に、細長い丸花瓶に挿した切り枝は似合っていた。


昼頃、所沢の図書館へ向かう。家に対して無責任なので足取りが軽い。道を幾つか間違えて、トウモロコシなどの夏野菜が育つ小さな畑や川のように大きく流れる線路の脇を通った。


ここに来たら埼玉と共に眠ろうと大宮のドミトリーを予約していたが、その図書館にあった「ムーミンママの料理の本」を読むと、切り枝のことやキッチンのことが温度を伴い、懐かしく、憧れのように感じたので国分寺に帰ることにした。この生活に予約はいらないと感じる。


家についたが、大宮でキッチン用具に触る事ができないまま、遠い地のベリーや美味しそうなじゃがいもの料理を想像している方がずっと楽で、楽しいだろうと気付いた。


ここには、素敵なレシピ本や新鮮な野菜の取れる畑があるわけではないので、携帯でレシピを調べて、国分寺の反対側の駅口まで歩いて薄っぺらい買い物袋にあれこれ詰める。重い荷物を持って部屋に着いた頃には幻想も解けてしまいそうだった。


クリームチーズを溶かして、グラニュー糖、溶き卵、薄力粉、生クリームを小さな泡立て器で混ぜ合わせ、バスクチーズケーキをつくる。200度までのレンジオーブンなのでしっかりと固い焦げはつかなかったが上出来だった。お菓子を焼いている間、甘い匂いが部屋に充満し、開いた窓から少しずつ空へ帰っていく。


これで良かったのだと思うと同時に、人の家で勝手に木を飾って、ケーキを焼いている自分が得体の知れない気持ちの悪い生物に思えた。Aが帰ってくると、途端に喜んでくれたので助かった。


机を外に出して、満月をみながら、レーズン入りのキャロットラペやサラダ、ミルクスープなどを食べながらケーキをつまんだ。今日あったことを互いに話しながら、私はいいことをしているつもりで動いているけれど、同時にあなたの生活を滅茶苦茶に壊していると伝える。


すると彼女は笑いながら、むしろ生活を上げてくれてありがとう、日常感がぼやけていいと言った。その姿に、お世辞のような嘘を感じなかったのでまた助けられた。


少し前まで一人暮らしをしていたとき、何か夢中な事がない夜は耐え忍ぶように過ごしていたことを思い出す。そのときの苦痛や悩みはおよそ様々な場面に分配され全く消えることはないが、同じ時間同じ苦痛を味わい続けるよりは幾らかよくなったのだろう。


片付けをしながら、Aがベランダで不眠症の青年と電話している声と中央線の振動に近い音がキッチンまで届く。






2021/5/26 電球の色


この家で、私はAより早く寝て遅く起きるようになってしまった。体がこの家に慣れてきた証拠だ。危機感を感じて、今日はカプセルホテルに泊まることにする。


阿佐ヶ谷の釣り堀に行こうと思いGoogleマップを開くと、近くに覚えのない店がマークされていた。一昨年くらいに私が留学に行くと嘘をついて辞めた店の人が教えてくれた名曲喫茶だった。

勝手が分からない中、軋む床を歩いて数段下がったソファー席に座ると、目の前に大きなスピーカーがあり、古びたランタンがいくつかぶら下がっていた。暗い室内に目が慣れると、化粧梁に小さな女神像などの置物が張り付いていることに気付く。


珈琲を頼むと、歳をとったマスターがブランデーを数滴振りかけてくれた。音楽に詳しくなかったが、場に呑まれて安直に全てが素晴らしいものに思えた。


特に正面の大きなランタンが何故か好きだった。梁で隠れた光により薄橙色に照らされ、バーナー部分をぐるっと囲むガラスは埃が積もっている。


それが奥まった部屋の真ん中にあること、私が光の届きにくい下の段にいること、斜め前の老いた男性がラスクを頼んだこと、全てが丁度良かった。この店にいる全ての人(全員老いた男性)が友人のように感じられる。2時間ほどこのような日記を紙に書いた後、ようやく釣り堀に行こうと思い、店を出た。


金魚の池の前に1時間いたが先程の感覚から抜けられず、ただ水に浮いている浮きや金魚を見ているだけで満足した。初夏の少し肌寒い風と西日を浴びるのに釣りはなんて丁度いい遊びだろうと嬉しくなる。


釣竿を持って糸を垂らし水面の浮きを眺める時間が好きだった。その1点を中心に世界が広がっていき、不意に餌がなくなることでその先とこちら側は辛うじて存在するのだと知って、また新しい点から世界が生まれた。こうしているときは東京にいることの違和感が和らいで、山の中での釣りとは異なった許しを受ける。


