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2021年10月






2021/10/1 si

小さな馬と仲が良かった。

その馬は私の身長に合わせて、体の大きさを自由に変えられた。

馬は、私が誰かと話している間も、ずっと私のことを待っている。

私は馬のことを思い出して、駆け寄った。

匂いのない馬の上に乗って、体を寄せた。





2021/10/2 (^^)v


何もしていない。アニメを13話一気見して21時に寝た。もう重力に耐えているだけ偉い。





2021/10/3 ヘルシー

今日は、朝8時に起きて、いっぱい寝たねと母に言われて、コーヒーを淹れた。犬と猫を抱き上げた。それが今日のピーク。


半日かけて、引越しのための荷物をまとめてしまった。あと15日あったが、パソコンとipadと携帯と充電器等があれば、生活は滞りなかった。その上、荷物がまとまっている方が安心する。


やることが1つ減った。自分の中のリストのようなものが存在しているけど、それを書き起こすことは滅多にない。それは、分刻みでもありそうだし、年単位でもありそうだった。


14時に父とカメラ屋と無印に行って、お金と車を出してもらった。昔からこの感じを知っているけど、後何回これが繰り返されるのか分からない。


不意に父は何度、この町の同じ道を走っているのだろうと思った。私は、父と乗る車は本当に無気力で眠くなる。周りへの興味も父への興味もない。数分の距離でも座席を倒して目を瞑る。母の隣では、なんとなく話をすることはできる。父の場合だけ、何故かこうも甘えて幼児退行している。


祖母の家に行った。彼女は、彼女が買ってくれた自転車を私がまだ持っていると思っている。無くした。その相違の悲しさは通りこえて、どちらが先に死ぬのか考えている。死に向かっていることは変わりないのに、どうしてこうも何かの差が開いていくのか。


再び同じところ、1つになりたいと思っている。それはもう、この場所ではできないような気がする。死んだ後に、またこうして会えればいい。


夕食時、馬刺しが出てきたので、残り少ないチューブのニンニクを振っていたら、蓋が飛んで顔と手にニンニクがかかった。






2021/10/4 透明色


川と空が青くて毎日驚いている。空を見ていると際限がなくて不安になる。川を見ていると何を見ているか分からなくなる。全てが目で追いつけないものたちなので、考え始めるとより一層不安になる。


何かの文章で、青色が自然界の生命の色だといって、宮崎賢治の詩を例に挙げていた。


色々なことを知りたい。学ぼうと思ったら学べるけれど、私がしたいことが何なのか少し見失う覚悟も必要な気がする。今、自分が持つ世界との関係性を無下にすることができなかった。


何かを求めている先で何かに拘束されている。それを望んでいたのかもしれない。ただ自分ができることを続けている。そうしていると、不思議なもので徐々に知り合いが増えていく。昔はこういうものが苦手だと思っていたけど、今はなんとなくできている。


分からないからものを作ることができる、と言った人の言葉を覚えている。




2021/10/5 いい日

私はその人のケチなところが好きだった。お金はある程度あるのにケチだったけど、たまにドバッと使った。


去年のクリスマス前、横浜に行った。新宿かどこかで待ち合わせして、元町・中華街駅で降りて繁華街を歩いた。


べったりしている品のあるカップルとすれ違う。正当な関係ではなく、東京からわざわざ人目を避けて横浜に来るんだね、と彼女が言った。彼女の考察はいつも偏見が混ざっていた。内容が具体的なので本当にそうなんだろうなと信じてしまう。いつも自信満々に言った。


通りを適当に歩くが、コロナの影響で人が少ない。町外れの店で胡麻団子を買った。それを持って薄暗い公園の端のベンチに座る。禁煙という看板の目の前で煙草を吸った。


すると、男性が1人こちらに向かって迷いなく歩いてきた。注意されるかと目を逸らしたが、私たちの目の前にある地味なアーケードのようなものの中で自撮りをして帰って行った。


偶然見つけた中華料理屋に入る。店先の持ち帰りカウンターにいる初老の男性の手元には、吸い殻の入った灰皿がある。引き戸を開けて店に入ると、客はいなかった。2人なのに大きな回転テーブルに案内される。店員さんは日本人ではないようで、間合いや接客のテンポが何となく不思議だった。


