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2021年12月




2021/12/2 ポウポウ


日記を書くことを思いつかないほど、何かと忙しかった。昨日は、プレ卒制(プレビュー卒業制作)の講評があった。


作業的には、脚立の上り下りやホームセンターの買い出しなどで大変だった。しかし、出来上がったものを見て、これはなんだろうと思った。コンクリートの薄い灰色の壁に、淡い映像が投影されている。


体がとても疲れていたので、作業や講評に対する満足感を感じてしまった。無駄に動いていただけかもしれないのに、体が重いので思考ものっそりとしたものになる。電車に乗って座ると、気絶している。あと、体が痣だらけになっていた。


今日は、写真をゼミ生全員分の作品を撮った。興味がない人の作品でもレンズを覗くと、好ましいものになる。


写真が好きだと思った。自分に関わりのある範囲の写真。ポーンと自分が広がっていくような、そうなる手段としての写真。稀に、会った事もない人の写真でもそうなる。


自分の体に付いた眼の視野では、正直に触れることのできないものたち、人々が存在するのだと知った。カメラを使うと、自在に焦点をずらして、どんなものでも綺麗な光に変えることができる。撮れた写真を見て、私とそれらとの距離感を知る。


卒制でできたら嬉しいこと。


・カメラは世界との距離感を測る道具だということ

・大きなものから小さなものまで、かつての自分だった、同胞だった、もの同士の区切りなんて本当はないこと

・しかし、生活を続ける体の存在を無視できないこと。


決して表現の都合のためにカメラを使っているわけではなくて、カメラから生まれた考えが、カメラに還元されていく感覚を忘れたくない。






2021/12/8 rain

昨夜から一日中雨が降っていた。洗濯物が溜まっていたので洗濯しに行った。洗濯を待っている時間に家に帰って、トマト缶を煮ていた。洗濯物を乾燥機に入れる間、試しに火をつけたままにして家を出た。5分くらい。換気扇の回るドアの外側から、既に香ばしい匂いがした。


急いでドアを開けると、鉄のフライパンの底が少し焦げつき、トマト缶はいい感じに煮詰まっていた。私のいない時間に物事が進行していることがあるのだと感じた。


周囲の時間は耐えず私の周りを流れていくので、それを毎度実感する感度を私は持ち合わせていない。私の背後の出来事の変化、時間の在り方をいちいち認識していたら、目の前の出来事を受け取ることさえも疎かになる。

けど、今日は自分しかいるはずのない自室で時間が過ぎていた。朝に家を出て夜に帰っても変わらないと思っていたこの部屋にも時間が流れているのだと、今日初めて認識した。



寒かったけど、学校で調べたいことがあったのと今日から有効の定期を買ったので、学校へ行った。雨は少し俯き気味なる。


寒いといっぱい食べてしまう。無性に味が濃いものを食べたくなる。そうしないと、体が体温を維持できない感覚がする。


今日はお腹が減っていないのに、ラーメンを食べた。味が濃くて良かったが、お腹が減っていないと物の味が素直に感じられる。なので、空腹時には補正がかかっているのだと思った。暗い映像室で不思議な映像を1時間30分見た。






2021/12/10 卒制メモ


「フィルムに定着された映像は、ファインダーの中に切り取られた範囲内では、無差別に光を感じた結果なので、私たちはしばしば、自分の目が見ようとしていなかったものまで見せられると感じる。


普段の視覚は、自分の興味や必要によって見るべきものを、素早く選択肢的に見ているから。映像が深淵の中に浮かび上がる感じは、ここからもやってくる。」(ロラン・バルト「明るい部屋 写真についての覚書」花輪 光訳、みすず書房)


・フィルムカメラ - 溢れる映像や写真に対する違和感への手がかり、自分ともの(世界)との物差し

・旅 - どこに行っても安心する場所があった。それは、かつて私が存在した、または過去のものと酷似している。

・生活 - 体がある。それを無視することができない。滞りのないリズム。


事実と感覚では、そのことによってそれが得られる、与えられるという結びつきを信じてはいけない。何か違ったことで、本心が伝わることがある。



全てが動いている。自分の体のことだけでも精一杯なのに、歩くと景色は少しずつ変わり、人々とすれ違う。横には車や自転車が通り、大きな音を立て、風を起こす。急に正面から風が吹いて、街路樹の葉が落ちた。そのコンクリートは少し欠けている。


私は、正面とも言い難い不正確な範囲しか見ることができない。その中の出来事を全て認識することはできないけど、それらをざっくりと「見る」ことはできてしまって情報量の多さに困惑する。


それを写真に撮ると、全てが均一化したつまらない写真ができた。こんなにくっきりと見えているわけがない。お腹が減ったら何を食べようかとずっと考えているし、音楽を聴いているときは、音楽の情景を目の前の風景に投影させる。