山の中では、異物の私と蛍光色の浮きが同盟を組んでいた。互いにじっと待っている。時折、浮きが風に揺れたり、渦に呑まれたりすると私にも同じことが起こったように、私はここにいるのだと安心した。


夕方、商店街で女店主が1人で切り盛りするラーメンを食べると、この土地に住んでいる人への敬意を感じ阿佐ヶ谷が急に近しいものに感じられた。食べ物の力はすごい。


その後、総武線で水道橋のカプセルホテルに行った。夜の8時から皆既月食だというので、散歩をしてみたら思ったよりこの街が好ましくて、東京ドームの周りを一周した。橋の上、曇った月の方向をたくさんの人々が足を止めて眺めている。


水道橋には思ったより人がいる。野球を見終えた人々が階段を降りてどこかへ帰って行く帰っていく。一人座っている私は、なぜか迷っているような気がしてくる。荷物はホテルのロッカーにあり、ホテルのカードを持っているけれど私は帰ると言えるのだろうか。





2021/5/27 不健康

深夜に腹痛で目が覚めた。起き上がると、吐き気と腹部の違和感で意識が朦朧とする。暫くして水を飲みに違う階に行こうとしてエレベーターの鏡を見ると、頬が真っ白になっていた。額は床のように冷たいのに、大粒の汗が浮かんでいる。いつの間にか全身汗をかいていた。


視界が徐々に色を失って、数年に1度起こる貧血だと理解する。床に座って携帯で自己診断をした。今の体の状況が誰かによって文字にされているのは有難い。それがどんなにデタラメだとしても、なんでも良かった。


カプセルに戻って横になると、生きている安堵で深くゆっくり眠れると思い、また目を覚ませるような気がした。


外泊するときは気が張って滅多に体調を崩さないと思っていたが、もう私に家の区分はないのだと気付く。体調を崩したら、どんなところでも水を飲んで少し眠ることが必要だと学んだ。


また、学校へ行って、自分がこの生活の為にどれだけ思考を取られているか知る。文字を書くようになってから反省やこれからのことを頻繁に考えている。


周りへの自己の投影が増えた。拡張されていくような感覚だが、どうしても魂から逃げることはできない。魂の範囲で、行動や好みの規則をつくる、捨てる、取り入れるを繰り返している。昔から行なっているけれど、いつの間にか忘れている。


4日ぶりに帰った実家は相変わらず猫と犬と父と母がいた。いつか誰かがいなくなるまで彼らはここで私を出迎えてくれるだろう。


深夜まで絨毯の上で眠っていた。床で眠る環境自体に慣れ、起きても体が軽いくらいだったので、厚い敷布団の上で眠るのはどうだろうと思ったがすぐに寝ていた。どこでも眠れるようになった、または毎日疲労している。


どこにも住みたくない。身体が少しずつ、移動、簡易布団、こだわりのないシャンプー、洗剤を使うことに慣れていくにつれて、心にゆとりが生まれてくる。


人に頼ることも大切だと忘れないようにする。それは例えば、喫茶店の店員と私の関係で何の会話もなく、金銭とサービスの関わりだとしても。


自身の部屋による最大な救いは私にはないのだから(実家では、机と父の本棚がある3畳の物置みたいなところに自分のものを置いている)、こだわりのものを集めるとか、花を飾ることは誰かに任せる。それが他人でも友人でも家族だとしても、一人暮らし時より自分を投影している。


部屋に閉じこもることができない以上、かつての部屋のように自身を感じるところ、外界に向かって、必然的、偶然的に足を運ぶことになるだろう。それを得る情報が看板や携帯どんな媒体だとしても、私がそこへ行ったことの事実が重要で、今考えるべき事柄だと思う。




2021/5/28 少し触れるもの

足利市駅から館林、久喜、新宿で乗り換えて、また阿佐ヶ谷に来てしまった。昨日ゼミで考えもなしに名曲喫茶で見たランタンのことを話していたから、何故そこまで気に入っているのだろうとまた見たくなった。丁度、演奏の終わりと始まりの間で入ってよいか迷う。手前の日差しが当たる席に座って珈琲を頼んだ。


前回より少し遠くなったランタンを見る。やはりあのランタンは部屋の真ん中にあって、一番大きく目立っていた。良かったが、初めてほど全てが心地よく感動的なものはないと思った。慣れることは怖い。