私たちは何を食べるか決めていなかったが、コース料理を食べたらすごく良いと思った。街の外れの静かな中華料理屋でコースを2人分頼む。


冷たいクラゲ、焼豚、小籠包、覚えていない料理たちが、徐々にスピードを上げて出されては、直ぐに下げられた。馴染みのない店で名前の知らない料理を食べてることは、まるで幽体離脱をしているようだった。特に話すこともなく、出てきたものを黙々と食べる。


家族経営らしい店員たちはこちらに興味がないようで、私たちの軽いトリップに干渉せず素晴らしかった。全てが平坦で平和で、生きていることが心地良い。海外旅行の感じを思い出したが、それとはまた違って安心の具合がとても大きかった。


全て食べ終えるとお茶を飲んで、小さな中庭のようなところで煙草を吸った。ここすごーい、と間抜けな会話をして店を出た。


彼女が月餅を買いたいと言うので、有名そうなお菓子屋に入った。2人の体格の良いスーツ姿の男性客が絶対にカタギではない雰囲気でドキドキした。店を出て、横浜っぽい!と私たちは月餅を持ちながら興奮した。


そのままクリスマスの市場がある場所まで海沿いに歩いた。みなとみらいが馬鹿みたいに光を放っている。その馬鹿馬鹿しさに笑った。赤レンガ倉庫には、クリスマスのコーナーと屋外アイススケートリンクがあった。私は気分が上がっているので、スケートしよう!と押してスケートをした。


私は滑れたけど、彼女は子鹿のように震えていた。なので、彼女の手を引っ張るように後ろ向きに滑った。彼女はそれで満足したようで早々と切り上げた。リンクには制服姿の女子高生や上手なサラリーマン風の男がいたり、変な空間だった。


30分ほどでやめて、近くのバー兼喫茶店に行った。店は、完璧にバーの姿をしていて、先客のおじさんたちの野太い声が店内に響いていた。コーヒーを頼むと、バーテンのような格好をした爽やかな店主がハンドドリップで淹れてくれた。煙草を吸いながらボソボソと会話をして、店を出る。


素晴らしい日だった、と2人で言って帰った。






2021/10/6 友人

偶然、仲の良かった先輩たちと喫煙所で会った。そのまま座って話して、夏休みから何をしていたかと近況を話した。そのままうちの1人と新宿の喫茶店に行った。


喫茶店で彼女がナポリタンを頼んで、私はエビピラフを頼む。先にホットコーヒーがきて、彼女は一度断ったミルクをほんの少し悩んでから入れた。小さなサラダを食べる。


食事を終えると、私たちの他にもう1人、いつも遊んでいた人を思い出して、電話をしてみた。彼は、電話に出れさえすればいつでも来た。


駅前で、その人を見つけられないでいると見覚えのない人がこちらに歩いてきた。彼は髪の毛がもっさりとして、薄い丸縁の眼鏡をしていた(以下、眼鏡と略)。


そういえば最後に会ってから2年程経っていた。コロナになるまで、私たちは狂った様にカラオケに行って(恥を晒す練習としてすごく良かった)、コロナ後はzoomでたまに酒を飲んでいた。そのことをいま、顔を見て思い出した。


コロナによってそれらがなくなってしまったのかよく分からない。けど、その分武蔵美以外の知り合いが増えたのは不思議だった。


3人でバスに乗ってアパートに着いた。彼女に掃除をするから待っていてと言われた。2年前、私の部屋に来る時は、問答無用で部屋に推し入ってくる様な人だったのに。


少し経って、部屋に入って良いと許可が出た。ギリギリ片付けたくらいの部屋は、物が増えていた。2年も住めば、やはりその分の人間の汚れや物の蓄積がある。床には2人の黒い髪の毛が無数に落ちていた。


部屋全体で煙草が吸えるのは相変わらずで、バネのいかれたソファーに座って煙草を吸った。この日の体調はあまり良くなかったが、酒を入れたら何とかなった。


この感じが懐かしいと私が言うと、彼女はこの場所を掃き溜めだと言った。確かにそうだった。けれど、この集まりは何となく気怠くて好きだった。皆が皆の欠点を認めて、笑って、酒を飲んだ。