何も問題のない日、体が調子が良いときの街は、いつに増して光が綺麗に見えた。バスの振動で揺れ動く草花も、工事のクレーン車も、台車を引くお兄さんも全て、好ましい対象だった。それでも、写真に撮るとコントラストの効いたつまらないものができた。


本当の視野を見てみたいと思った。祖父の撮った牡丹園の細長い写真が、私が世界と繋がる唯一の手がかりだった。よく分からないまま、フィルムカメラを使って写真を撮り続ける。


すると、家を飛び出して北海道に行っていた。空気がどこまでも広がって、繋がっていることが分かる。私と世界との距離が少し分かったように感じた。


祖父のフィルムカメラは、私にとって世界との物差しだった。レンズとフィルムがないと、私は世界をうまく受け入れることができないらしい。


カメラに動かされるように、各地へ行った。すると、様々な場所、明確にその場所だとはいえない様々なある一点、または、空気、光、音、匂いに惹かれた。


家に帰る。部屋にある日々の行いが、秩序の保った美しいことだと知った。旅を繰り返す度に、生活は徐々に形を変え、私は生活についての様々な固定概念を疑っていた。






2021/12/21 カレー


21時過ぎ。鷹の台駅前の通りを歩いていると、声の高いおじさんに「あら、みちこさん、おかえりっ!(あぶないっ?)」と言われて、日記のことを思い出した。


近は言葉を書くことが少ない。制作中は、世界が全て鏡のように見える。どこまで目線を遠くに飛ばしても、自分の像が見える。

今までのように日記を書いているときは、何かを見て感じて、それを記述し、書いた後に自分の像がうっすらと見える感覚だったが、今は言葉にする時点で湿っぽい気持ち悪い自己が存在するので、私は言葉にすることを躊躇ってしまう。


制作中(自信を持って制作ということはできない)は、あやゆる自己を、自分から引っ張り伸ばし、他者として考えなくてはいけない気がする。私は、自分に自信がないからそういったやり方をするのかもしれないが、小さな本を作ったときも同じようだった。



最近のルーティンは、午前中に学校に行って珈琲を飲んで、12号館下でカレーセットを食べる。わかめが沈んだ味噌汁と、千切りというには太いキャベツのサラダと、ぬるかったり、ちょっと熱かったりするカレーライス。ピンク色の漬物がついている。


このカレーは、美味しいのか分からない。不味くはない。これを食べると、体調に不具合なく午後を乗り切ることができる。点滴のように体に馴染む。あまり噛まなくても食べることができるから、離乳食のようでもある。


サラダの歯応えで、ものを噛むことを思い出す。モゴモゴして食べにくいので、流動食とのバランスが取れている気がする。体が弱っていると、あまり噛まない食事を求めやすいと聞いたことがあるけど。


たまに朝起きると、勝手にカレーの味を思い出している。また、正門に着くと、カレーを食べようと思っている。ちなみに今日も食べた。明日もカレーを食べに学校に行く。






2021/12/22 いつのこと

ずっと前、父の後ろを歩いていた。自分の背丈ほどの草藪をかき分けて、大きな木が倒れている、その下をくぐり抜けて、あらゆる光のざわめきの中、水筒とチョコレートを持っていた。


家の裏の山に登った。晴れた日。1人で入っては駄目だと教わったから、いつも父と一緒だった。


風が強い日は、頭に木が刺さるから山に入るなと口うるさく言われた。けど、山の声が荒々しく姿を見せたときは、友人か家族に名前を呼ばれているようだった。


遠い海から、街と山を越えて、私に吹き当たる冷たい風は、様々な記憶を持っていた。





2021/12/28 具合


夕方、友人がいきなりアル中のラッパーの本を貸してくれた。どうして今、年末の卒業制作の時期に、アル中の本を貸してくれるのだろうと思ったが断らずに借りた。


ポケットに両手を突っ込み、暗く冷たい道を歩く。裾の広がったナイロンのズボンがシャカシャカと音を立てた。


見慣れた道。たまに、車が道を塞いでいたり、道に沿って並べられた自転車の側で帰り支度をする警備員の姿が見える。家の小さな門の側にママチャリを置いて、玄関の隙間から会話をする主婦の姿も、明るい部屋の中で談笑する男女の姿も、光る首輪をつけた犬も、昨日見たものがどれだったか、覚えていない。


それらの捉えられる物事が、この道の風景の上に、曜日や時間ごとに現れる。そこに、私が通って、それらの物事に出会う。鉢植えの花々は日々成長し、または枯れていくのに、私は何も覚えていない。