それでもこのランタンからは、物事の関わり合いの中で自分を不意に発見するような微かな感触を感じる。両サイドの洋梨のようなまるぼったい針金に、黄ばんだ丸いランプシェード。どんな手や機械によってつくられたのだろう。


この部屋の大きな音と薄暗さに思考を緩ませて、インターンシップを申し込んだ。学校に着くとインターンの返事がきていたが、あっさりと承諾したものだったので少し笑ってしまう。ついでに東京でのアルバイトも紹介してくれた。


電車に乗りながら、中国出身の大学院生が紹介してくれた「霊山」を読んでいると、自分の中でノンフィクションとフィクションについての疑問が解決した、というよりこの答えの感覚を思い出した。


真実は、体を通して感じる世界への反応と絶え間のない思考だけだった。


文章、文字に起こしている過去は、私がかろうじて伝えることのできる一杯の塊。





2021/5/30 内臓の場所

母のお使いで、療養病院にいる母の兄である叔父に荷物を渡しに行った。コロナの影響で1年以上面会禁止状態だったが、その状態が有り難かった。


2年前の冬、私の誕生日の数日前、仕事中に心筋梗塞か脳梗塞で倒れた。1ヶ月ICUにいたが奇跡の回復力で意識が戻り、今では喉に呼吸補助器を着けながらスマートフォンを触っているが寝たきりの状態で生きている。


このことに関しては、体が考えることを拒否しているようにほとんど言葉を持ち合わせていない。叔父だけが所属している創価学会のことや祖母の家の2階の叔父の部屋などこの人に関することは、自分の踏み込みにくいところにあった。


滅多に行くことのない入院病棟の体臭や排泄物、死に近いような臭いをどうしても拒みたかったが、呼吸をする度に少しずつ体の中に入ってくる。


看護師さんに荷物を渡すと、しばらく前に泊まった埼玉県の田舎町で、美術じゃなくて看護師になって人のために働きなさい、と言ってきた中年女性を思い出した。人には向き不向きがあると、ここに来る度に考える。病院の隣が競艇なので今度は開催日に来よう。


その後、祖母の家に行った。会話が成り立っているのかよく分からない。前に話した事柄をまた聞かれて、再び同じように答えている。


ここはループしている世界線で、少しズレた世界では真新しい会話が行われているのではないかというSFを思い浮かべた。90歳、あまり家から出ない祖母の世界観で、話題を見つけるのは難しい。少し突飛なことを話すと、目を宙に浮かせ、曖昧な相槌しか打ってもらえないのは苦しかった。


それだったら、全て祖母の想像する通りに相槌を打つことが良い孫なのかと思ったが、こうして気持ちを整理してみると、もう少し自分から話そうと改める。





2021/5/31 杖

新宿でたまに行く喫茶店で一服しながら、市ヶ谷駅徒歩3分ほどのカプセルホテルをアプリで2000円払い予約した。チェックイン後、ベッドの冊子を読んでいると、通常だと倍くらいするらしいので得した。


ここは受付の横が女性専用フロアになっていて専用のカードキーがないと入ることができず、風呂もトイレも必要なものは全てこの中にあった。


風呂は大浴場付きで、クレンジングオイルや保湿液、綿棒、部屋着、タオル、ヘアアイロン、加湿器など生活に必要そうなものがほとんどあった。カプセルの空間は、マットレスの上に十分立てるほど天井が高く、テレビがついている。少し怖くなるほどこのホテルは快適に思えたが、その反面およそ住み着いている、長期滞在しているらしい人が数名いた。


夜、軽い認知症らしい老人にトイレの場所を尋ねられ案内した後、再び、トイレはここですか?と話しかけられた。目はぼんやりとして、先程の私と今の私が同じ人物と認識しているのか怪しい。


その後、カプセルに戻ってタブレットをいじっていると、その老人が他の宿泊客にトイレの場所を聞く声が聞こえた。このホテルは薄暗く、トイレや風呂の情報も記号化されているような場所なので、老人がそれを理解するのは困難だと頭で分かっていながらも少し怖い。


また、この老人のカプセルはL型の部屋の角にあり、そこを通らなければトイレや風呂にいけなかったのでカプセルを出るのが億劫になった。老人の杖をついている音は換気扇の音に紛れ、足踏みしながら人が通るのを待っている。


共用スペースでは、たくさんの袋を広げながら1人酒盛りしている人が幾らかいた。旅行先のドミトリーでのこじんまりとした晩酌ではなく、自分の家のような感覚でしている。皆、年齢層が高めで慣れている様子だ。受付は新人らしく、人が通る度マニュアルに載っている言葉を口にする。












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