22時過ぎに家主が帰ってきた。紙巻きのヘビースモーカーだったのが、アイコスに変わっていた。






2021/10/7 食べもの

朝起きると、部屋は相変わらず汚かった。8時30分に起きると、家主は少しして仕事へ向かった。私は今日が授業であると思い出して1人で家を出た。


そのことが何故か悲しくて、昔、この家でみんなでだらけていたときを思い出す。少しの2日酔いと卒制の焦りで、気分は最悪だった。チェーンの薄暗い喫茶店で、本心か分からない言葉を打ち、それが本当であるかのように計画を立てる。


授業に行って教授と話をした。適当なことは打てるけれど、話すことはできないのだと思った。なにも覚えていない。自分は文章をある程度書けてしまうから、そこから考えが持てたと信じ込んでしまうのかもしれない。


友人に会おうと言われて、煙草を吸う。2号館の壁にもたれかかって少し話をした。ぽつりぽつり話して、私が信じていたことに対して疑問を持ってくれる。それが正しいかは分からないが、有り難かった。


今日は立川に泊まろうとしたが、母から私の分の寿司を買っちゃったよと言われたので、足利に帰る事にした。


寿司、炒め物、なめこの味噌汁、サラダを食べた。誰かが作ってくれたご飯は美味しい。無性に喉が渇いて、ジョア2本とお茶をたくさん飲んだ。お腹いっぱいになったのでカーペットの上で眠った。


地震が起きた。被害はなかったが、気分が落ち込んだ。風呂に入って卒制を考えて寝た。






2021/10/8 明日こそは


電車の中、ずっと眠くて、やっと起きると、本の内容が入ってきて、空を見たら日はもう落ちていた。17時30分。冬が近いらしい。薄いオレンジ色と灰色の落ち着いた色をしている。冷たそうな色をしているが、私は長袖を捲っている。まだ暑い。


昨日地震があった。揺れた。揺れることへの怖さはあまりなくて、もうどうしようもないと思っている。気づいた時にはもう揺れているのだから、揺れを感じるしか他はない。



わたしの中から全てが生まれてくる。なので、どんな文章もスケッチもバラバラに見えても、本当は全て統一された何かではないかと思う。だけど、集中力が欠けていたり、何かパニックになっていると、それらのものは桁が外れて、私のものではない、なにか雑なものになってしまうと思った。


しかし、そんなもの、全ての現実を受け入れて対応している限り、ブレてしまうことはあるだろうと思っている。そこも含めて私があって、批判を交えながら客観的に見なくてはいけない。


今日最近の出来事は、自分から巻き込まれに行っているとはいえ、かなりきつい。日記の滞り、一般道速度オーバーの罰金と免停の手続き、引っ越し書類と家具作り、卒制のプラン提出、クレジットカードの支払い、人と会う約束をすること。動画編集。ぐう。


生きていることに絶望しているが、どうにかしなくてはいけないと思って、体調が悪いのも運がない気がするのも、対処しようとしている。動いていないとどうしようもならないので、この体の存在をありありと感じられる。生きているならハッピーという気分になった。


卒制で自分がやりたいことが何なのか分からなかった。多分極論は、展示をしたくないのだろうが、それは展示をしたことない故の億劫さからの考えだと思う。






2021/10/9 news

日記を書くため、取り憑かれたようにずっとパソコンを見ている。早く終わらせたい。夜、テレビを見ていると、「コロナ後の未来へ 令和の幸福論 27歳のネイリスト ホテル転々の理由」と取り上げられた短いドキュメンタリー調の映像が流れた。


ある女性が転々と訪問ネイルをしながら生計を立てていた。女性は、コロナ前まで世界を巡る計画を立てていたが、コロナでせいでそれが叶わなくなったという。このまま働いていたら20代を無駄遣いするのではないかと思い、ホテル生活をしながら出張ネイルをするという新しい生活様式を実践していた。


自分の旅の表現方法について考えていたので、つい見てしまった。生産性のある武器があって良いな。


旅を再現すること。私の感覚を他者の体で追体験してもらうこと?卒制で人に見てもらうには、近づいたら静かに取り込んでしまうような装置か、どうしても気になってしまうような圧倒的な装置を作るべきだと思っている。こうやって文字で打つのは簡単だけれども。




2021/10/10 冷たくなる前に

心の中に鈍い光を灯らせて、曇っている

悲しいことがあったっけ?