私のいない間に動いた人間の証拠(花に水をあげた、通りを掃除をした、など)を、私は認識することができない。例えば、掃除をしている人を私が見た道と、掃除された後の無人の道、両方とも綺麗な状態であることには変わりないのに、前者の方が覚えている。後者だと、綺麗であることを認識することもできない。


人の動作がそこにはあったはずなのに、風景はあまりそれを教えてくれない。私が外へ開けているときだけ、たまにそれを受け取らせてくれるくらい。


しかし、その過去の動作を認識できないということは正しいのだと思う。今存在する物事を満足に認識できないのだから、過去のことまで見えてしまったら大変だ。


西武国分寺線に乗ると、自分の服の汚れ具合がよく分かった。パテを削った際に出る粉で全体的に白くなっている。学校ではなにも気にならなかったが、公共の場に出た瞬間、自分は何者だと思われているのだろうと想像した。



家に帰って、白菜と豚バラを出汁とかで煮る。納豆とそれを食べた。


鬱病とアル中とかの漫画を読んで、友人に借りた本を思い出した。本を読んでいると、部屋が狭く、暗いことを思い出す。内臓が飛び出しそうな感覚にはならなかった。ただ、そうなる時との具合は紙一重なんだと知った。





2021/12/29 今日

今日からの5日間は、学校に入ることができないから安心する。だから、昨日の分と今日の日記を書くことができた。朝、珈琲を淹れて、素甘とチョコパイを食べながら、昨日の本を読み終えた。そのおかげで文章を書くことを思い出したというのもある。


他人のどうしようもない日々を文章で読めるのは、不思議だと思った。全て過去のことで、全く知らない人だけど、学ぶことや共感することがある。


アルコール中毒や鬱病、自律神経失調症などの漫画やエッセイを読んで、完全な他人事だと思ったことがない。世間だと、これらのことを病気だと一線を引いているが、人間の体を持っている以上、素質は皆持っている。


なるべくそうならないために頑張っている。運動をしていたお陰で、体の動かし方が少し分かった。物の重さとか、何となく自分に可能な作業とかを想像することができる。






2021/12/30 ホットコーヒー


目を開けると、頭上にあるカーテンの隙間が明るかった。今日は昨日より寒くない。起きようと思って暖房のスイッチを入れて、寝転がったままipadを触る。


お湯が沸いたので、近所で買った豆を挽いた。象印の保温ポッドいっぱいに珈琲を入れる。


朝起きたら、すぐにお湯を沸かして挽いた豆で珈琲を淹れるのは、母の習慣だった。早起きすると、餌をねだる猫と一緒に、珈琲を淹れる寝起きの母の姿が見えた。犬は二度寝をするために私の頭上にくっついていた。


そういえば、小学生くらいの頃、初めて母の淹れた珈琲に牛乳を入れないで飲んだことを覚えている。冬だった気がする。年末の掃除とか、冬休みの宿題とか、そういったものの隙間だった感触がある。苦かくて、母は笑っていた。


中学生の定期試験の勉強の時は、多分、牛乳を入れた珈琲を飲んでいた。高校生の頃には、牛乳を入れないで飲んでいた。今では珈琲屋さんの店主に、1番苦いですけど、と言われた豆を淹れて飲んでいる。煙草と珈琲がとても合うことを知っている。



少し前に、熊本の叔父宛に、夏に撮った熊本と北海道の写真を送った。2日後には返事の手紙がきた。少しお金が入っていることを期待したが、入っていなかった。手紙は、手紙をもらって嬉しい、私と通じ合えた気がしたと最初に書いてあった。


その後の文章は、大野(私の母の旧姓)のおじいちゃんの葬式の際、じいちゃんが熱いからと、焼却炉の前に水を溢していた姿を見て、あなたは大野家を継ぐべき存在だと確信した。あなたは色々とやりたいことがあるようだが、結婚することも視野に入れた方がいいという内容だった。


要するに、早めに結婚して子供を作ることが人間としてあるべき選択肢だ、ということらしい。それが2、3枚続いている。


それを読みながら、私は泣いていた。泣いている自分に驚いた。手紙の文字に対する体の反射反応だった。なので、その涙はすぐに収まり、ケロッとした気持ちになっていた。


予定が来年の1月18日までしかない私にどうしろというのだ。叔父は事あるごとに結婚しろと言うが、まさか手紙でさえも言ってくるとは思わなかった。


父から正月の餅やみかん、煎餅、干し芋、干し柿、お年玉が送られてきた。干し柿は父が作ったものだった。数年前、父が干していた柿は青カビを生やしていたが、今回のものは市販のように綺麗だった。


今年の夏に死んだ祖母は干し柿を作るのがとても上手だった。祖母が死んだ途端に上手になった父の干し柿。とても美味しかった。












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