人が良いというものを信じることができない、こっそりと本当に良いものを教えてください

目が反射して光っている、濡れた葉

海や植物のように強くいることができないから、獰猛に、悲しい


体は発光することができないけれど、その生々しい熱さが、濁っている眼球の白色、こちらを見ている、湿った体を携えて、2つの足で立っている

眠る前の瞼の痙攣、寒いこと、ゆっくり何処かでお茶をしている

私とあなた、区切るものは何もない




2021/10/11 オートエスノグラフィー

文化人類学自体が文字で定められるようなものではないので、以下は自己流にまとめたもの。


オートエスノグラフィは、自分の体験やそれによって生じた感情の動きを記述すること。友人曰く、身体障害者や性的マイノリティの人がその視点によって社会を読み解くというのがよくあるらしい。私の場合は、栃木県で生まれた一般家庭の女の視点?


オートエスノグラフィー(auto-ethography)は、「自身の-民族誌」と訳すことができる。


オート(auto)は「自己、自動」という意味。また、autoの元の語であるautomaticは「自動的な、無意識的な、習慣的な、自然発生的な、必然的な」だ。


エスノグラフィー(ethography)は「民族誌」と訳す。この場合の民族誌は、学問分野として整えられた記述という意味で、必ずしも本を作ることではない。


この言葉から、自身の無意識の行動や感情を、説明的に記述することがオートエスノグラフィーなのだろうか。しかし、言葉的な意味だけに留まらず、体と文字との関係性も考慮しなくてはいけない。


オートエスノグラフィーと日記の違いは、人に見せる前提があるかないかだろうか。ある場合は、必然と説明的な文章になる。ない場合は、自分さえ読めれば良いので、あだ名など自分たちの世界の言葉を使ったり、感情の吐露が激しく記述されるかもしれない。


しかし、両者とも、時代や文化の影響を受け続ける人間の一個人という枠組みから抜け出すことはない。昔の日記が発掘されると、それが時代を読み取る貴重なものになる可能性がある。筆者はオートエスノグラフィーの存在を知らなくても、そういった文献として捉えられることもあるのだ。結局は、第三者によってその存在は決定されるのかもしれない。


私の文章は、自身の思考をまとめる、自分を他者として捉えることで自己肯定をする、など全ては自分のためのものだ。しかし、ただ一個人の記述が他者の経験に接続されることで、誰かの救いになるのかもしれないと少しの希望を抱いている。


卒制ではこれを空間使ってできればいいのだろうなー(- -) v。。






2021/10/12 民俗学の旅


宮本常一の自伝を読んでいる。彼は生前、移動をし続ける生活をしていた。本や記録をまとめる為に1,2年同じ場所に留まることはあったが、戦争前後の激動の時代を生きた為、北から南まで本当に幅広く歩いていた。


かれは教師と農民という職業と知識を持って、不安定だった世の中を繋げるため、消えてしまう話を記録するために動いた。というより、彼は巻き込まれ体質だったようで、周りの偉い人に気に入られて動いていたという感じがする。


2021/10/14 日曜大工

昨日は、3日ぶりに外に出た。太陽の光がとても眩しく感じて、体が重い。両親と焼肉のランチを食べ、そのまま2回目のコロナのワクチン注射を打ちに行った。前回より人が少なくて早く終わる。


その後、引越し先で使う家具の木材を買う。あまり計算していなかったので、感覚で買った。1度家に帰り、叔父の病院に母と行った。


今日はワクチンの副作用で熱が出るかと思い、家を出ないことにした。体調が悪くなるまで、木材の作業をする。父がバイク小屋(使っていないバイクが置いてある小屋)に、昨日買った木材を運んでくれたので、それを丸鋸で切った。


丸鋸で、とても集中して木を切った。集中すると、丸鋸の影が真っ直ぐの補助線に見えて、鉛筆の線を見て切るよりも上手く切れる。


14時頃に全て切り終えた。体調は悪くなかったので、ラジオを聞きながら、そのまま組み立てをした。引越し先で使うので全部は組み立てず、運びやすい形まで作った。


自分の仮住まい用の家具なので、無理矢理ビスを打って間を埋めたりする。自分で描いた適当な図面が、しっかりした物量を持って自立していくのは楽しい。木の良い匂いがする。時々コーヒーを飲んだり、猫を見たりしながら、ゆっくりと朝から夕方まで作業をした。






2021/10/15 老人日和


朝は両親が出た後、ゴミ捨てと犬の散歩をした。祖母の家に行って昼を食べた。食後の散歩と音楽が心地良い。晴れて、少し冷たい風が吹いている。10月なのに半袖を着ていた。


20分ほど歩いて市役所に行き、転出届を出した。前に5000円分のマイナポイントのために取ったマイナンバーカードのおかげで手続きがスムーズだった。


良い気持ちで、近くの寺で散歩をした。久しぶりに見た寺には、昔の光や埃の粒があった。人々や遊具が色褪せた写真の様に感じる。寺の周りの堀を歩いて鯉と鴨を見た。


その後、近くの取り壊し中の市民公民館を見て、少し悲しい気持ちになった。華やかだった庭園は土の山になっていたし、かつての合唱やピアノの発表会のコンサートホールでは、2階から業者の人が取り外した椅子を投げていた。音が響く。


かつて大切に扱われていたものがゴミになる瞬間。市民たちの記憶はどこにも拠り所がない。ここでの記憶」を思い出す機会が増えるのか、減るのか。思い出すとしても、危ういものになるのだろうか。ものをがないと伝えられないものもある。



説明として写真を使うと、そのものの見た目や感じた説明を省くことができる。便利だけど、その分言葉の良さがなくなる。


私は、デジタルのようなクリアな視線でものをみていない。色々な考えや悩みがあって、画角のもの全てを捉えていないし、固定されたものではない。3:4の画面で収まることにも満足していない。そうやって、物事を本当に撮ることはできない。諦めている。





2021/10/20 よよ


10月17日に西荻窪に引っ越した。

今日は、私の携帯のスイカがうまく作動しなかったけど、後ろのおじさんのICカードで改札に入ることができてしまった。おじさんと私が数秒見つめ合う。


その後駅員さんのところに行ったので、おじさんとは会話することはなかったが、2人とも情けない顔をしていた。少し楽しかった。


バイトで初めて多摩川駅に来た。田園調布駅の隣で、駅前の公園から続く住宅地は大きくて立派な家が多い。現場は公園の通りの角の家で、2世帯住宅の大きな家だった。地下1階から地上2階まであり、2階にはサウナと水風呂があった。


帰りに銭湯や喫茶店に行く準備をしていたが、財布を忘れた。携帯のSuicaで交通費は賄えたが、1度家に帰る羽目になる。しかも、カードの上限ギリギリで1000円しかチャージ出来なかった。昼食代が怪しいので、代表に奢ってもらった。パンと甘栗とアイスコーヒー。自宅が、三鷹行きで間に合うのだと、乗るまで気付かなかった。






2021/10/21 ハンラン


アメリカドックを食べた夢を見た。


今日は幸福だと思ったけど、心の中に何かがつっかえていた。心地よい天気が生み出した、ぬるま湯の幻想なようなものだった。日が落ちて寒くなったら悲しくなりそう。


部屋を決める時、どんな肩書きもいらない小さな部屋が欲しかった。白い壁と淡い木目のフローリング。


今はまだ、順序のある生活を送ることができる部屋を保っている。小さなユニットバスがあって、同じように小さなキッチンがある。布団は折り畳み式で、本来は洗濯機を入れる場所に押し込んでいる。


なので、部屋には洗濯機がない。ついでに冷蔵庫もない。私が持っている家電は、スタンドの照明とオーブンレンジ、アイロン、ドライヤー、コーヒーミルくらいだ。オーブンレンジはいらない気がしている。


冷蔵庫がないと、買い物の仕方が異なって選択肢がグッと狭まる。これから冬に向かうところなのでまだ良い方だが、キムチや乳製品、肉、魚などが買い溜めできない。野菜は袋と紙に包むと保存が効いた。


この制限が、生活を不便なものにしているのか、手間の少ない生活にしているのか判別はできない。近くの銭湯があって、その銭湯に付属しているコインランドリーで洗濯をする。柔軟剤を入れることはできなかったが、タオルなどは乾燥機13分ほど回すとふわふわに乾いた。


また、夜は部屋の狭さを感じやすいので、厚着をして公園に行く。灯りの下で、携帯に日記を書く。辺りは真っ暗で、目に見えるものが少ないので、部屋よりも集中力を保つことができた。気軽に外出することを学んでいる。


都心の人はこうやって狭い部屋で生きているのかもしれんなと、また、それで充分に幸福で、バランスが取れることを知った。


これから学生ではなくなる私が、就職もしていない私が東京に住む。最初は何処となく不安で絶望的なものに感じたけど、公園でアイスコーヒーとパンを食べていると、今は充分に幸福で、明日以降の日々もどうにかなるのではないかと思えた。



昼間、小学校の裏にいたミノムシを見ていた。誰もが通り過ぎる掲示板の横、透明な糸の先に小枝のようなものが浮いている。よく見てみると、小さなものが風に揺れながら伸びた糸を手繰っていた。


出てくる瞬間を見てやろうと見ていたが、虫は引っ込んだり少し顔を出したりを繰り返しいるだけだった。


私がじっと見ていたとき通った親子は、私の去った後、その場所に戻ってミノムシを見ていた。生身1つで言葉を交わさずとも、見つけたものを伝えることができるんだと思った。







2021/10/23 a


今日は椅子が届いた。すぐに組み立てる。天気が良く、窓の出っ張りに座って、本を読みながら煙草を吸った。とても良い気分だったが、j-comの営業が来て全部台無しになった。この部屋に見知らぬ人がいるのは好ましくない。


今日の午後と明後日と来週末の予定があることは、救いのようで全く救いじゃない。暗くて幽霊のような本を読んだせいだろうか。濃い色をした夜更けの湖の気配が何かを貶めている。


私ではない、地面や空気などが震えていた。悲しむことはない。時期に良くなる。全ての調和が元に戻るときまで、私は生活を続けるしかない。


私は、暴力と平穏を望んでいる。どうしようもない力に捻じ伏せられた後、適応の静けさ。心地良い静けさを、自ら手に入れることはできないから、それが部屋を満たすまで、私はこれまでの知恵を振り絞ったり、捨てたりする。


友人の為に花束を作った。それが良いものか分からない。間違えたかもしれない。


友人と駅で待ち合わせをして、私の新居に彼女を招いた。彼女は新居祝いでものをくれた。煙草を吸って、互いに貸し借りしている本の話や今後のこと、男のこと、生活のことを話した。


夕方になって、銭湯の横にある中華屋に行った。換気扇がエンジンのような大きな音を立てて回っている。横にあるテレビでは、コロナ禍における若年層の自殺増加の問題を取り扱い、遺族のインタビューなどを映していた。


うぐっと苦しいような気持ちが湧いて、私たちはそれを視界に入れないようにしたが、テレビの音量は換気扇に負けじと大きな音をしていたので、暴力的に私たちの意識に入ってきた。こういうものは目に触れないようにした方がいいと、お化けでも見るように俯き顔で言う。私もその通りだと思って、話題を探した。


坦々麺を食べて、何故か彼女が残した中華丼も食べた。気持ちは大食漢だったので食べてしまった。


その後、駅の方に歩いて喫茶店に入った。カフェオレとフレンチを頼んで。何かを会話して帰った。





2021/10/25 海中道

6時に起きた。西伊豆の写真家さんのバイトに行く。満足できない日々が続いている。人と会いすぎているのかもしれない。


人と会う約束があると浮き足立って、見た目を気にし出し、現実と空想の中を行き来してしまう。人との約束は、そこまで生きている保証のような気がするし、喜びと憂鬱の共存でもある。


活力のない人々が電車に乗っている。手入れのおそろかな髪の毛のうねり。睫毛のボソボソとしたダマ。隙間に溜まったファンデーション。下を向いた顎の丸み。通勤電車には、心地良いエネルギーのようなものがなにもない。


誰も、目の前の人間を見ようとしないでいる。存在を認識していないかのように、目を瞑るか、携帯電話を触っている。彼らにはこの電車に対して何も期待をしていないのだろう。ただ、車内がそれほど混み過ぎず、時間通りに動いてくれさえば良い。


隣の若い女はダウンを着ている。右斜め前の男性はトレーナーだけ。不意に、若くて美しい人を見たいと思った。


小田急線は眠くなる。乗客は落ち着いていて、それぞれの街は大きく、白く、下の方にある。少し寒い。斜面に沿って街がある。


人生や運が落ち続けていると思っていたが、実は坂道だったと考え直す。それは時間が経った後に分かることだった。時間や意識は今にしかないが、確かに記憶があって今があることを認識する。


どんな過去も今思い返すと、刈りたての小麦畑のように平坦で、地面と共にあった。取り残した稲穂が疎らに落ちている。空は澄んでいて、遥か遠くに小麦と青色の境界が見える。自分を愛することをたまに思い出す。





2021/10/26 よふけ

あなたは破滅衝動があって旅をしていて弱いんだね、と言われた。私たちは暖炉の前で背の低い丸テーブルを囲んで食事をとっている。あっ、と図星を突かれた笑いをして、言葉にすると酷いですね、と言った。


旅をしているというと、人は強いとか逞しいといった言葉を使うけど、旅をする人は真に得たことを言ってくる。恥ずかしいと同時に、彼もそうなんだと思い、人間と対峙していると思った。


彼との会話は緊張して、お酒を飲んでからではないとうまく話すことができない。または、珈琲。会話には、刺激の強い飲み物と煙草が必要だった。


人に、旅が羨ましいと言われるとき、その時間とお金の皮肉にも感じるときがあって、私は旅なんて知らない生活をしたいと言い返したくなる。知らなければ良かったが、知ってしまったら自身を追い込むまで望んでしまう。


辛うじて、両親との確かな繋がりと、彼らに対しての義務感が私を普通?に収めている。けど、それらの背景を失ったら、私は落ちるところまで落ちるのだろうか。それは貧困というものか、人間の尊厳の喪失かは分からないけどそれを望んでいるのかもしれない。


弱さと悲しみが溢れることはなく、私は火を見て煙草を吸って、日本酒を飲んで皿を洗った。人間が強いことと弱いことは紙一重だと思った。雨が轟々と降り注いでいる。





2021/10/27 今朝


自然と6時10分に起きた。社会のテストの答案が全く書けずに、留年する夢を見た。側には頭のあまり良くない中学生時代の友人がいた。


2度寝をせずに起きて、公園まで歩いた。途中、コンビニでお金を下ろして、ホットコーヒーを買う。母が口座に金を入れてくれた。


公園に着くと、ラジオ体操の続編みたいなものが流れ、白い服を着た、白い帽子を被ったように見える老人たちが皆同じ動きをしていた。


冷たい澄んだ空気も、白馬のように白い犬も、走り込む少年たちも、なんだか嬉しかった。手にはコーヒーと菓子パンとドストエフスキーの罪と罰を持っている。


朝食を珈琲と小さな菓子パン1つで終わらせず、もう1度コーヒーを淹れて、人参とキノコを鉄のフライパンで焼いた。塩と胡椒をかける。フライパンに落とした卵をひっくり返して、両面焼いた。オレンジを半分切って、皮と実の間に切り込みを入れた。先程の残りの菓子パンを1つ添えた。


それを窓際の大きな机の上で食べる。野菜って、焼いただけでこんなに美味しいのだっけ。卵も美味しい。ここ1週間の食べ物は、出来合いのソースを茹でたパスタにかけたものや、鍋のようなスープなど、大学生らしいものを食べていた。


1品でないことは嬉しい。徐々に調味料を増やして、いつか冷蔵庫を買おうと思った。今は、まだ寒いからあまりいらないように感じる。



駅前の小さな区役所に行った。狭い事務所。全ての音が丸く反響して頭がクラクラする。ここは暖房が効き過ぎているし、皆んながイライラしている。犬みたいな子供が地べたを這って、椅子を動かして音を立てている。父親は怒らない。


細い棒に大きな電子プレートのついた受付番号が落ちて、それを役人が支えている。おそらく下で誰かがどうにかしようとしている。そのことで様々なものが甲高い音を立てて落ちていく。


雑音にもならない、声が馬鹿でかくて癖のある男の役人の声が、私の焦燥を逆撫でする。私には足を揺らす癖は無かったが、ここで思いっきり貧乏ゆすりができたら、まだ少しマシになるのではないかと思った。皆んなが皆んな全てのことを理解していないので、不安や怒りが部屋中に満ちている。


役場の人たちはそれらに慣れてしまっていて、この場所が精神をすり減らすと感じていないようだった。または、もう擦り切れているのかもしれない。



なんとか引っ越しの手続きを終えた後は、なんとなく浅草に行った。どうにでもなれ!と遠くへ行きたかった。ここは大きな寺がある。清潔で、大きくて、参拝客の絶えない神社や寺は気持ちが良い。


商店街の喫茶店に入ると、コーヒーと煙草を飲んだ。しばらく本を読んだりぼうっとしていた。みどりさんマタギかもしれない、あの人どんだけ毛皮持ってるのよ、と中年女性2人組の会話が聞こえた。


彼女たちは私より先にいたが、会話が耳に入ってきたのは初めてだった。マタギという言葉を、日常会話で使えるのはすごい。ケバケバしい女の黒い襟巻きは300万円らしい。





2021/10/29 探す


朝の5時の街を歩いた。真っ暗で、夜よりも情報量が少なく、街が鮮明に見える。普段見えないものが見えて、影のように彷徨うサラリーマンが幾らか見える。


金曜日の朝5時30分の中央線高尾行き。座席が埋まって、人が数人立っているほど車内には人がいた。コンバースの爪先が汚れ、耳の辺りから徐々に色の抜けている髪の、眠っている女性から薄めた香水と煙草の匂いがする。その人が電車から降りるとき、昔の親しい友人に見えた。


7月は、バイトで朝帰りの電車に乗っていたが、今日は同じバイトで朝の6時30分に南多摩駅集合だった。軽井沢に行くらしい。詳しくはあまり知らなかったが、行きます!と返事をした。


人にあれこれ自身の将来の話をするとき、究極の不安に陥ることはないが、今こうして1人でいると何を?と総じて不安になる。


1つ1つの不安を言葉にできないことが、ただ漠然とした大きな不安を作り出していた。言葉にすれば良いと、頭の中では分かっているが、その不安に浸っていたい気持ちもある。


駅前のハイエースに乗って、軽井沢まで運転をしてもらった。私を含めて4人。朝の気弱さで、彼らの木工の世間話に入ることができなかった。


年上の人と行動する時、自分がどこまで甘腐っていても許されるのか、試してしまう癖がある。バイト中はまともに仕事をするが、移動中や空白の時間に、多少の破滅の思考が浮いてきてしまって、それに体が支配される。


彼らは皆、私よりも安定した生活をして、健康的な思考を持っていた。楽しいことは楽しんで、足先の向かうまま店を探したり、酒を好んだ。私は彼らを見ていると、自分の不安定さを実感する。ここに置いていかれても明日の予定はないし、それでも良いと思っている。馬鹿な思考が絶えず浮かんでいるし、それを隠すこともできない。


彼らはつるっとした表面の滑らかさと笑顔は、家族がいることと、仕事に対する責任感や経験からくる自信や振る舞いだった。私が持っているものは学生である身分と、何もないことが許される若さくらいだったが、それを上手く扱えているか分からない。





2021/10/30 x

ドストエフスキーの小説を見て思うことは、作家は、自身が不幸になることを望む性質があること。または、自身が不幸に陥っても、それに浸ることができる。


だから、その不幸を回復する方法を知っていたとしても、その不幸から目を背けたり、幸福に向かって全力で走ったりはしない。ゆっくり、散歩のように歩きつつ、淵のところで必死にもがいている。


防衛本能のギリギリを攻めて、自身を甚振っている。それが自身の人間性を知る方法であるかのように、その焦りや苛立ち、絶望を観察している。時間は、幸せの時よりもその不幸らしいものの方が多いので自身と向き合うと暗い気持ちになる場合が多い。


その暗い気持ちを晴れやかに、全て吐き出したくて文章にする。それによって稀に救われたり、さらに絶望へ追い込まれる。


完璧主義者のような考えをやめたい。人の前で指を切ってしまったから、それを気にして1年間連絡を取れなかったとか、本当に馬鹿げている。多分、自分の考え過ぎで、様々な人間関係を諦めてしまっている。














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